わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 10


「玲美さんの“依頼”の内容とは、なんですの?」


 嫌な予感があったのだろう。庭で八重子が訊いてきた。時刻は午後十一時半。長旅で疲れたのか夕食後、玲美は客間で先に床についた。陰化性紋を持つ彼女をひとりにすることはできない。当分、ここに泊めるつもりだ。


「“これ”さ……」


 悟は自分の首のあたりに人差し指で一本線を引いた。それが国民的トップアイドル、杉浦玲美からの依頼だった。


「まさか、“殺してくれ”と言っているのですか?」


「ああ」


「そんな……!」


 肌寒い夜の空気がさらに張りつめるような表情を八重子は見せた。人外に取り憑かれた者が死を望むことは珍しくない。それは退魔士たる彼女も知っているだろう。


「なんとしてでも病院に連れていくべきですわ。今の状態ならば助かる見込みも……」


 陰化性紋で憑依体と契約をかわした人外は、早期のシンクロ的融合度を得る代わりに自分の力で発現することはできないとされる。つまり玲美の“精神的トリガー”が引かれない限りは安全だ。今のうちに霊的治療に対応した病院にかかれば、助かる見込みがある。だが陰化性紋を食い破って人外があらわれた場合、死に至る可能性は極めて高い。


「まァ、なんとか考えなきゃな」


 と、悟。玲美が“なにか”を隠している、と感じているのだが、そのことには触れなかった。


「つーか、まだいたのか? 遅いし、早く帰ったほうがいいぜ」


「冗談じゃありませんわ! 殿方と玲美さんをふたりきりにするわけにはいきません。私もここに泊まります」


「いやいや、大丈夫だよ。変なことはしないから」


「どうだか……ずけずけと女湯に入ってくるようないやらしい方の言うことなど信用できると思って?」


「だからァ、シャンプー忘れたって言ったろ」


 悟は頭をかいた。どうにも信用がないらしい。 






 八重子が客間に入ったとき、玲美はベッドで眠っていた。陰化性紋が“破裂”しない限りは大丈夫だが、それでもひとりにする気にならなかったのだ。悟から借りていたジーンズを脱ぎ、Tシャツと黒いパンティだけになった八重子は音を立てぬよう床に敷いてあった布団に潜り込んだ。


「八重子さん……?」


 ベッドからちいさな声がした。


「申し訳ありません、起こしてしまいましたか」


 八重子は半身を起こした状態で、玲美のほうを見た。


「いいえ、起きてたの。庭から声がしたものだから……」


 さきほどの悟との会話が彼女の耳に入ったかもしれない。興奮していたせいで、自分の声が大きかっただろうか。


「ねぇ……?」


 玲美は、こちらをのぞきこんできた。


「一条さんとは、いつ結婚するの?」


 そう訊かれ、八重子は顔が火照るのを感じた。


「ち、ち、違います……! 私とあの人は、そんな仲では……」


「違うの?」


「も、もちろんですわ!」


「じゃあ、わたしの“勘”が外れたのね。付き合っているのかと思ってた」


「冗談じゃありませんわ! あんな、いい加減で意地悪でどうしようもない人とお付き合いなんて……」


「じゃあ、嫌いなの?」


 玲美にそう訊かれると、言葉に詰まってしまった。


「好きとか嫌いとかではなくて……その……と、とにかく“仕事上”の関係ですわ」


「でも、一条さんって優しい人よ。わたしを気遣って、明るくしてくれていると思うの」


「あの人は、いつもあんなチャラチャラした感じですわ」


 その言葉とは裏腹に八重子自身、悟の考えはわかっていた。人外に取り憑かれた玲美にとって大切なことは精神の安定である。もちろん彼女の今後は自分で決めることだが、やはり病院に行かせるよう説得しなければならない。悟も同じ思いのはずだ。


(一条さんは、なにか“手”を考えているのかしら……?)


 布団をかぶった八重子は、かすかに期待しながら目を閉じた。






 鹿児島市南部、指宿いぶすきスカイライン沿いに大きな霊園がある。午前十時。悟と玲美は車でここまでやって来た。 


「ああ……なんか、すごくひさしぶりの眺め!」


 まわりに誰もいないせいか、変装用のサングラスを外した玲美。彼女の目が映した風景と同じ色に輝いた。


「たしかに、いい眺めだ」


 悟は言った。高台にあるここは鹿児島市内と桜島、そして錦江きんこう湾を一望できる。それらの向こう側にある大隅半島の山々までもがよく見える。この霊園は絶景が売りとして知られる。


 玲美の先祖が眠る“近江屋家之墓”は、霊園の中央付近にあった。上がっている花はすでに枯れており、灯籠や外柵のあたりに桜島の灰が堆積したまま湿っている。あまり人が来ることはないようだ。


「母と祖父母が眠っているんです……」


 先祖たちの名前が彫られている墓誌を見て玲美は言った。


「お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん……なかなか来れなくてごめんなさい。真由子は帰ってきました……」


 真由子……いや、杉浦玲美は涙を流した。上京して十年……親戚との付き合いをたった彼女は、これまで帰って来たことはないらしい。


「とりあえず、掃除するか」


 悟は言った。霊園の入り口にある花屋で借りてきたバケツを三個重ねて持っている。


「水をくんで来らァ」


「あ、わたしも行きます……」


「いいのいいの、君はここにいて」


 そして数分後、水をくんだバケツを両手と“頭の上”にのせて運んできた悟を見て玲美は笑った。


「見た目によらず力持ちなんですね」


 彼女は、まだ目に涙を浮かべている。そのうち半分くらいが笑いの成分を含んだものになっているのなら、ウケを狙った甲斐があった。


「こういうのはバランスが重要なんだよ」


 悟は両手のバケツを地面に置いた。次に頭の上にバケツをのせたまま、片足立ちした。


「この体勢でメシも食えるぜ」


「あら、お弁当買って来ようかしら」


「ウソウソ、今のは冗談」


「まあ、一条さんの一発芸を見られなくて残念だわ」


 墓の掃除は一時間以上かかった。火山灰を水で流し、墓石にこびりついた苔を雑巾で丹念に取った。黒ずんでいた花立は水道へ持っていき、そこでよく洗った。灯籠の周辺は手が届きにくいため苦労するものだが、時間をかければきれいになった。新しく花を立て、最後にカップ焼酎をそえた。


 線香の煙が薫る中、玲美は数分ほども手を合わせていた。目を閉じた美しい横顔からは心中をうかがい知ることはできない。彼女はただ、祈り続けていた。母や祖父母と会話をしているのだろう。


「一条さん……」


 玲美は立ち上がった。


「“依頼”、受けていただけますか?」


 それは“自分を殺してくれ”というものだった。


「ここで殺してくれたら、わたしの死体を運ぶ手間も省けるわ。母と同じお墓に入るのが、わたしの望みなんです」


「なぜ、死を選ぶ?」


 悟は訊いた。


「わたし、“生きている資格”がないんです」


「資格?」


 玲美は、ひとつ大きく息をつき、そしてこう言った。


「わたし、母を殺したんです」


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