魔剣ヴォルカン 36

 茜が鵜飼に差し出す肌は白く、若さ相応に綺麗なものだった。目を閉じた彼女はブラジャーの肩紐をずらし、鵜飼が“やりやすい”ようにした。


「畑野君、すまんな……」


 鵜飼はひとこと断ると、露出した彼女の肩を……噛んだ。


「んっ……」


 低く、呻く茜。鵜飼から血を吸われているその身体が怯える小動物のように、ちいさくふるえた。


 茜が持つ超常能力は“B型”である。“給血きゅうけつ能力”とも呼ばれるもので、文字通り異能者に血を分け与えることにより、その者が持つ能力を向上させる。血液自体を媒介として気を供給するとされるB型能力者は性質上、戦闘における補助的な役割をになうことになる。


「いや……」


 そう言いながらも、鵜飼のたくましい背中に茜は手を回してきた。彼女の血は、ほのかに甘い。


「た……隊長、もう……」


 頬を紅潮させた茜は熱い息を吐きながら、上司の鵜飼に情けを乞うた。


「まだ、まだだ……」


 そんな彼女に慈悲をかけず、鵜飼は血を吸い続けた。その甘美な血を、彼女の剥き出しの肩から、誰も通らぬ暗い路上で……


「ん……ああッ……」


 茜は艶のある声をたてた。この能力の持ち主は血を吸われるとき、性的なものと同質の快楽を得る。いま彼女も、その波にひたっているはずだ。


「た……隊長……まだ、ですか……?」


 言葉では給血の終了を求める茜、だが鵜飼の背を抱く両手には、よりいっそうの力と熱がこもってゆく。肉体の性と異能者としての義務感、もしくは本能が両立しているならば、身体も心も正直になってゆく最中なのかもしれない。嘘をつくのは口だけである。


「んんっ……はあっ……き……気持ちいい……気持ちいい……」


 だが、その口も本気の快楽に決壊した。ボーイッシュなルックスが淫らな本性を浮かべ、はじらいながらも悦んでいる。血を分け与えるこの異能力は時間がたてばたつほど、感度が良好になる。いまの茜は、言葉ですら抵抗することがかなわぬ身であろう。


 鵜飼は彼女の血を吸い続けた。古代の呪法により人外を宿したジェラールに対抗するためには、自己の力に相当量の上乗せが必要となる。それに比例する茜の血を経口しなければならない。だから、吸い続けた。


 二分ほどの吸血行為ののち、鵜飼は茜の肩から口を離した。力がわきあがってくるのがわかる。B型の異能力には即効性がある。


「大丈夫か? 畑野君」


 鵜飼は血がついた口を手の甲でぬぐった。かなりの量を吸っている。


「は……はい……」


 腰の力が抜けたのか茜は車のリアハッチにもたれかかるようにしていた。血の喪失と、異能力の発揮にともなう快楽。双方が原因となり、かなりの疲労と倦怠を感じているはずだ。


「造血剤は?」


「も……持ってきてます……」


 無理に作ったかのような微笑を見せ、彼女はブラウスのボタンをとじた。肩に当たる純白の生地が赤くにじむが、やはり肌を晒すのが恥ずかしいのだろう。


 茜は足もとの上着を拾おうとした。


「あ……」


 だが、よろけた。鵜飼は彼女を抱きとめ、血の気を失くしたその身体を支えた。


「隊長……死なないで、ください……」


 たくましい胸の中で、茜は言った。


「奥様が、悲しみます。だから、死なないで……」


 彼女が約束をうながしたとき、道路の向こう側で爆発に似た音がした。あそこで、悟が戦っている。


「まだ、死ぬ気などない。一条と決着ケリをつけねばならんしな」


 悟と戦って敗れたのは夏のことだった。子供のころ憧れた剣聖スピーディア・リズナーである彼に対する思いは今となっては敗戦の悔しさも重なってやや複雑だが、仲間意識のようなものがあらたに芽生えた。加勢に行かなければならない。


