剣聖の記憶 〜一億ポンドの約束〜 5
「スピーディア・リズナーは、たかが少女と面会するのに“一億ポンド”もの大金を要求したというではないか。しょせん法外な金で動くクズなのだ」
マッカン警部は言った。正確に言えば、一億ポンドを用意してまで悟に会いたいと願ったのはチェルシーのほうだった。が、悟が金を受け取ったのは事実である。剣聖スピーディア・リズナーは金銭取引以外には応じない。それは世間が周知していることだった。
「事実そうであっても、スピーディアに会いたいと願ったのは彼女自身です。我々としては、その意思を尊重します」
チェルシーの主治医であるランドルフ医師は態度を変えない。そんな彼を中心に数十人の医師、看護師、事務職員ら病院関係者たちが横並びに人間バリケードを作っている。
「ならば仕方あるまい」
マッカンが左右の警官たちに目配せした。いよいよ実力行使に出ようというらしい。ただならぬ気配を感じたのか、職員たちが身構える。
だが、そのとき、赤や黄色で派手に塗装された大型ワンボックスカーが一台、病院敷地内に入ってきた。
それを見てマッカンは舌打ちをした。停車したワンボックスカーの中から出てきたのは対異能力加工を施された黒い戦闘用ベストに身を包んだ数人の“異能者”たちだったのだ。
“Special Force Service”。ワンボックスカーの前面と側面に、そう書かれてあった。通称SFS。イギリスの国営異能者機関であり、異能犯罪者や人外の存在に対する“処理行動”を主な生業としている。そこに所属する者たちは“女王陛下の異能者たち”、などとも称される。
数人のSFSの隊員のうち、身長二メートル近い大柄で鍛え抜かれた肉体を持つ短髪の男が前に出た。
「マッカン警部、
短髪の名はブライアン・コンウェイ。現在、四十代の彼は障壁展開能力と呼ばれる“B型”の超常能力者である。SFSの中核として数々の難事件を解決してきた“スター異能者”であり、国民から英雄視される存在だ。その体躯と異能力から“大英帝国の巨壁”との異名を持つ。
「なにィ……!」
苦虫を噛み潰したような顔をするマッカン。彼としてはSFSが出張ってくる前に悟の身柄を拘束したかったはずである。スコットランドヤードとSFSは通常、犯罪捜査に関しては連携し、場合によっては協力しあう身だ。だが四年前、警察上層部の不祥事に対立した悟を指名手配扱いしているため、この件だけは両者、相譲らぬ格好となっている。
「もし、
ブライアンの声は落ち着いたものである。もともとマッカンの捜査は、やり口が強引であり、警察内外で反発を呼んでいる。
「スピーディアの行動には正当性があるのですよ」
ブライアンの言うとおりだ。剣聖とはタイトルであり、国際異能連盟公認の資格でもある。剣聖制度自体はすでに廃止されているが、最後の剣聖たる悟には国際ライセンスにあたる一級資格独立異能者とほぼ同等の権限がいくつか認められている。国境を跨いだフリーランス活動もそのひとつだ。つまり悟がチェルシーと面会することに、なんの問題も生じない。それに伴い発生する金銭に相場はあっても規定額はない。それが一億ポンドという大金であっても……
「なるほどなるほど、わかったわかった……」
と、マッカンは両手を挙げて降参の意を示した。だが、次の瞬間、踵を返して走り出し、職員たちの群れを強引にかきわけながら一人、病院内へと突入しようとした。
「無駄なことを……」
職員たちの抵抗をものともせず人間バリケードを突破し、院内へと疾走するマッカンの後ろ姿を見て、ブライアンはため息をついた。
「あと、どれくらい生きられるかはわからない……私は才能に恵まれ、普通の人よりは多くのものを残せるわ。でも、時間がないことだけはたしかね……」
屋上からの絶景を眺めながら語るチェルシーの横顔に悲壮感はなく……代わりに、やや自嘲の気配があった。万物の理を知る彼女でも自分の命数を知ることができないのならば、やはり人の力には限界があるということか。天才であってもそうなのだとしたら、一個人が持つ放出量や許容量などたかが知れているもの、なのかもしれない。
「なら、君は残された時間で多くのものを残せ」
傍らに立つ悟は、灰色をしたロンドンの空を凍らせる寒風の中、はっきりとそう言った。
「君のような天才がおくる数ヶ月、数年は常人の一生涯に値するもんさ。だから多くのものを残せ」
この男もまた規格外である。横にいる少女に感傷を見せることもなく、ただそう言った。多くの人々の生死にかかわり、立ち会ってきたせいか、あてのない奇跡を期待することはしない。だから頑張って長生きしろ、などとは言わないのであろう。悟の美しい瞳はさきほどから変わらずロンドンの遠景のみを投射している。
「ねぇ、スピーディア。あなたの“剣”を見せてくださらない?」
チェルシーは悟の体に痩せた肩を寄せた。両者の体温が絡み合っても屋上の寒さを凌ぐほどにはならないはずだが、このとき彼女の白い頬は赤く染まった。
