ニュー・オーバーテイク 〜淫情剣〜 14

 サイレンの灯りが、狭い裏通り一帯を赤く染めていた。セダンやワンボックスのパトカーが数台。そして救急車が一台停まっている。警察から投入された私服刑事の数は十余名。制服姿の警察官はその倍ほどいる。鹿児島最大の歓楽街、天文館を騒がせる大捕物となった。あちこちから人々があらわれ、黄色い規制線の外から興味深そうに見ている。


 悟と雷同の居合勝負が終わったあと、店に警察が踏み込んだ。志村たちを逮捕するためである。容疑は恐喝。志村に対しては殺人教唆もつく。心理操作を駆使した全国規模のゆすり行為は相当な件数にのぼるらしく、それらの内容はこれから警察が関係者相手に聴取することになる。そして雷同に対し、寿子の妹を殺害するよう依頼した志村には実刑がくだされるはずである。


 建物の入り口から最初に出てきたのは、二名の男性救急隊員が運ぶ担架に乗せられた雷同だった。悟の剣を喰らい意識を失っている彼は、頭から足先までを完全に隠すため分厚いシートを被せられていた。外からは見えないが、異能力をもってしても破壊できないネオダイヤモンド製の手錠と足枷をはめられており、さらに対異能者用の強力な筋弛緩剤を注射されている。たとえ意識が回復したとしても容易に抵抗できないよう措置がされていた。そして担架を四方から囲むように警備員姿の男女が四名ついているが、彼らは薩国警備のEXPERである。万一、雷同が目を覚まし暴れたとき、取り抑えることが役目で、そのうち三名は救急車に乗り込む。残りの一名は車であとを追う。行き先は“荒事”に対応できる病院だ。


 サングラスをかけた一条悟は見物客らの視線からやや外れた路上の端に立ち、雷同をのせた救急車が出発する様子を見守っていた。黒いフライトジャケットを着た、しなやかな立ち姿も絵になる男だが、今は闇夜の際に立つひとすじの影法師である。皆の視線は建物の入り口のほうに注がれていた。


「あんたにしては手荒だったな」


 悟の横に立つ大男が言った。薩国警備の鵜飼丈雄うかい たけおである。制服制帽姿の彼が今回の“依頼人”だった。


 警察は今夜、志村を逮捕するため踏み込む手筈を整えていた。用心棒の雷同が異能者であるため、その対策として薩国警備が協力した。警察と薩国警備は案件によっては連携する。鵜飼が悟に依頼したのは雷同の討伐だ。


「報酬は明日にでもあんたの口座に振り込まれる。事後処理は、こちらで行う」


 と、鵜飼。国や地方公共団体の息がかかった薩国警備が悟のようなフリーランス異能者に仕事を依頼することは珍しくない。人手の問題が主な理由だが、自営業者を食わせる必要もあるからだ。もちろん雷同は裏の世界で名の知れた腕の立つ異能犯罪者であったため、同等以上の力を持つ悟に白羽の矢が立った、というのもある。


 悟はなにも答えなかった。かつて世界を股にかけた剣聖として多くの人々の生き死にに関わってきたこの男に、どれほどの人情があるのか。それは誰も知らない。“スピーディア・リズナーは大金でしか動かない”という酷評は常に彼の周囲についてまわった。“剣聖スピーディアが並外れて美しい理由は、彼の体内に流れる血が溶けた金塊でできているから”などという者もいた。


 だが、寿子の妹を犯し、殺害した雷同を討ち倒した剣には、無責任に騒いでいたギャラリーたちを一瞬で黙らせるほどの迫力があった。なにを思い技を振るったのか。情か? 怒りか? それは悟自身にしかわからないことである。


 救急車が出発した直後、左右に二人の刑事を伴った志村が建物内からあらわれた。こちらも手錠をはめられているが、それを隠すため手首に布カバーをかけられている。ただし端正な顔は隠していない。集まった人々の視線と興味が一気に集中する中、むしろ堂々としていた。悪びれた風ではない。そんな志村のあとから数名の男女が出て来るが、彼らはこの店の常連客であり、ゆすりに加担した共犯者である。これから、みな揃って警察へと連行される。


