魔剣ヴォルカン

魔剣ヴォルカン 1

 2000年代初頭。世間の人々がようやく訪れた新世紀への期待よりも、様々なことがあった前世紀の懐古を頻繁に口にしていたころの話である。


 フランスの都市、リヨン。ライトアップされた美しい街並みは夜の帳がおりたローヌ川の水面を瑪瑙色に磨きあげ、それを眺める橋の上の恋人たちが燃やす熱情を肉体ごと昂ぶらせていた。相手の手を握り、愛を語る男。人目をはばからない口づけを受け入れる女。抱擁の果てに互いの身体を愛撫しあうカップルもいる。そばを通る無数の車たちがヘッドライトで彼ら彼女らの劣情を祝福し、暗い雲間からときおりのぞく月が、原始的な営みにいそしむ若者らの情欲の姿を道路に投影する。そんないつもの夜のことだった。


 郊外の小高い丘の上に別荘があった。観光地として知られるこの街にふさわしい洒落た二階建てである。広い庭のまわりは高い塀で囲まれている。閉ざされた外門は虹彩、指紋、パスワードによる多重の認証システムで関係者以外の立ち入りを禁じており、外部からの侵入を防ぐ。別荘の入り口も同様だ。


 中に入ると、目につくのはなんの変哲もない玄関である。いや、左手の壁にエレベーターがあった。ボタンはひとつしかない。“下”へと繋がっている。






「いよいよ“完成”するのだ」


 地下室に男の声が響いた。無数の電子機器類、モニターが並ぶここは、彼が研究してきたことのすべてが実現するための場であった。棚にある数千冊の本はすべて読破した。それも今日という、この日のためだった。


 この別荘は、“とある研究”をおこなうための施設だった。今、その成果があらわれるときがきたのだ。


「私は、人としての道を踏み外した。地獄へ堕ちるだろうか?」


 ひとりごとを言うのは、この男の癖である。歳は六十代後半にさしかかった。中肉中背の身に白衣を着けている。茶色の頭髪はまだ薄くなってはいないが皺は深く、実年齢より老けた印象だ。外国人であるだけに、余計そう見える。


 男の名はヴィクトル・ドナデューといった。フランス人である。別荘を装ったこの研究施設の所有者だ。私費を投じてここを建て、数年の歳月をこの日のために捧げてきた。社会との縁を切り、もともと希薄だった人との付き合いを絶ってまで研究に没頭した。その“答え”は今宵、出る。


 “古代の呪法”


 意図的に人外の存在を呼び出し、ときに異能者をその被憑体とするそれこそ、この男が踏み込んだ悪魔の領域だった。かつて、多くの権力者や研究者が手を出してきたものだが、現在では世界的に禁じられている。これのせいで滅んだ国も太古にあったといわれる。戦略核兵器を保有する国であっても、この分野だけは法律で取り締まる。生物兵器を隠し持つ国ですら“人道に反する”と語り嫌悪する。異能犯罪を犯したものが正気の沙汰ではないと忌む。誰からも歓迎されないものだ。


 部屋の中央に椅子がある。チェック柄の服と半ズボンを着けた金髪の美しい少年が座っていた。年齢は八歳。こちらもフランス人だ。


「君は選ばれた少年だ」


 ヴィクトルは声をかけた。薬物と催眠術で眠らされている少年に反応はない。手首と頭にリング状の、そして左胸に直径三センチほどの円形の機械が取り付けられており、それらはコードで機器類と繋がれていた。長い睫毛は閉じたまま、開くことはなかった。


「研究者として、自分を制することができなかった。許してくれたまえ」


 ヴィクトルの謝罪だ。この少年に対する……


 少年の傍らに台座がある。ひとふりの“剣”が刺さっていた。柄も刀身も黒一色で、刃渡りは八十センチほど。ヴィクトルが“開発”したもので、外観は機械的な印象を受ける。力学に基づき、適正な重量配分がなされている。


 これは人外の存在を呼ぶための剣だった。古代の呪法を用いることにより、禁断の行為を可能とする。


 十年ほど前、ヴィクトルはアフリカ中部におもむいた際、“古い言い伝え”を聞いた。かつて紀元前のころ、愛剣に人外の存在を宿し、たったひとりで敵対する民族を滅ぼした“狂戦士”がいたと……興味を持ったヴィクトルは、コンゴ共和国にある先住民族の村を訪れた。そこに伝わる話だったのだ。かの戦士は英雄として祭り上げられていた。