悟はフライトジャケットの中に手を入れると、ショルダーホルスターの中からブラックメタリックに光る筒状の機械を取り出した。真紅の光剣オーバーテイクは剣聖スピーディア・リズナーの愛刀として有名である。
「武器もいわば芸術品ね。それは大昔も今も変わらないものだわ」
チェルシーが見つめるオーバーテイクは無骨な美しさを持つ。鍔にあたる円形の部分を起点とした柄頭までの全長は三十センチ超ほどで通常の刀剣の握り手に比べれば少し太い。その真ん中あたりに長方形の出っ張り部分があるが、これはバッテリーである。持ち手から気を送り込むためのパイプが一部露出しているが、これはデザインの観点からそのようになっているという。設計者である藤代アームズの若きマイスター
「武器製作に美的指向を導入した
「素顔は偏屈な爺さんだけどな」
「あら? 会ったことがおありなの?」
「あー、ちょっとだけね」
風になびく髪をかく悟。実際にはよく知る仲である。藤代アームズの創業者にして藤代グループの会長である隆信は職人だったころ、多く手がけた異能者用の武器に薩摩切子をモチーフとした見事な装飾を施したことで人気を得た。現在の藤代アームズ製品は、そのころのイメージを大事にしており、見た目にこだわった物が多い。
「藤代アームズは日本のカゴシマという所にあるのよね。どんな土地なの?」
「うーん……田舎さ。あの辺と違ってね」
悟は遠く立派なロンドンの街なみを指さした。剣聖スピーディア・リズナーが日本人であることは有名だが、鹿児島の出身だということは知られていない。少年時代の一時期をのぞけば彼が何処かに定住していたことはない。ときに常夏の島にある五つ星の高級ホテルをねぐらとし、その翌日には過酷な環境の極地へと向かい零下数十度の中で野宿する。そこでの仕事が終わったら、次は熱帯へと渡り大蛇や猛獣がうろつくジャングルで夜を明かす。それが一条悟という人の人生だった。
「化学式を欲しがる連中は、従わなければ私の家族を狙う、と言っているわ。つまりママが危険なの」
チェルシーほどの天才であっても母に対する愛がある。それは飛び抜けた才能とは別の機軸に位置するものなのか。
「連中は指定した日時に、五秒間だけ動画サイトで化学式を公開しろと言っているの。でも、古代の呪法に関わるものを世に出す気はないわ」
だが脅迫には屈しない……明晰な頭脳を持つチェルシーには事の重大さがわかっているのだろう。人外を呼び出す古代の呪法とは、それほどに厄介なものである。
「俺が、カタをつけてやるさ」
悟はチェルシーに目を移し、そう“約束”をした。
「それはありがたいことだけど、でも私にはあなたに払うほどのお金がないわ」
「一億ポンドを、すでにもらったよ」
「あれは、憧れのあなたに会うための……」
「異能業界最高峰のアフターサービスをお見せするさ」
悟がウインクすると、チェルシーは低い笑い声をあげた。
「アフターサービスのほうが労働の提供割合が大きいわ」
「変かい?」
「ええ、とっても……」
普通の少女ならば、金が絡まないロマンを最良の関係と考えるのかもしれない。だが芸術にも数学にも化学にも能力が及ぶ天才であるチェルシーは違うようだ。数字に強い彼女は剣聖という男の価値を金額で値踏みするのか? それとも、憧れの存在であっても結局は金で結びついた仲と割り切っているのか? 彼女の思考は常人には理解し難いものともいえる。
「この件はなんとかするさ。だから君は、これからも多くのものを残せ。俺との“約束”だ」
悟はもう一度そう言い、そしてチェルシーは頷いた。このとき交わしたふたりの約束は高層の冷気すら及ばぬほどに熱く、たしかなものだった。
「少女! スピーディア・リズナーはどこだ?」
マッカンはあたりを見まわした。
「いないわ」
チェルシーは強風が吹き荒れる屋上からの風景を眺めながら答えた。
「どこだ? どこへ逃げた?」
と、血相を変えるマッカンに対し彼女は遠く、ビッグベンが立つ方角を指差した。
「つい三十秒前までここにいたわ。でも、彼は“飛んで”いったの」
「なにィ……!」
マッカンは、それを聞いて地団駄を踏んだ。十階建てのここから悟は“飛んだ”のである。貯水槽の柱にくくりつけられた長いロープが屋上の地面から端へと伸びており下へ垂れている。正しく言えば悟はそれをつたって地上に降りたのだ。身体能力に優れた異能者ならば難しくはない。
「彼は“約束”を残して“飛んで”いったの……」
なぜチェルシーは悟が“飛んだ”と言うのか? 芸術家である彼女らしい表現なのだろうか? それとも約束を背負い戦いにおもむいた剣聖のうしろ姿に何者からも拘束されない翼を見たのか?
「多くのものを残す……それが、スピーディアとの約束……」
チェルシーは風にかき消されるほどの小声でつぶやいた。約束の先にある決意を知ったのか、ロンドンの光景を映す瞳がゆれていた。
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