 刑事たちに左右の腕を抑えられた志村は、悟と鵜飼の目の前を通り過ぎた。パトカーに乗り込む直前……


「一条さん」


 志村は悟のほうを向いた。


「僕がわざと捕まった、と言ったら、あなたは信じてくれますか?」


 彼の顔に虚飾は見えず、ただ余裕めいた微笑みがあった。


「足がつかないようにしようと思えば出来たんですよ。例えば、そこの人が僕のゆすりの現場を写真に撮ったことにも気づいていましたが、口を封じることはしなかった。雷同を使えば容易なことだったにも関わらず、ね……」


 志村は、ひとりの若い婦人警官に付き添われ、店の入り口付近に佇む寿子を見た。


「僕は本を書くことが夢だったんですよ。今まで自分の中で積み上げてきた精神分析学と心理操作学の本をね」


 わざとであろう。志村は悟にだけでなく、寿子にも聞こえるような声で言った。


「ですが僕の学問はまだ完成していない。心理操作学を作りあげる上で最も有意義なことは俗世間にはないものです。ならば獄中にあると思いませんか? 罪を犯した者たちと触れ合い、彼らを研究することで、これまでわからなかったことが解明されていくんですよ」


 彼の理屈はもっともであり、やはり狂ってもいた。塀の向こうにいる囚人たちを自身の研究に使うというのは合理の極致であり、そして狂気の最果てでもある。


「だから、わざと捕まったんです。これまでにゆすりで稼いだ金でおくってきた贅沢な暮らしはシャバへの未練を絶つためのものでした。さんざん楽しんだので、もう充分だ。もちろん残った財産の管理は弁護士に任せていますけどね」


 志村の言葉を聞いている寿子はうつむき、団地妻のように熟れた身体を震わせていた。妹を殺されたその心中、察するに余りある。


「さっきも言ったとおり僕の夢は、ゆすりをビジネスとして完成させることです。そして、その究極の手段は、多くの人々の目につく“獄中出版”なんですよ。犯罪者が書きあげた心理操作の本という触れ込みなら、きっと売れることは間違いありません。僕は、いち犯罪者の立場を卒業し、今後は多くの読者……いや、“後継者”を作ることになる。ゆすりはビジネスとして、発展を遂げることになるでしょう」


 騒々しい群衆の声をかき消すかのような、乾いた音が路上に響いた。いつの間にか志村に近づいていた寿子が平手打ちをしたのである。


「あなたは……あなたみたいな人に……妹は……!」


 寿子の地味な顔に涙がつたった。哀しみの涙なのか悔し涙なのか、あるいはその両方か……それはわからないが、妹を奪われたことにより流れたものであることには間違いない。


「妹を……妹を返してください!」


 彼女は志村の胸ぐらを掴んだ。刑事と婦人警官が慌てて止めに入り、二人を引き離した。


「なんか、シラけちゃいましたね」


 乱れた襟元をただし、志村は悟のほうを向いた。


「本が完成したら一条さん、真っ先にあなたに送りますよ。僕に、獄中出版に不可欠な犯罪者としての箔を付けてくれたあなたにね」


 彼は、ふたりの刑事に両肩をつかまれ、再び歩きはじめた。最後の最後まで不遜な態度に変化はなかった。


「頭がイカれてるな」


 志村を乗せたパトカーがゆっくり走り出すと、鵜飼は低くつぶやいた。悟は何も言わず寿子のほうを見ていた。泣きじゃくる彼女を婦人警官が懸命に慰めている。その姿もまた、憐れをさそう。


「俺の仕事は、終わりさ。あとは頼まァ」


 悟は右手を上げ、鵜飼に別れを告げると、いまだ帰る気配のない物見客たちがいないほうへと足を向けた。サングラスをかけた彼の表情はわからないが、志村のような悪党も、そして寿子のような被害者も見慣れている男である。いちいち気にする素振りなど見せないものかもしれない。



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