ニュー・オーバーテイク 〜淫情剣〜 13

「一条とやら、俺の剣を冥土の土産話にするがよい」


 雷同は腰をしずめ、日本刀の柄に手をかけた居合の姿勢のまま、悟に勝利を予告した。


「我が剣、これまでに多くの難敵を血の海に沈めてきた。今宵、おまえもまた、この刀の錆となる……言い残すことがあれば、今この場で聞いてやろう」


「よく喋るヤツだな。実は居合じゃなくて言い合いの達人でした、なんてオチはごめんこうむるぜ」


 そう答えた悟は相手側に向けていた右足をかるく左足のほうへと引いた。相変わらず上体は雷同に対して横を向いており、自分の右肩を見せている。懐のショルダーホルスターに光剣を収めている彼の抜き打ちの姿勢は、すり足を使う野球の左打者に似ていた。居合対居合……それは抜刀スピードの限界点を極めた者こそが勝利する神業の宴と言っても良い。


 店内に流れるBGMが変わった。有名RPGの戦闘に使われる曲だ。元ネタを知っている男性客たちから笑いがおこった。


『どうやら勝負は一瞬で決まりそうだぜ! おまえら、まばたきすんなよォ!』


 DJが叫ぶ。すると殺し合いを喜ぶ客たちのテンションが最高潮に達した。傷つくのが自分でなければ、戦うのが自分でなければ、彼らはそれで良いのである。これほど楽しく、そして無責任な娯楽が他にあるだろうか? 退屈に飽きていた皆が求める非日常の刺激と興奮が、今ここにある。


「一条さーん、勝って! あたしを痺れさせてェ!」


 ギャラリーに混じる金髪ギャルもまた周囲の者たちと同様である。かたや悟が勝ったら抱かれると宣言した褐色ギャルは、さっきから声ひとつ発しない。なぜか、その顔は青ざめていた。


 異様な熱気が宙に渦巻く中、先に動いたのは雷同だった。左手で鯉口を切った瞬間、ヤツの右手が消えた。いや、そう見えただけか。居合の名手を自負するだけあって視力で追えぬほどに動きは速かった。天井のミラーボールがおとす十四色の光が、その鞘からあらわれる銀の抜き身を、さらなる複雑な色に染めた……






 悟がさきほど真知子から受け取った新型のオーバーテイクは、先日の戦いで破壊された先代モデルの“記憶”を、メモリーカードの形で受け継いでいる。攻撃や防御により本体にかかる衝撃をそれに記録することで最適な調整を実現するほか、次期モデルの開発にも役立てるためだ。悟ほどの剣客でもクセは変わるものだが、その時々のコンディションに合わせた重量配分や設計がなされる。剣聖スピーディア・リズナーのトレードマークであり、世界中の少年たちが憧れた真紅の光剣は、そうやって代々進化してきたのである。つまり現行モデルこそが今の悟の手にもっとも馴染むのだ。試運転シェイクダウンなどいらないわけは、そこにある。藤代アームズの天才マイスター早乙女睦美が作りあげた逸品は、所有者の意図と技量を即時、戦闘に反映することができるのだ。






 悟が右足を相手側に踏み出したとき、彼の上体に紅い星雲が巻きついた。いや、こちらも一瞬そう見えただけである。流星のごとくショルダーホルスターから抜き打たれたオーバーテイクは悟から気の供給を受け、半瞬ののちに真紅の光刃を形成した。それが描く右手一本の剣跡もまた真紅……夜空を渡る流れ星よりも速く消えゆくその太刀筋に、かつて世界中の人々が熱い願いをかけたものだった。そしていま、生まれ故郷に身を潜める立場となっても、あのころと変わらぬ凄絶な斬撃の速度である。人工の光を放つミラーボールに、影を作るいとまも与えぬほどの……


 硬い物が粉砕される音がした。ミラーボールの輝きが、吹ッ飛んだ雷同の体を店内の宙空に映し出したとき、勝者となった悟は既に、光をおさめ筒状となったオーバーテイクをショルダーホルスターの中にしまっていた。始動は雷同が速かったはずである。だが、届いたのは悟の剣のほうだった。


