剣聖の記憶 〜一億ポンドの約束〜 6
古代の呪法……その名の通り紀元前の昔に作り出されたものである。主に人外の存在を意図的に呼び出すことを目的としたもので、現在では世界的に使用が禁止されている。一夜にして敵対する国の主要都市を灰にできる核保有国であっても、化学兵器を好んで使用するテロ国家であっても、その決まりごとを厳守しているとされるが、それは表向きのことであり、裏では研究し軍事利用を目論む輩もいると言われる。
異能者と人外を結びつける作用がある。古代の呪法が脅威である理由のひとつだ。通常、異能者は気質が強いため、人外の存在に取り憑かれることは滅多にない、とされる。だが古代の呪法を用いれば人工的にそれが叶う。人外と一体化した異能者の戦闘力は凄まじいものであるが、制御不可能となった場合、周囲に与える被害は甚大となる。厳禁されるのは当然のことであり、ムー大陸やアトランティスの滅亡は古代の呪法に手を出したからだ、と唱える学者も少なからずいる。
その方法とは様々であるが“物質”を媒介、もしくは触媒とすることが多い。神帰将星団から脅迫を受けているチェルシーが作り出したのは“石鹸”の化学式だった。つまり、その石鹸が人外を呼び出す媒介となるようだ。ここではない異世界からやって来る人外は“こちら側の世界に干渉する”ため、“こちら側の世界に存在する物質を媒介とする”。そのように考えられており、軍事兵器を媒介とする呪法もあれば飛行機や列車、船のように巨大なもの、はたまた家庭で使う日用品までいろいろな物品が人外とこの世を結びつける仲介役となりうる。昨年、女物のパンティを媒介として出現した人外がアメリカの片田舎で暴れまわり、多くの犠牲を出したことは記憶に新しい。
古代の呪法を実現するための手段が記されたものはいまだ世界中に存在する。古い文献、資料の他、遺跡などにも残されている。二年ほど前、古代の呪法を用いる場面を描いたとされる壁画が日本の古墳から発見された。マスコミがかぎつけ報道したため騒動となった。“ヒント”になりえるからだ。現在では、その壁画周辺は立ち入り禁止区画となっており一般人が目にすることはできない。同様のことは世界各地でも起こっており、南米ペルーにあるナスカの地上絵からも古代の呪法との関連可能性が高いものが発見された。こちらは国際異能連盟により即刻排除された。こういった事柄は有識者や考古学者、遺跡保護団体、各国の大学、文化機関らが連盟に反発する理由ともなっている。
戦後、発足した国際異能連盟はかつて、古代の呪法とそれに関わる全ての資料、文献、表現物、黙示物、実現可能性を二十世紀中に地球上から完全排除する、と標榜していた。それが果たせなかったため世界中から批判されたものである。現在でも連盟および各国の異能者機関は古代の呪法の撲滅に心血を注いでいる。人類の平和な未来のために……
ロンドンから遠く離れた中央アジア。どこまでも伸びゆく広大な草原は、晴れてさえいれば青空と大地の境界を遥か遠方の水平線に置き、雄大な自然の有り様を我々に見せてくれるものである。草原地帯で営まれる放牧は面積に比してスケールが大きく、個人が延々数キロにわたりヤクを飼育管理している。農業も盛んで、平野部には三十万ヘクタールもの耕地があるとされる。
雲を刺すようにそびえる
中国、チベット、新疆ウイグル自治区にまたがる、その崑崙山脈の四川省側に、とある二千メートル級の山がある。地理学上の山名はない。山脈を形成する二百超の山々のうちのひとつだが、頂上からの見晴らしが良くないため登山の定番コースから外れている。春秋戦国の世に道家思想の開祖である老子が、この山に登り晩年期を過ごしたという言い伝えがあることから、古くより地元の人々は“
老仙山の中腹部に洞窟がある。比較的温暖で過ごしやすい崑崙山脈南部と違い、この近辺は寒い。夕方六時を過ぎたこの時間帯になると気温がさらに低下し、風も空気も肌に痛みを感じるほどに凍りつく。麓からここまでは針葉樹林と岩場が続き、訪れるのは困難だ。
