時計塔を守れ! 13
数十年間、敷地の入り口に立ち、静林館高校に出入りする人たちを見守ってきた時計塔。それがこの日、一条悟と銭溜万蔵というふたりの剣客の勝負を見ている。平素、心臓部として動く歯車は、今はどちらかの命数を刻むため、音をたてているのかもしれない。時刻をあらわすための二本の針は、これからの両者の剣の挙動をさし示そうとしているようにも見える。
午前九時四十九分……長針と短針が重ね合わさったそのとき、両者の剣戟は開始された。見た目によらぬ速さで瞬時に間合いを詰めた銭溜の刀が悟の面を襲う。それはオーバーテイクの光刃によって受け止められた。時計塔の針と同様、ふたりの剣は邂逅をとげる運命だったのか?
「ムヒョヒョヒョヒョ、“只者”ではありませんな」
体格でまさる銭溜。自身の打ち込みを、いとも簡単に遮断したことに対する賛辞か?
「買いかぶりすぎさ。せいぜい“クセ者”ってところだ」
悟は言った。オーバーテイクの紅い刃が防ぐ銭溜の刀身は真正面にある。今、両者、鍔迫り合った近接の体勢。“気”を送り込んだ腕に持った剣で、銭溜の攻撃を目前にて止めた格好だ。
瞬時に剣を引く銭溜。そのまま、やや退がりざまに一刀。これを鼻先三寸でかわす悟。続いて突きが飛んできた。今度は悟のほうが小刻みに退がる。
だが、それはニ、三歩ほどのことだった。銭溜の攻めの間をかいくぐり、今度は悟がオーバーテイクを突き入れた。やはり右腕に気を送り込んでいる。それは電光にも及ぶ速さだ。
だが、手応えはなかった。銭溜の巨体は間合いの外である。
(へぇ、なかなか……)
内心、悟は唸った。図体に似合わぬ俊敏さを見せる銭溜に対してだ。実は今の突き、十中八九当たると思っていた。
「ムヒョヒョヒョヒョ、相当な腕ですな」
「あんたこそ、悪党にしちゃ上出来だぜ」
会話する両者の距離は大きく踏み込んで三歩半ほどに離れている。銭溜の後方には離れた場所から見守る教師や生徒らの姿があった。勿論、その中には不安そうな顔をしている多香子もいた。彼女が今回の依頼人だ。
(勝って安心させなきゃな……)
悟はオーバーテイクを右片手下段に置いた。一瞬、銭溜の体が動きかけたが、すぐに止まった。押し一辺倒というタイプではないようで、間合いは重視するらしい。こちらの誘いにはのらないか?
気を
一方、悟のような
今、銭溜は気を内的循環させているはずだ。だが、ヒットアンドアウェイでアウトレンジをとりたがる理由は悟の異能力の種類が何かわからないからであろう。そういう意味ではこちらのほうが有利とも言えるが、それで開幕は五分五分にもちこんだわけだから、たいした腕である。
だが、離れてばかりでは埒が明かないと判断したのか銭溜は斬りかかってきた。いや……やはり、この手合いは、まともなやり方はしてこない。動くと見せかけて止まった。
剣を持たぬほうの銭溜の左手が光った。悟は良い反応を見せ、首を右に振る。左耳のそばを何かがかすめる音がした。続く敵の撃剣は速い。
「ムヒョヒョヒョヒョ、小細工というのは、なかなか上手くいきませんな」
と、袈裟斬りに攻撃してきた銭溜。
「“ゴミ”はあとで拾っとけよ。ここは学校の敷地内だぜ」
とは、オーバーテイクで受け止める悟。最初に飛んできたものは暗器である。背後の地面に転がっているはずだ。
再び鍔迫り合いの状態となった。悟は腕を押し込もうとするも、銭溜のほうから離れた。やはり、のらりくらりとアウトレンジを維持したいらしい。
今度は追った。駆ける悟。だが、そのとき銭溜の刀が逆水平に払われた。空気が光り、渦を巻いたように見えるが違う。剣圧だ。銭溜は気を
悟は脚に気を送り込み、跳躍してさけた。そのまま上空から斬りかかろうとした。しかし、大地に立っていたはずの銭溜もまた、飛んだ。瞬時に気を内的循環させているのだろう。そちらの跳躍も高い。
両剣客の刃が空中でかち合った。ふたりが着地したとき、互いに十メートル以上離れていた。
悟は対峙する銭溜の後ろを見た。いつの間にか人が増えている。さきほどの時計塔を守る会の生徒たちや多香子ら教師の他にもだ。校舎内から出て来たたくさんの職員、生徒たちが“オーディエンス”となっているではないか。離れた位置に立つ彼らにとって時計塔を守るため戦う悟は、剣劇のヒーローにでも映っているだろうか?