 “トップハンドトルク”。野球の打法の名を冠した神速の居合抜きは剣聖スピーディア・リズナーの必殺剣のひとつである。多方向性気脈者ブランチの悟は懐から抜刀したと同時に気を腰に集中させ、凄まじい上体の旋回力のみで雷同の速さを上回ったのだ。この技は左打者が右手一本でバットを振る姿を思わせるもので、踏み込んだ右足と軸となる左足が地面に強固な土台を築く。まさに一振必中の剣聖秘打……


 悟の剣に吹き飛ばされた雷同の体はギャラリーの頭上に打球のような放物線を描き、重い音をたて店内の床に落下した。そのまま仰向けに倒れており、ぴくりともしない。役目を果たせず終わった彼の日本刀は、対戦時にその刀身の半分までを鞘の外に晒していたが、抜かれておらず今は納刀されたままである。両者間にある抜刀のスピード差は、こんなにも歴然だった。居合勝負で剣聖に勝てる人間など、この世界のどこにも存在しない。


 対戦前と変わらぬ軽快な音楽が流れ続けているにもかかわらず、店内の空気はなぜか重くなっていた。さきほどまで無責任に騒いでいたギャラリーたちはみな静まりかえっている。皆を散々に煽っていたDJは職務も忘れ、口を開けたまま驚愕のさまである。通常人たる彼らには両剣客の動作は見えていなかったはずだ。だが悟の光剣オーバーテイクが演出した凄惨な結末は、戦いの非情を知らせるのに充分なものだった。


 倒れている雷同の顔は完全に潰れていた。悟の斬撃を食らった右頬は骨ごとえぐれ、どす黒く変色している。鼻孔から血を流している鼻は左耳のそばまでひん曲がり、首はありえない角度で傾斜していた。衝撃で歯が大量に抜け落ちており、口から泡まみれの血がとめどなく噴出している。もっとも、これで死なないのが頑丈な異能者という人種である。悟の斬撃は峰打ちだった。オーバーテイクはグリップ部分のセレクターをDモード側に操作することで鈍刀なまくら化できる。いわゆる峰打ちモードだ。


 ギャラリーたちは、自分らのそばに転がっている斬骸に怯えていた。寿子の妹を犯し、手にかけた雷同は因果応報の理に従い、報いをその身に受けたわけである。そして彼らの中にも志村の悪事に加担した者がいる。そいつらが、これからどうなるのか。それを想像し、全身が凍りつく思いにとらわれているのかもしれない。


 彼らは次に、お立ち台の上にいる悟を見た。ミラーボールが次々と解き放つ、十四色の光を浴びる美しい姿は血肉が通っていても、どこか虚無の有様である。勝利を得たことによる満足も見せず、かといって悪に対する怒りの形相も見せない。だが優男の彼が今、発している気には常人を震えあがらせるなにかがある。ギャラリーたちは、それに恐怖していた。


 彼らが期待した刺激など、この戦いにはなかったのだ。殺し合いを傍から見物することで得られるスリルなど存在しない。あるのは血と破壊、破滅。そして息が詰まりそうな淀んだ空気のみ。その事実を目の当たりにしたとき、皆が己の甘さを知ったのだ。暴力の断片をのぞき見ようとした結果、学んだ渋い教訓だったのである。


「うっ……」


 ギャラリーの中にいる褐色ギャルが低くうめいた。彼女は両膝を落とし、床に嘔吐した。


「ちょ、ちょっとあんた大丈夫? どうしたのよォ」


 相方の金髪ギャルが慌ててその背中をさすった。それを見た周囲の男性客たちが舌打ちしながら、彼女たちから離れていく。


「き……気持ち悪い……気持ち悪いの……」


 吐いたもので口もとを汚す褐色ギャルの目は、こみあげる不快感に耐えきれなかったのか充血していた。悟が勝ったら抱かれてやると宣言した彼女が嘔吐したわけは、グロテスクに変形した雷同の顔を見たからだろうか? いや、殺し合いが持つ空気に五臓が根をあげたのかもしれない。


「苦しい……気持ち悪い……」


 自ら汚した床にしゃがみこんでしまった褐色ギャルの顔に生気はなかった。おそらく感性が鋭敏なのだろう。そんな彼女だからこそ知ったのだ。命のやり取りの先にある鈍重な空気の気配を。それを教えたのは悟の剣だった。


  

 

 


 

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