人外ストーカーバス 4

 平峰伸夫ひらみね のぶおは三十八歳。二ヶ月前まで藤代バスの運転手だった。勤務態度は真面目で、同僚からの評判も悪くなかった。入社して十二年間、一部の言いがかり的なものをのぞけば客からのクレームもなく、優良な社員として責任をまっとうしてきた。社内で表彰されたこともある。


 今年の三月。急に低採算路線への配置がえを言い渡されたとき、少し不満もあったのだが会社の方針にしたがった。現場人の立場では上の意向に逆らうことが難しいが、平峰自身、軋轢は避けたかったのである。


 そこで彼は、ひとりの女性客に目を奪われた。車内で部活帰りの静林館高校生徒たちと挨拶をかわすところを見ると教師なのだろう。それが村永多香子だった。眼鏡をかけた知的な雰囲気がいいと思った。メイクは常にナチュラルで、服装や髪型にも派手なところがない。上品で育ちが良さそうな女だ。


 今まで脇目もふらず真面目にやってきた平峰の中で“なにか”が変わった。非番の日に何度か多香子を待ちぶせし、おもいを伝えた。だが断られた。バスの中で彼女を見つめ続けた。運賃箱に金を入れようとした手を握り手紙を渡したこともある。やがて多香子を自分のバスで見なくなった。彼女が時間を遅らせるようになったからだ。


“体調でも崩しているのではないか……?”


 心配した彼は静林館高校のある生徒に接触した。金を払い、多香子のアパートを聞き出した。ドアの表札から名前を知ると、プレゼントをおくりつけるようになった。宝石や服もあったが食べ物が多かった。元気をつけてもらおうと思ったのだ。特上のうなぎや寿司、ネットで購入した高価な高麗人参やサプリメントなど。すべては彼女のためだった。だが、送り返されてきたため余計に心配になった。


“おくゆかしい彼女は遠慮をしている”


 そう考えた平峰は学校に電話をするようになった。多香子が出ないと、同僚たちから彼女の様子を聞き出そうとした。


 やがて警察が来た。“つきまとわれ、彼女が精神的な苦痛を受けている”と言われた。平峰自身にそんなつもりはなかったので反論したが聞き入れてはもらえなかった。ストーカー規制法に抵触する可能性があるとのことだった。


 翌日、彼は突然に解雇を言い渡された。静林館高校から勤務先の藤代交通に抗議があったのである。ストーカー行為がばれた平峰は職を失った。二ヶ月前のことだった。






「やあ、君も僕と同じだね」


 解雇された平峰は藤代交通本社営業所裏の広い車庫にいた。そのすみの白線内に彼が乗っていたバスが停まっている。屋根がない場所であるため、野ざらし日ざらしの状態だ。洗車されていないらしく、うす汚れたボディがあわれを誘う。年式古いこのバスもまた、リストラ対象だった。最近、不具合が何度か出たため、解体されるのを待つ日々だ。


 修理すれば、まだまだ走ることが出来る。だが会社は近年、デザイン的にもすぐれた海外メーカー製低床式バスの導入に積極的で、旧式車体の整理につとめてきた。数日中には解体業者が来るはずだ。


 平峰はバスのフロントマスクに手を当てた。この日は梅雨どきで空が暗かったため、車体の熱はさほどない。だが太陽が出ると紫外線に晒され、雨がふればびしょ濡れになる。会社の収益獲得に貢献してきた“功労車”なのだが、上の都合で廃棄される。


 愛着らしきものもあるこのバスで多香子と同一の空間を共有していた。たしかに存在した時間だった。だがそれは二度と戻ってこない。恋はやぶれた。無関係な他人の介入によって……


「僕も今日で“お払い箱”さ。いや、四角い君のほうが“箱”っぽいね」


 かるく車体をなでながら、平峰は言った。彼自身は中肉中背といったところだ。


『ソウダネ……キミモ、ボクト、オナジダネ……』


 声がした。どこからだろう? いや、本当に声なのか? 耳ではなく頭に響く。


『ボクハ、マダ、ハシレルノニ、コワサレルンダ……』


「ああ、そうだ。僕も走れるのに、クビになるんだ」


『ニンゲンハ、カッテダヨ』


「そうだね。人間を代表してあやまるよ」


『キミハ、カノジョヲ、トリモドシタクハナイカ?』


“声”がそう言った。平峰は頷いた。無関係な警察や同僚ら周囲の人々にそそのかされた彼女を取り戻したい。


『デハ、ボクノ、“ココロ”ニ、フレテゴラン……』


 平峰は、その声に従った……






「あなたは……?」


 多香子は恐怖した。彼女を悩ませてきたストーカー運転手、平峰伸夫が目の前にいる。悟と別れたあと乗ったバスの姿は周囲にはない。すぐ横にあるセダンに乗せられて、ここ入来峠に連れてこられたのだ。


「目がさめたんだね、多香子……」


 平峰がゆっくりと近づいてくる。多香子は逃げようとしたが身体が重い。思うようにならない。


「助けて……」


 彼女は言った。眼鏡の奥の目から涙が流れる。


「こんな時間、こんな山の中に誰も来ないさ。僕と多香子だけの場所さ」


 目の前に立たれた。平峰が冷たい手で顔をなでてきた。抵抗できない。


「綺麗だ……僕の多香子……」


 次に眼鏡を外された。多香子は目が悪いため、視界がぼやける。


「眼鏡をかけた顔もいいけど、素顔もかわいいよ」


 よく見えなくとも平峰の顔が近づいてくるのが判る。


「いや……ゆるして……」


 許しを乞うた。


「今夜、僕と君は“契る”んだ……」


「いや……」


 なんとか拒絶しようとする多香子。だが、再び意識が朦朧としてきた。倒れそうになるが平峰が支えた。


「はな……して……」


 それが最後の言葉……意識を失った。“負の気”にやられたのである。

 

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