「あ、そうだ……隊長、これを……」


 鵜飼から身を離した茜はリアハッチを開けた。五十センチ四方ほどの金属製の黒いケースが入っている。


「もうちょっとで忘れちゃうとこでした」


 舌を出す茜。その仕草はかわいいものである。ボーイッシュなルックスは、どこか少年めいている。


「助かるよ、ありがとう」


 礼を言う鵜飼。ケースの中身は近接戦闘用の手甲である。彼愛用のもので、茜に頼んで持ってきてもらったのだ。


「あと、これを」


 茜は、もうひとつの荷物を指さした。こちらは黒いプラスチック製のケースで、手甲が入っているものと比べると半分ほどの大きさだ。


「よく、持ち出せたな」


 鵜飼はそれを開けた。中に44マグナム弾が詰め込まれた弾倉マガジンが四本入っていた。薩国警備では銃器銃弾の管理が厳しく、許可をとらなければ外に持ち出すことができない。


「武器管理課の人に事情を説明したんです。なにかあったときの責任は、あたしがとります」


 茜は言った。今回の件は組織内外に対しおおっぴらにするな、というのが上の意向であるため、予備弾薬の持ち出しもままならぬ状況だった。昼に鵜飼が持ち出し、さきほどのアンドレとの戦闘で撃ち尽くした分は、通常任務に必要な範囲内ということで許可をもらったものだった。


「すまんな……」


 鵜飼は懐からデザートイーグルを取り出し、茜が持ってきてくれたマガジンを装填した。彼女に責任をとらせる気はない。自分の指示だということにすればよい。


「隊長、なぜ“組織”は動かないんですか?」


 茜は訊いてきた。


「藤代隆信会長の意向、だろう」


 鵜飼は答えた。今回の件は元々、フランスで薬物の売買に関わった国会議員の息子と、日本で古代の呪法に関わったジェラール、ヴィクトル両名の交換引き渡しのため、両国間で極秘裏に折り合いがついたものだった。が、隆信は他にもなにやら隠しているのではないか、と鵜飼は考えている。当然、悟も勘づいているようだ。おおっぴらにしたくないなにか、が隆信にあるのではないだろうか。


「俺や一条が戻らなければ、さすがに組織も動くだろう」


「そんなの、いやです……」


 茜は泣いた。大人への過渡期にあり、少女の幼さも絶妙に残る顔だちであるが、内面もまだ社会や世界の不条理を飲み込めるほどには成長していないのだろう。人を指導する立場となった鵜飼であるが、彼女のそういった面を正そうとは思わなかった。まっすぐな心根を持つ人間が、ひとりくらいいてもいい。


「なぜ隊長や一条さんだけがこんな危険な目にあわなければならないんですか? なぜ隊長が……」


 涙をぬぐう茜。その肩を優しく抱いてやるような鵜飼ではない。気の利いたことを言う男でもない。


「それが俺たちの仕事だ」


 味のない返答をし、茜から吸った血の力を宿した鵜飼は、もう一度、悟が戦っているであろう方角を見た。






 サタンと化したジェラールが道路にあけた大穴は長さ三十メートルほどにも及んだ。最初に放った剣圧によるものよりもさらに巨大である。広範囲に飛び散った大量の瓦礫は、その威力の凄まじさを物語っており、陥没したアスファルトは地獄へと繋がっていそうな底闇を深々と見せている。一条悟は、その中へと飲み込まれた。


 サタンは自らこしらえた陥没道路の縁を進んだ。十二、三メートルほどを行くと、ブラックメタリックに光る筒状の機械が落ちていた。悟の愛刀にして剣聖スピーディア・リズナーのトレードマーク、真紅の光剣オーバーテイクだ。暗闇の底へと落ちていった持ち主の手を離れ、気の供給を絶たれたことで、光刃を収めている。


 足もとに転がるそれを見て魔剣ヴォルカンを振り上げるサタン。その漆黒の切っ先にきらめくものはなにもない。ただ容赦も手加減も感じさせない冷酷な軌跡のみが宙に描かれた。


 鈍い音とともに真っ二つにされた悟のオーバーテイク。勝利を確信したのか、サタンは夜空にむけて野獣のような咆哮をあげた。

 



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