わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 15
「しかし、思ったより混雑するのねぇ……」
運転席に座る早子は
「ま、ナビあるし迷うことはないけどね」
オーディオスペースのカーナビは当面の目的地を鹿児島北インターとしている。そこから高速に乗って東京まで十六時間ほどかかる。
「そうね……」
どことなくアンニュイな返事をする助手席の玲美はサングラスごしに街を見ていた。次にここを訪れるのはいつかしら? 次に鹿児島の風景を見るのはいつかしら? などと思いをはせる。だが人外に取り憑かれたこの身に将来などあるのか、という疑問もある。実は生まれ故郷の鹿児島にさほどの未練はないのだが、せっかくだから街ゆく人々に一度くらいは混じって、ノスタルジックな気分にひたってもよかった。しかし“目的”が果たされなかったせいか、倦怠のほうが心の比重をしめた。
信号が青になり、早子が運転する車は直進した。五分ほど走ると
「どうせ長旅だし、音楽でも聴かない?」
早子は後部座席に手を伸ばし、バッグの中から一枚のCDを取り出した。オーディオにセットすると懐かしい曲が流れはじめた。
「やめてよ……恥ずかしいわ……」
と、嫌がる玲美。なぜなら、それは五年前にリリースされた自分のファーストアルバムだったからだ。表題曲ともなっている『Be a star』は有名作曲家が手がけたノリのよい16ビートを車内の空気に刻む。タイトルどおりスターになった今となっては、彼女にとって反省点が多いナンバーである。もっと良い歌い方があったのではないか、ここはこうしたほうが良かったのではないか、と……
「なぜ? 恥ずかしがることなんてないじゃない。あんたらしさが出ているわ」
早子のかわいらしい顔に、どことなくサディスティックな影が浮かんだのは気のせいか? 玲美にはなんとなく、そう見えた。
「わたし、らしさ……?」
「そう、あんたらしさ」
「わたしらしい、ってどんな感じなのかしら?」
「おとなしそうに見えて意外と挑発的だったり、人が好さそうに見えて意外としたたかだったり……」
「そんなイメージなの? わたし」
「トップアイドルのあんたを近くで見てきたあたしにとってはね」
早子の台詞に“そんなものかしら”と玲美は思った。芸能界に身を置いて十年、アイドルとしての自分と本当の自分との間にあるギャップというものは感じているが、悩んだことはあまりなかったような気がする。テレビに映る杉浦玲美とは虚構の存在だが、芸能人とは皆そんなものだ。割り切って仕事をしてきたのはわたしだけではない。近江屋真由子という本名で自分を呼ぶ人はいなくなったが、それで苦労したこともない。
もっとも、悟たちと温泉に行ったとき、やはり普段、私生活が制限されているものだ、とは感じた。ひとりでは出来ない行動がたくさんあるのも事実だ。変装しなければ外出もできず、プライベートでもサインを求められ、近所のコンビニに行くときも、人が少ない時間を見計らう。そういう生活には慣れっこなのだが……
そして鹿児島という故郷でも、それは変わらなかった。異能者紹介所ではサインを求められ、昨日訪れた施設では子供たちが皆、アイドルとしての自分に群がってきた。今も正体がバレぬようサングラスをかけている。芸能街道を歩く以外に選択肢がない自分は生涯、不便な生活をおくらなければならないだろう。だが、それはこの道にすすんだ時点でわかっていたことで、いまさら後悔するわけでもない。
「なぁに? 黙りこくって」
早子は、ちらとこっちを見た。マネージャーとして自分を支えてくれる彼女には感謝している。日々のスケジュール管理だけでなく公私の相談にも応じてくれ、その上、荷物持ちや料理までしてくれる。営業力があり、テレビ局や広告代理店、制作会社に自分を売り込んでくれる。アイドル杉浦玲美の影となるのが早子だ。光が眩しければその分、影は濃くなるものだが早子は違う。太陽がどんなに輝いても謙虚に立場をわきまえ出しゃばらない。会社内でも業界内でも人柄が良いと評判の女だ。
「疲れたの、玲美?」
「いいえ、違うわ」
「そう? 寝ててもいいのよ」
「大丈夫よ、考えごとをしてただけ……」
「ならいいけど」
信号二回待ちの末、交差点を曲がり3号線に出た。それから十分ほど走ると高速が見えてきた。ナビが右折を指示する。
「高速にのらないの?」
と、玲美。
「のらない」
とは、早子。ナビが執拗に代替ルートを示すが、彼女は無視した。
「るッさいわね」
「乱暴ね……」
先行車から後続車へと立場を変えた軽トラをサイドミラーの中に確認し玲美は言った。運転している早子は答えなかった。やがて下りに入ったが、彼女は無言無表情で車を走らせ続けた。
「早子さん、ひとつ訊いていいかしら?」
「なに?」
「わたしが“
「意気地なしのあんたに、そんなことできるわけない、って思ったのよ」
淡々とこたえる早子。彼女は社長の丸田香奈絵に“玲美がいなくなった”と伝えたが、それは嘘だった。あの日、玲美の逃走を手助けしたのは早子だったのだ。母が眠る鹿児島で命を絶つ、と宣言した自分を逃してくれたのは彼女だった。“見逃してくれた理由”は、わかっていた。
「ねぇ、CD替えない?」
「なんで?」
「飽きたわ」
「自分の曲なのに?」
「だから飽きたのよ」
玲美は右手でオーディオをいじろうとした。だが、その手首を掴まれた。
「あたし、この曲好きなのよ」
片手で運転する早子の口調は感情がこもっておらず冷たかった。そして、彼女の手の感触もまた声同様に冷ややかで、その上硬かった。
「この曲、本当はあたしが歌う予定だったのよね。でも玲美、あんたに取られた」
そう……早子の言うとおりだった。この曲は本来、彼女のために用意されていたものだった。今ではトップアイドル杉浦玲美の初期のナンバーとして、世間に認知されている。アルバム曲でありながらカラオケの定番ともなっている。
「どこまで行くの?」
玲美は能面のような表情を浮かべる早子の横顔を見た。かれこれ四十キロほど走っている。このままでは、いつまでたっても東京には着かない。
「近道よ」
「近道?」
「そう……」
玲美の手首を握り続けながら早子は薄ら笑った。
「あの世への、近道よ……」
彼女の冷たい手から伝わったものは怨嗟……そして口から伝えられたのは殺意。爆発寸前の感情結着を示すかのように、玲美の曲を絵的に表現するイコライザーが、画面に踊っていた。
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