月桂樹の誓い

月桂樹の誓い 1


 鹿児島市中部にある郡元こおりもとは路面電車の線路を挟む格好で東西に広がっている。かつては細く、小さかった道路も今では二車線に拡張され、市内南部へと抜けようとする車を多く迎え入れる。そのあたりは平地で開けており、高い建物も見られるせいか、どこか幹線沿い特有のせわしい空気であるが、通りを一本入れば昔ながらの住宅地で古い家も多くある。そこから東の空を仰げば巨大な県庁と、さらにその先に桜島が見える。


 外れのほうに涙橋なみだばしがある。市内中域を流れる新川しんかわにかかっており、このあたりも車の行き来が多い。かつて処刑場があったことが、その名の由来というが、西南戦争の舞台となったことでも知られる。むかし、無数にあった人の生き死にを見てきたものが、こんな賑やかな場所にひっそりと残っているという事実は意識すれば不思議だが、脇を通る車たちは無意識の副産物であるけたたましいエンジン音と排気ガスを残して立ち去って行く。時代の流れという産物を我々に示すようにして……






 その涙橋から東へ数分歩くと、やけに広い“空き地”がある。住宅地の真ん中に穴があいたかのように存在するそこは百五十メートル四方ほど。立ち入りを禁止する目的で周囲にはられたロープの外にTシャツとジーンズ姿の一条悟は立っていた。長い睫毛と美しい瞳のうちに去来するものはなんなのか? それは本人にしかわからない。


 彼の一歩うしろに立つ薩国警備の鵜飼丈雄は制服姿である。時刻は正午すぎ。仕事の途中で抜けてきた。悟に会うためだ。


「昨日は助かった。礼を言う」


 鵜飼は言った。昨日、永吉にあらわれた人外を倒した件に対する礼である。そして、その“報酬”の件でここに来た。それは“情報”だった。


「人使いのあらいヤツだぜ、まったく」


 悟はポケットに手を入れたまま笑って答えた。


「畑野茜のことか?」


「おまえのことだよ」


 鵜飼流のジョークは通じたらしく、悟はさらに笑った。九月上旬の生ぬるい空気がふたりの会話に合わせるように流れるが、今日は雲が多いせいか、気温が三十度をまわってもそこまでの暑さは感じない。涼しくもないのだが……


「で、あんたが欲しがっている“情報”だが……」


 本題を切り出した鵜飼は正面に広がる空き地を見た。かつてここは三つの名があった。行政上のものとして“鹿児島中部自治特区”。世間一般では“鹿児島スラム”と言われていた。そして、ここの住人たちは“禁猟区”と呼んでいた。二十年ほど前に大火事で焼け、大勢の死者を出した。


「“組織”は現在も調査はしているらしい」


 と、鵜飼。彼らEXPERは自分たちが所属する薩国警備のことを組織と呼ぶ。


「もっとも、調査本部は形骸化してるがな……」


 そう語る24歳の鵜飼は当時のことをよく知らない世代だ。この禁猟区は密入国者や犯罪者、およびその家族などを受け入れていた。いわくつきの人たちが住むここは行政を受けない代わりに自治が認められていたという。


「あんたは、ここの住人だったのか?」


 鵜飼は訊いてみた。悟はなにも答えず、表情も変えず空き地となった禁猟区を見ていた。それこそが回答なのかもしれない。


「“組織”は、あんたを囲いたがっている」


 鵜飼は言った。


「俺みたいなならず者を囲ってどうする?」


 悟は訊いた。


「ならず者だからこそ、野放しに出来ないのかもしれんが、利用価値があるとも判断したのだろう」


「利用ね……」


「俺からは、組織の監視におさまるような礼儀正しい人間ではないと伝えてある」


「正しいな」


「近々、俺はこの鹿児島スラム大火災の調査本部の一員に任命される」


「俺の目の前にエサをぶら下げるつもりか」


「おそらくな」


 鵜飼は薩国警備実動本部の隊長職と兼任することになる。達しがあったのは一昨日の夜だった。


「一条さん、あんたもわかってはいると思うが、組織がどこまで本腰を入れるかは怪しい。あんたを囲うための建前に過ぎないのかもしれん」


 かねてから超常能力実行局鹿児島支局、つまり薩国警備は、組織に所属していないフリーランス異能者に仕事を依頼することが多かった。人外の存在や異能犯罪者への対策として迅速な行動が要求されるためだが、そういったフリーランスが犯罪に走らぬよう牽制する目的もあった。無論、同じことは日本中の超常能力実行局支局で行われている。


「もちろん任命された以上は、出来る限りのことは調べる」


「ありがたいね」


 と、悟。薩国警備は禁猟区を壊滅させた“犯人”の情報を提供する代わりに、悟に正式なフリーランス資格取得を要請しているのだ。彼が死んだはずの剣聖スピーディア・リズナーであることを知るのは鵜飼と部下の畑野茜、そして薩国警備の上層部というわけである。


「だが、どこまでやれるかはわからん。そもそも、この件は組織が関わっている可能性もなくはない。あんたの後ろ楯となっている藤代会長の関与すら考えられる」


 鵜飼は言った。悟は答えず、かつて禁猟区と呼ばれていた空き地に目を向けていた。


 子供のころ、剣聖スピーディア・リズナーのファンだった鵜飼。憧れていた男が今、隣にいるという事実は少し不思議な感覚でもある。だが、それを語ることは生涯ないだろう。悟の美しい横顔を見ると、熱狂の記憶が戻らぬこともないのだが……


「もし組織が関わっていたら、あんたは“復讐者”となるのか? そうしたら、あんたと俺は敵対することになる」


「俺がほしいのは“ペイトリアーク”と呼ばれる男の情報だ」


 悟は言った。この禁猟区の“長”だった男のことらしい。大火事のあと、その行方は知れない。


「一条さん、あんたが帰って来た理由は、この件なのか?」


 と、訊く鵜飼。剣聖スピーディア・リズナー……一条悟は、ある犯罪組織から身を隠すため、生まれ故郷の鹿児島に帰って来た、はずである。


「いや、潜伏が目的だよ。ヤツが生きているかどうかなんて、わからねェからな」


「なら、死んだと思っているのか?」


 その問いに対し、悟はなにも答えなかった。彼の表情を見て心中を察することは鵜飼にはできない。


「結論から言えば、ペイトリアークの件は出来る限り調査する。そのかわり、あんたにはフリーランスとして、こちらの依頼を受けてもらう」


 そう言って鵜飼は悟を見た。だが、やはり“最後にして偶然の剣聖”と呼ばれる男の表情は変わらぬものだった。

 

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