魔剣ヴォルカン 24

「ジェラール……!」


 そこにいたのは、この世で唯一血を分けた存在。弟のジェラールだった。


「相変わらず寝起きが悪いね、姉さん」


 彼は長い脚を組んで木製の椅子に座っていた。サンドラにとって弟の記憶とは十五年前、少年だったころの美しい容姿のもと成り立っている。そして今のジェラールは自分の知らぬうちに、その容貌を順調に発展させた長身の美丈夫として目の前に存在していた。実姉の自分でも惚れ惚れしてしまいそうなほどに……


「姉さん……何をしに日本に、鹿児島にやって来たの?」


 声も大人の男のものになっていた。変わらぬのは金髪と青い瞳くらいのものである。かつての面影は色濃く残しても、やはり昔とは違う。


「ジェラール、今すぐ私と逃げて」


 サンドラの、そのひとこと……それを告げることこそが、一条悟に明かさなかった来鹿の目的だった。


「ヴィクトル・ドナデュー博士は、あなたを化け物にできる詠唱者を手に入れたのよ」


 古代の呪法に不可欠な詠唱者のことである。新聞記者のサンドラが情報を得たのは少し前のことだった。十五年前、ジェラールを連れて姿を消したヴィクトルが、これまでどうしても手に入れられなかった呪法の詠唱者を探し出した、という。


「さすが記者だね。そんな情報、どうやって手に入れたんだい?」


 ジェラールの端正な口元に笑いが浮かんだ。そんなことは知っている、という風だ。


「うちの新聞社の“担当”から聞いたのよ」


 と、サンドラ。通常、新聞社の警察担当は異能業界にも精通している者が多い。異能犯罪と刑事事件は密接に関係しているからだ。大手の新聞社になると異能業界専門の担当部署もあり、有名異能者の動向や人外の存在に関する情報をいち早く入手する。


「この数日、あらゆる情報をかき集めたわ。博士と縁がある世界中の土地を調べたのよ。そうしたら……」


 その情報収集の過程でサンドラは、ヴィクトルが鹿児島の権利者、藤代隆信と旧知であることを知った。


「この鹿児島という土地をネットで調べたら、あるタウン情報サイトで、あなたの姿を見たの」


 古本屋の主として、ランディ・ルノーという偽名を使っていたことを、それで知った。


「大人になってもわかるものなんだね」


「わかるわ! たったひとりの弟、だもの……」


「そう、僕にとっても姉さんは、たったひとりの姉さんさ。でも……」


 ジェラールは立ち上がった。


「姉さんは僕に黙って、あの神父と……!」


 その言葉には憤りがあった。


「そうしなければ……そうしなければ生きていけなかったのよ。お金がなかった私たち姉弟が、あの教会で生きていくには、神父様に従うしかなかったのよ……」


 サンドラは涙まじりの声で抗弁した。それはたしかなことだった。少女のころ、彼女は神父から脅迫されていたのだ。


「僕は姉さんがいてくれれば、何もいらなかったんだ。家がなくとも、食べ物がなくとも、姉さんがいてくれれば……」


 それは十五年前、ジェラールが神父を殺害したときにも聞いた台詞だった。事情はどうであれ姉弟は、結果的にそのことで引き裂かれたわけである。


「ジェラール、私といっしょに逃げましょう」


 気絶から覚めたばかりのふらつく身体を精神で支えながらサンドラは立ち上がった。それを過去の罪滅ぼしとするつもりだった。ジェラールが逃走する手助けをすることで。


「過去に殺人を犯したあなたは、たとえ正直に罪を告白しても許されることはないわ」


 子供のころの犯罪であっても大人同様に罰せられるのが、責任能力を問われない異能者という人種である。そして、だからこそ秩序が保たれてきたのが世界だ。


「逃げる? どこへ?」 


 ジェラールは首を傾げた。


「“あて”があるのよ」


 新聞記者のサンドラには、それがあった。世間ではある意味、性犯罪者以上に嫌われる異能犯罪者だが、彼らの逃亡を幇助する裏の組織は世界中に存在する。彼女はかつて、そのうちのひとつを取材したことがあった。そこを頼るつもりだった。


「悪いが、いっしょには行かないよ。僕はヴィクトル博士に……父に会う」


「ジェラール!」


「古代の呪法が成功すれば、僕は力を取り戻すことができる」


「考えなおして頂戴! また姉弟で静かに暮らすこともできるかもしれないわ」


「姉さん……僕たちは、もう子供じゃないんだよ」


 ジェラールは背を向け、出ていこうとした。


「待って!」


 サンドラは泣きながら、その腕にすがりついた。


「待って、ジェラール。お願いよ……」


 かつてちいさな少年だったジェラールの背丈は、今や自分をはるか追い越している。かつての美貌の印象をそのままに、たくましくなった弟を彼女は見上げ、腕を引っ張り、なにがなんでも止めようとした。


「姉さん……」


 ジェラールはサンドラの手を握った。


「むかしの僕にとって、姉さんは世界で一番、大事な人だった。それは今でも変わらない。でも……」


 そして、その手を離し、彼は言った。


「それでも力を取り戻したいんだ。僕は……」


 異能者の生まれ持った本能……力に対する執着とは肉親の愛に勝るものなのか? ジェラールの目にかたい決意があった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る