ミッドナイト・エンカウンター

ミッドナイト・エンカウンター (上)

 鹿児島市 山之口町やまのくちちょう。夜の街をきらびやかに飾る無数のネオンサインはいまだ灯っているが、道をゆく人は少ない。鹿児島最大の繁華街、天文館てんもんかんの一角とはいえ、平日の深夜はさすがに常連客たちの気力体力に限界があるようだ。路上に車両を停めっぱなしにし、同業者らと立ち話をしていたタクシードライバーたちは潮時を見計らうのに慣れているようで一人、また一人と持ち場を離れはじめた。仕事を終えたホステスたちは夜の蝶らしく香水の匂いがする鱗粉を撒き散らしながら帰路についていた。店の前に立ち、笑顔で女性客を見送るホストたちの姿もある。このあたりの平和ないつもの光景……だった。






 店々がつらなる山之口本通りをひとりの老人が歩いていた。ハゲた頭にデカいサングラスをのせている。派手なチェック柄の長袖シャツの下はカーキ色のカーゴパンツだ。


 老人の名は神宮寺平太郎じんぐうじ へいたろう。鹿児島の異能業界では好爺老師こうやろうしと呼ばれ、尊敬されている。地方公共団体から資格を得た自営異能者……いわゆるフリーランスであり、県内の難事件を多く解決してきた。が、年齢を理由に最近は一線を引いている。隠居の身として今は明るい老後を賞味する立場だ。


 今宵、平太郎は一人で夜の天文館を謳歌した。行きつけの“おっぱい天国モミモミ大明神”でセクキャバ嬢たちと散々騒いだあと、馴染みの店を数軒ハシゴした帰りである。かなり酒が入っているが、千鳥足にならないところがさすがこの老人、と言って良い。


 その足は鹿児島中央駅に向かっていた。徒歩で二十分ほどだ。今からなら始発に間に合う。平太郎の家は鹿児島市南部の下福元町しもふくもとちょうにあるが、坂之上さかのうえ駅で電車を降り、そこからタクシーを呼べば明け方前には帰り着く。今はまだ暗い。


 市電の線路がある県道20号線を渡り、加治屋町かじやちょう裏手の路地に入った。日中と違い人はいない。ひっそりと静まり返った狭い道に月の光はささず、発光する外灯のみが先行きをしめす。もっとも、異能者は夜目が効くため、なくても困ることはない。


「何者かな?」


 誰も見ていないこの場で平太郎は足を止めた。尾行には気づいていた。


「こんな酔っ払った老体をつけ狙っても、なにも得るものはないぞ」


 と言って振り返った。すると闇夜の奥から一人の影があらわれた。


「ご謙遜を………名高い老師様を倒すことで得られるものは地位と名声だけではないのですよ」


 影は穏やかな男の声である。いや、まだ“少年”ではないだろうか? 背は小柄な平太郎よりもやや高い程度で大男のたぐいではない。外灯のうす灯りの中にいるが顔は見えない。なぜなら“月桂樹”を模した円形の仮面をかぶっているからだ。


「僕はセルメント・デ・ローリエの“ノワール”と申します」


 そう名のった彼を見て、やはり少年であると平太郎は判断した。肉づきが薄く細く、まだ発達しきっていない年少者特有の体格をしている。仮面の下の服装も若者らしくツートンカラーのパーカーだ。前のファスナーは閉まっていない。


「自営異能者狩りをしている集団じゃな。わしも標的ということか」


 と、平太郎。最近、復活したというセルメント・デ・ローリエの噂は聞いていた。フリーランス狩りを目的とする異能テロリスト集団だが、十年前に旧知の仲である一条悟の手で壊滅させられたはずだ。


「わしみたいな隠居と戦っても、地位も名声も手に入らんよ。金ならあるがな」


 平太郎は尻のポケットを叩いてみせた。散財してもなお厚みがある財布が入っているが、金を払っても見逃してくれそうな気配はない。目の前のノワールという少年の口から発せられる言葉は穏やかでも、全身からみなぎる殺気は凶刃のごとく強靭だ。


「あなたは鹿児島県下のフリーランスを代表する存在です。倒せば、我々の実力を示すこともできます。場合によっては薩国警備や退魔連合会との“交渉”を有利にすすめられるかもしれません」


 ノワールのその……月桂樹の仮面の下から聴こえる声はややくぐもってはいるが、調子の中にやはり少年らしさがある。


 平太郎はわけを訊かなかった。復活したセルメント・デ・ローリエの目的が以前と変わらないのならば、異常なほどの“組織至上主義”がさせていることであろう。戦後、日本の異能業界は超常能力実行局と退魔連合会という二大組織が牽引してきた。彼らこそが人外の存在から国を守ってきたのだ。異能力を持ちながら、どちらにも属さないフリーランスの立場を認めないのがセルメント・デ・ローリエである。


 ここ鹿児島も同様だ。超常能力実行局鹿児島支局、いわゆる薩国さっこく警備と退魔連合会鹿児島支部という両輪が裏表の関係を維持しながら命を賭し、人々の安全を守備してきた。おそらく両組織から“選抜”されているであろうセルメント・デ・ローリエが自分らを主張する理由はわからなくもない。ただ、そのやり方がテロであることが問題なのだ。


「老師様には、ここで死んでいただきます。お覚悟を……」


 という宣言が終わるか終わらないか……その一瞬のうちにノワールは既に近接格闘の間合いにいたのだから驚きである。夜闇を照らす外灯の光にすら映らないほどのスピードで平太郎の目前に立った彼は右の貫手を放った。それもまた、光線にとらえられないほどの速さだった……

 

 

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る