魔剣ヴォルカン 22

「ああ……神父様、おやめください。弟が、ジェラールが気づいてしまいます……」


 十五年前。夏の真夜中……中央の台上に聖母の像を置く礼拝堂の硬い床に押し倒され、十六歳の美しい少女だったころのサンドラは甘く囁くように許しを乞うた。長い金髪は普段、乙女の清純を外に表現するため三つ編みにまとめられている。だが今は、秘密の夜を迎えたことによる心の解放感とともにほどかれ、肩と地面に妖しい黄金色の波を描いていた。その中心にあって、いまだ変わらぬ少女の面影も、やがて倫理の岸から肉欲の海へと泳ぎだし、快楽の果てにある絶頂の潮流へと飲み込まれることになる。


「子供は、とうに寝ている時間だよ」


 不埒にも聖母の像の真下で彼女に覆いかぶさる長身の神父は四十代半ばほどである。やや薄くなった茶色の頭髪を短く切りそろえており、カトリック式の黒いキャソックと呼ばれる祭服を身に着けている。なかなかの男前で見方によっては貴公子然としている、とも言える。


「私に逆らうことができる立場かね? 身寄りも金もない、おまえたち姉弟の面倒を見ている私に……」


 近所の者たちからは神のように崇められている神父だった。皆が慈悲深い聖人と呼ぶ。だが、その本性は性に狂った男に過ぎなかった。見た目と違い、誰よりも欲望に忠実な獣だった。


 逆らうことができないサンドラの形の良い唇に神父は口づけた。いつもどおりに、すぐ舌を入れてくる。


「んンっ……」


 サンドラは少し苦しそうなふりをしながら、粘体質のそれを受け入れた。こうするとサディストの神父が喜ぶからだ。だからこちらも熱く濡れた舌を健気に絡めてやる。おとなしく言いなりになっていれば、弟共々、この教会から追い出されることはない。


 神父は口を離すと、サンドラの赤いTシャツに手をかけた。汗で素肌にはりついているはずなのに、やけにあっさりと脱がされた。次に、ジーンズがずり下ろされると白い太股に生ぬるい空気がまとわりつく。ここはアルプスの麓であり高い場所だが、地中海性気候に属しており温暖である。乾季のこの時期にしては珍しく外は雨が降っており、礼拝堂の中は蒸し暑かった。道ならぬ、ただれたふたりの情事に湿気った匂いはふさわしいものだった。


 この夜、十六歳のサンドラが身に着けていた濃いネイビーの下着は大人の物だった。これは神父の趣味に合わせたものだ。彼は地味な下着を好まないため、ひそかに会うときはいつも服の中にまで気を遣う。ブラジャーもパンティもシースルーで、覆う白い肌の一部分を罪の意識共々、薄く隠蔽している。そう……身体を売るに等しい行為だとはわかっているのだ。だが、弟とここで生きてゆくためには仕方がない、と割り切ることができるようになっていた。こんな関係が一年近く続いている。


「また、大きくなったのか?」


 神父に訊かれた。


「はい……」


 サンドラは恥ずかしさのあまり赤くなった顔を両手で隠した。十歳のころから大きくなりはじめた胸のせいで、同年代の誰より早くブラジャーをつけ始めたものだった。それから六年たった今も成長は止まらず、この年にしてこんなセクシーランジェリーが似合う体型になった。少女離れした圧倒的質量の胸は些細な身体の動きにも敏感に反応し、重そうに揺れる。この教会には数名の孤児たちがいるが思春期真ッ只中の少年たちが向けるいやらしい視線が気になるため、普段はゆったりめの服を着ている。女の子たちが面白がって触ってくることもあり、それも悩みの種だった。


「この豊かな胸を、将来誰に差し出すのだ?」


 神父は、さっきとは違う問いかけをしてきた。


「わかりません」


 サンドラはまだ顔を隠している。恋の味など知る前に自分の処女を奪った神父の表情を確認しようと思い、開いた指の隙間から見えたものは彼の右肩の向こうに立ち、手を合わせる聖母の像だった。なぜ、それは真摯な表情で神に祈っているのか? 道理に外れた私の罪を、ほんの少しでも軽くしようとしているのかしら? このとき、本気でそう思ったものだった。


「わからぬ、だと?」


 神父に両手首を掴まれた。ひらけたサンドラの視界に映るのは、普段見せる聖人面とは真逆の、下卑た男の顔だった。


「おまえは、ここから出ることはできないのだよ。ひとかけらのパンと、ひとくちのミルクを得るため、私に身体を差し出す売女のようなおまえに、まっとうな恋をする人生があると思うのか?」


 神父の言うとおりだ。弟と自分の食事と寝床を確保するためには、この男の言いなりになるしかない。生まれ持った美しい顔と、年をかさねるごとに卑猥さを増す豊満な肉体は、神から授かった処世の道具だと理解していた。男を猛り狂わせるための……


「嗚呼……神父様、私にそんな人生を送る気はありません。私は……」


「そうだ。おまえは生涯をここで過ごすのだ。私のもとから逃れることなど考えてはならぬのだ」


「そうです、そうなのです。私は神父様の淫乱な下僕……どうか、どうか、ご存分になさってくださいませ……」


 その色香の塊のような声を聞き、神父は鼻息荒くパンティに手をかけてきた。たわわに育った胸を最後まで残しておくのがこの男の癖だった。だから、いつも下から先に剥かれるのである。サンドラは目を閉じ、いつもどおりに我が身を汚される、これからの時を想像した……






 なにかが勢いよく切れる音がした。一瞬吹いた風とともに。なにごとか、と思い目を開けてみると、手を合わせる聖母の像が赤い涙を流していた。このときは、本当にそう見えたのだった。


 神父は自分のパンティに両手をかけたままの体勢でいた。おかしなことに顔がないではないか。さきほどまで首があったところから噴水のように血を撒き散らし、聖母の像を赤く染めていた。神父の頭部はつい数秒前と変わらぬ下卑た表情のまま、無惨にも右側の床に転がっていた。


 状況を理解したにもかかわらず悲鳴すらあがらなかった。人は本当に恐怖したとき、声など出ないのだと知った。ただ青ざめた顔で下着姿の半身を起こし、肉付きのよい尻をついたままあとずさると、首なしの死体となった神父の体が横に倒れた。


「ああ……ジェラール……なんてことを……」


 サンドラはふるえ、そして涙した。そこにいたのは、右の手刀を神父の血で染め、聖母像の前に立つ少年時代の弟、ジェラールだったのだ。

 

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