わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 14
翌日午前、悟が住む洋館をひとりの女が訪れた。
「玲美!」
庭先に出てきた玲美をだきしめたその女は
「早子さん……心配かけてすみません」
と、玲美。
「当然よ! 事務所のみんながどれだけ心配したと思ってるの? 馬鹿馬鹿馬鹿!」
黒いパンツスーツ姿の早子は泣いている。もとを正せば数日前、彼女が玲美に逃げられたことが今回の騒ぎに繋がった。
「何度かけても携帯はつながらないし、もうどうなっちゃうかと思ったわよ!」
「早子さん、痛いわ……」
大粒の涙を流す早子の熱い抱擁はなおも続く。よほど心配だったのだろう。短く切り揃えられた爪が玲美の背中に食い込むほどに力が入っている。
東京に帰る、と玲美が電話で事務所に伝えたのは昨日の夜のことだった。居場所を知った早子は朝の便で羽田をたち、
「わざわざ来なくてもよかったのに……ひとりで運転して帰れたわ」
「社長がガミガミうるさかったのよ! “玲美の気が変わるといけないから連れて来い”って」
「怒ってるかしら?」
「あたしのほうが怒られたわよ! まったく」
玲美は“事務所を辞める、と言って飛び出してきた”と語っていた。管理するマネージャーに雷がおちるのは当然だろう。
ふたりの様子を悟と八重子は黙って見ていた。八重子は昨日の夜も、ここに来て泊まった。“殿方と玲美さんをふたりっきりにするなんてとんでもありませんわ”と言っていた。玲美はホテルを探すつもりだったようだが、八重子が引き止めた。死を望む女をひとりにするわけにはいかなかったからだろう。
「マルタプロダクションの吉田と申します。この度は、弊社の所属タレント杉浦玲美がご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした」
悟と八重子に対し、丁寧に頭を下げる早子。玲美と同年代くらいだろうか? ブラウンヘアを後ろで束ねたかわいらしい印象の女だ。やや垂れ気味の大きな目は涙袋が厚く人がよさそうで親しみが持てる。彫刻のように完璧な美貌を持つ玲美よりもマネージャーの彼女のほうがイマドキのアイドルっぽい。
「いえいえ、ご迷惑だなんてとんでもない」
ヘラヘラと愛想笑いをしながら、悟は頭を下げかえした。
「これは、心ばかりのものですが……」
早子は有名店のロゴがうたれた菓子折りを差し出した。
「あー、こりゃどうもどうも」
と、遠慮なく片手を出そうとする悟を制して……
「まあまあ……これはこれは、ご丁寧にありがとうございます」
八重子が台詞どおり、早子の手を包みこむようにして両手で丁寧に受け取った。
「ご迷惑をかけた立場で、このようなことを言うのは心苦しいのですが……」
早子は恐縮した態度を見せた。
「この件は口外しないでいただければ……」
その件とはなにか? 玲美がここにいることか、まさか人外に取り憑かれていることか。もしくは引退を決意していることか……早子は具体的には言わなかった。
「はいはい。私は口は堅いですので」
いまだ愛想笑いしている悟。
「ああ……ありがとうございます! いずれ、なんらかの形で弊社より正式にお礼申し上げます」
腰を直角度まで曲げ、謝意を示す早子。若いのに、なかなかしっかりしている。国民的トップアイドルのマネージャーとは、こうでなければつとまらないのかもしれない。
「玲美! 支度はできてるの?」
早子は急に厳しい口調となった。
「はい……」
と、玲美。少ない荷物は愛車に積み終えているようだ。
「おふたりにきちんとお礼言いなさい! すごく親切にしていただいて……世間しらずのあんたにもわかってるでしょ!」
杉浦玲美とは事務所の稼ぎ頭なのだろうが、それに対し遠慮なく言うマネージャーの早子。もっとも、これは一般人に対する“ポーズ”なのかもしれないが……
「一条さん、八重子さん、ご迷惑おかけしました。お世話になりました……」
玲美もまた、丁重に頭を下げた。実はゆうべ、悟との間に流れた空気は気まずいものだった。死を目前に控えた少女に引きあわされたことに憤りを感じているのか。それとも“依頼”を断られたことを遺憾に思っているのか、当人のみぞ知る……
「久しぶりの温泉、楽しかったです。わたしの立場だと、なかなか行くことができないので。お墓参りもできて良かった……」
沈む玲美の美しい瞳は多少、寂寥の念をあらわしているのかもしれない。二泊のことだったがトップアイドルは人並みのことを楽しむのにも制限があるのか? 自由と引き換えにした知名度……望んだ人生なのであろうが……
「玲美さん、私、これからもファンであり続けますわ」
「ありがとう、八重子さん……」
ゆうべ、手料理を振る舞ってくれた八重子に礼を言う玲美。そして最後に、彼女は悟を見た。
「一条さん、いろいろと無理を言ってごめんなさい。こっちに頼れる人がいなかったの。だから……」
「頼ってもらうのが男の本懐さ。気にすんな」
悟はただ、そう言った。
「長距離運転、気をつけろよ」
玲美が乗ってきた赤いドイツ製ハッチバックの運転席に悟は声をかけた。
「大丈夫です。交代で運転しますんで」
シートベルトをつけた早子が窓を開け、こたえた。玲美が助手席である。
「しかし玲美さん、東京からここまで、よく運転して来られたな」
「こいつって、たまの休みの過ごしかたがドライブなんですよ。日頃鍛えてるドラテクが今回の“逃走劇”に役立ったみたいで」
親指で隣の玲美をさしながら早子は悟に言った。フレンドリーな話し方や冗談にも、どこか親しみが持てる。どこか対人間の壁を崩さない玲美よりも芸能界向きに見える。タレントのマネージャーとは、そういうものかもしれない。
「一条さん……」
助手席の玲美は悟のほうを見た。なにかを言いたそうにしているが……
「玲美さん、体に気をつけてな」
悟のほうが声をかけた。玲美は頷いただけで、結局なにも言わなかった。
「本当に、ありがとうございました」
早子は最後にもう一度頭を下げ、アクセルを踏んだ。
「さて……じゃあ、ちょっくら行ってくらァ」
ふたりが出発して数分後、悟は二本指をこめかみに当て、八重子に告げた。まだ、そんなに遠くには行っていないだろう。彼は出かけるため、玄関でスニーカーを履いた。
「一条さん、ご武運を……」
私服にポニーテール姿の八重子がブラックメタリックに光る筒状の“機械”を両の手で差し出した。さながら、戦におもむく夫を送り出す、武士の妻の如く……
「サンキュ」
悟は右手で受け取り、そして……
「おまえに“女を斬らせること”になっちまうかもしれねぇな……」
と、それに語りかけた。剣聖スピーディア・リズナーたる彼の愛刀オーバーテイクは、ただ漆黒の輝きのみを、主人に対するレスポンスとした。
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