(昔を思い出すな……)
悟は剣聖になった日のことを思い出していた。十何年も前のあの日、数万の観客の視線の中で彼はその資格を勝ち取った。史上最年少のタイトルホルダー誕生の日だった。スピーディア・リズナーは世界的スーパースターとなり、最後の剣聖となった。そして“偶然の剣聖”とも呼ばれた。
“がんばれ!”
誰かが叫んだ。その声が悟の耳に届いた。
“がんばれ!”
またも、声援。それは戦いを見守っている生徒たちの中から聴こえてくる。
“がんばれ!”
“時計塔を守って!”
“ウソつき退魔士をやっつけろ!”
自分に対するものだ。皆が時計塔を守る悟を応援しているのだ。
(おいおい、その辺にいると危ねぇぞ)
内心、苦笑した。実は周囲に気を配る必要があるので、この状況はやりづらい。銭溜が剣圧や暗器を使った場合、自分がよけることで彼らに被害が及んでしまうかもしれない。常に背後に人がいない位置に立つようにしていた。もっとも、銭溜も一般人に当たる角度で攻撃はしないだろうが……
(でも、やっぱり勝負の行方を見守りたいんだろうな……)
祈るような目でこちらを見る多香子の姿が悟の目に入った。そして、その横には雫がいた。騒ぎをききつけ、出てきたに違いない。そして、いつの間にかオーディエンスは百人ほどになっていた。生徒たちは皆、声援をおくり続けている。彼らは時計塔の命運を悟に託したのだ。
「ムヒョヒョヒョヒョ、そろそろ“本気”を出しますかな」
銭溜は刀をこちらに向けた。
「いいのか? その手のセリフは負けたあと、人生最大の汚点になるぜ」
悟はオーバーテイクを片手八相の位置に構え、言った。
両者、同時に踏み込んだ。先手は悟。オーバーテイクを上段から一閃したが、受け止められた。さらに一閃。銭溜は退きながら、いなす。悟のほうが追いかける形となったが、銭溜の防御は固い。後退しながら、こちらの剣を上手にしのぐ。だが前進し、インファイトにもちこもうとする悟のほうが足が速い。
生徒たちの声援は続いている。彼らの熱い思いが乗りうつったかのような一撃……悟のオーバーテイクが斜め上段から火を吹いた。だが、銭溜はそれすら受け止めた。またも鍔迫り合った。
悟はオーバーテイクを両手に持ち、押し込もうとする。耐えきれなかったのか、銭溜は後方へ飛び退く。前に出て追いかけようとしたそのとき、銭溜は空中で刀を逆水平に払った。またも剣圧だ。一瞬、悟の足が止まった。
生徒たちの声援が悲鳴に変わった。銭溜の狙いはこちらではなかったのだ。逆水平の終点にあたる位置、つまり悟から見て左側に剣圧が飛んだ。その先にあるのは時計塔だ。自力で破壊する気か?
悟は両手から左手一本に持ちかえたオーバーテイクを横に払った。こちらも剣圧を撃つため、気を外的放出させたのだ。このとき腕の動きに合わせ、上体が左側を向いた。
オーバーテイクの刀身から発生した剣圧は高速度で銭溜の剣圧を追う。悟の上体を開かせる銭溜の策略だったのだ。時計塔を守ろうとする行動を誘発するための……
わずかな隙だったはずだ。だが、それを見逃さず、凄まじい勢いで間合いをつめていた銭溜。急激にインファイトに転じてきたヤツの突きは、かわすことなど絶対不可能な速さとタイミングで悟の目前に迫っていた。
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