そんな難所であるはずなのに、洞窟周辺から麓にいたるまで銃器類で武装した数十人の男たちが立っていた。人種は様々でヨーロッパ人もいればアジア人も、ラテンアメリカ人もいる。全員がコートや分厚いジャンパーを着て寒い中、“警備”にあたっていた。
ここはチェルシーの化学式を狙う神帰将星団のアジトだった。武装した男たちは“団員”である。ある“崇高な目的”を達成する、という共通の理念のもと集まった彼らは、この老仙山を本拠として活動をしている。こんな秘境に誰かが来ることはまれだが、たまに道に迷った地元民や旅行者が訪れると“外人部隊の秘密演習地だ”と言って追い返す。昔から人のいない静謐な場所だったが、今は連中の物騒な物言いのせいでガラが悪くなり余計に人が寄り付かなくなった。神帰将星団が居つくようになって五年ほどになる。
団員たちが守護する洞窟は高さ十メートル以上ある。奥行きが長く広い。狭い入り口からニ十メートルほど進むと野球場ほどの大きさの広場があった。鍾乳洞のような自然の侵食作用によるものではなく、まるで内部から発破をかけて作られたような形状だ。壁や天井のあちこちがいびつな形にえぐれており、でこぼこが多い。人為的なものにしては不格好だが、地面は整地されており歩く分には問題がない。まるで秘密基地のような雰囲気で、ここにも多くの団員が立っている。山道を行くことができるオフロードトラックやSUVが合わせて十台ほど停まっており、武器弾薬のほか大量の食料、日用品などの物資がコンテナに積まれている。
壁にはいくつかのドアがある。倉庫の他、団員たちが生活利用するための部屋があるのだろう。なんらかの理由で出来たこの洞窟に彼らが手を加え住めるようにしたらしい。ならばここは、どのような目的で作られたのだろうか?
広場の奥からさらなる通路が伸びている。そこを進んでゆくと香の匂いがかすかに漂ってくる。洞窟の中部にあたる場所で“儀式”がおこなわれていた。突き当たりのドアの向こうである。
「女たちよ!」
むせるような香の匂いが充満する中、男の声が響くその部屋は縦横二十五メートルほどの広さだった。三十人ほどの女たちが立ち並んでいる。みな東洋人で若く美しいが、その多くがカンゼ・チベット族自治州にある
「女たちよ! かの“化学式”は、じきに我らのものとなる!」
そして彼女らの前で壇上に立ち、高らかに宣言するこの男こそ神帰将星団の“教祖”である。
「我が大望が叶う日が、またひとつ近づいたのだ!」
男に名はない。団員たちからは“太祖”と呼ばれている。国際異能連盟は彼のことを国籍不明の異能犯罪者と認識しているが、元はどこかの国の異能者機関に属していたという噂がある。顔を変えている可能性もあるが、今現在の見た目は三十歳代のアジア人だ。身長は百八十センチ以上あり、やや痩せ型。肩ほどまである長髪をオールバックにしており白いスーツを着ている。ネクタイも白い。
「秩序なき世界を憂慮し、将来を悲観する時代はじきに終わりを告げる。我々の思想こそが正義であると世間が知る日がやって来るのだ」
そう語る太祖の前に立つ女たちは全員、同じ服装をしていた。膝下まで隠れる長さの白いワンピース型の薄衣であり形はガウンに似ていた。胸元が少し開いている。下着は着けていない。彼女たちの目はうつろだが、これは薬物を投与されているためだ。自我はない。
「では今宵、我が手により肉体と精神の“純化”を必要とする者を決める」
太祖が言った。すると女たちは焦点の定まらぬ目をしたまま薄衣の腰にある帯に手をかけた。
床に落ちる数十の布の音が重なり合い、香が匂いたつ空気に女たちの甘い体臭が入り混じった。今、彼女らが晒している美しい裸体は太祖の手により浄められるときを待っていた。
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