 人外を宿したという剣は村の壁画に描かれていた。それを写真に撮り、現地で関連する資料を集めたヴィクトルは帰国後、研究にとりかかりはじめた。今では世界的に禁止されている古代の呪法によるものに違いない。彼は世界中から資料を取り寄せ、この別荘で実験にあけくれた。


「私は昔から変人扱いされてきたものだ」


 ヴィクトルは意識を持たない少年に話しかけた。


「そのせいか、どんなに仕事をしても周囲の評価は低かった」


 彼は異能者用の武器を製造する会社、“アルム・ド・フランス”の研究開発者だった。様々な傑作を世に送り出し、世間の人たちからは博士ドクトゥール、社内では天才と呼ばれていたが、頑固な職人気質が出世の障害となった。功績ほどの立場は得られず、いつまでも中堅の座に甘んじていた。五十代のうちに退職している。


「私を評価しなかった社会……これがうまくいけば、少しは見る目も変わるはずだ。今度こそは……」


 これまでも何度か試した。そして、ことごとく失敗に終わってきた。しかし今回は自信がある。なぜなら……


「君こそが“選ばれし少年”なのだ」


 ヴィクトルは、もう一度目の前の少年にそう語りかけた。実は、件の狂戦士もまた少年だったと判明したのは二年ほど前である。コンゴ盆地の熱帯雨林から彼の墓が発見されたのだ。


 ヴィクトルは手を回し、その遺骨や埋葬品から判明した生前の彼の特徴を入手した。身長、体重、体型、年齢、血液型、そして異能力……それらが近似、もしくは共通する者ならば、くだんの狂戦士同様の力を持ちうるのではないか? 彼はそう考えた。


 あらゆる手段を用い、ヴィクトルは適合者となりうる少年を探した。年齢や外見、血液型が一致する者ならば孤児や浮浪者などにいたため、“入手”することは難しくなかった。だが“狂戦士と同じ異能力”まで持ちあわせる者がなかなか見つからなかった。


 “多方向性気脈者ブランチ


 研究、分析の末、かの狂戦士はそれだったと判明していた。体内の任意箇所に気を送り込み、部分的に身体能力を向上させるタイプの異能者だ。所有者が少なく珍しい存在である。さきごろ史上最年少で“剣聖”となったスピーディア・リズナーがこの異能力の使い手であるということで話題になった。


 これまでの“実験台”がブランチでなかったこと、それが失敗に終わった理由だったとヴィクトルは考えていた。だが今回は違う。アルプスにある教会で探し当てたこの少年こそ、これまでで最も“近似”の存在。求め続けたブランチなのだ。


「さあ、私に“人外剣”を見せておくれ」


 ヴィクトルは少年の傍らにある剣を見た。それこそが人外を実体化させる“物理媒体”である。古代の呪法に欠かせぬものだ。


 次にヴィクトルは、モニターの横にあるスイッチを押した。すると連結しているスピーカーから妙な“声”が流れはじめた。これもまた不可欠なものである。


「さあ少年、剣をとれ」


 そのヴィクトルの言葉にはじめて少年が反応した。目は閉じたままだが、ゆっくりと立ち上がる。金髪の美しい姿は神々しさすら感じさせる。


「おお………おお……!」


 ヴィクトルの期待の声が室内に響く。催眠術と薬物により自我を喪失しているであろう少年は左手を伸ばし、傍らの剣の柄をとった。


 すると不思議なことがおこった。室内の照明が不規則に点滅しはじめたのだ。そしてモニター上に表示されている数値が異常な上昇を示す。少年の身体に取り付けられた機械類が脈拍、心拍、脳波を測定しているのだ。


 次に、少年が触れた剣の刀身から灰色の煙がたちのぼった。まるで“火山”のようだ。暗黒世界とこちら側に“バイパス”が出来た証なのか?


「今こそ……今こそ……」


 ヴィクトルは涙を流した。今こそ念願が叶う。私を評価しなかった世間は、その愚かな考えを覆すであろう。私の名は悪魔と同等の存在感をもって、異能業界史に名を残す。キリスト教圏ならば“サタン”とでも称されるだろうか? それも良い。地獄へ堕ちるさいの通り名とでもしようか……


 そして、少年の左手が台座から剣を抜いたとき、機器類が次々とけたたましい電子音をたてた。天井へとのぼった煙らしきものは彼の頭上で滞留している。


「我が研究の成果を!」


 このときヴィクトルは人外の出現を、なぜか悪魔と対称の位置にいる神に祈った。少年が左手の剣を上段に掲げると、煙が刀身に吸い込まれてゆく。悪魔に魂を売った研究者の想いが果たされるときが今、やってくるのか……


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