大統領令嬢は剣聖がお好き?

大統領令嬢は剣聖がお好き? 1


 盆が過ぎた。八月も終盤にさしかかるが、日中の暑さが弱まる気配はない。三十度をこえる猛暑が続き、鹿児島のローカルニュースは毎日のように熱中症の危険をうったえる。暑い暑いと人が言えば余計に暑さが増すような気がする。街ゆく人たちはうんざりした顔で、上空からの紫外線に灼かれ、アスファルトからの高熱に気力を溶かされながら今日を生きている。


 一条悟が住む借り物の洋館が建つ、ここ城山は木と山に囲まれた場所だ。街なかと違い少しは涼しいかといえば、そうでもない。自然から発散される暑さは多分に湿度を含む。コンクリートジャングルが発する人工的な熱に慣れると、むしろこちらのほうが不快を体感するのではないか。じめじめとした空気は体力も行動力も削ってゆく。人間は文明の中で交配を重ねた結果、自然と共生することが困難な種へと退化しているのかもしれない。


 ────お願いできないかしら?


 スマートフォンの向こうで、藤代真知子が言った。


「おいおい、俺は潜伏中の身だぜ?」


 ベッドに寝っ転がりながら、悟は言った。部屋はエアコンがきいている。“仕事”によっては熱帯雨林の異常な湿度にも、砂漠の熱波にも耐え抜いてきた彼だが、それでも暑さは感じるものだ。


 ────そこを、なんとか……


 その声に悟は真知子が手を合わせる姿を想像した。“昔の彼女”がものを頼むときに、よくする仕草だった。


「薩国警備の連中に頼みゃいいじゃねえか」


 ────“彼女”は政治外交とは無関係に、お忍びでやってくるのよ。地方公共団体が関与する薩国警備に任せたら、あいさつ回りだのなんだのでプライベートが制限されてしまうわ。報告義務が発生するもの……


 南米の国、ストラビア共和国の大統領令嬢が極秘で来鹿する。真知子は悟に彼女のボディーガードを依頼しているのだ。


 ────今、フリーランスで動ける人の中で、私が頼れるのは悟さんだけなのよ


 なぜ、真知子が絡んでいるのかというと、ストラビアの国立異能者組織ブリージョ・デ・ソルが藤代アームズ製の武器を一部公式装備としているためである。つまり“客”ということになる。


 ────大統領から直々に“娘のボディーガードはいないのか?”と電話があったの。お得意様だから、断ることができないの


「だからって、俺に……」


 ────報酬は払うわ。ねぇ、お願いよ


 昔から真知子の頼みを断ったことはない悟である。なんでもきいてきた。たとえそれが無理難題であっても……






 ストラビア共和国は、政情不安の南米にしては治安が良いといわれる。鉱業が盛んで、それが収益の大部分を占めている。現大統領のセルヒオ・ナバーロは祖父の代から国政にたずさわる政治家一家の生まれであり、三代にわたる民主化をおしすすめてきた。国民からの支持率は高い。


 しかし、大統領選を間近に控えた先々月、“事件”があった。学校を視察した帰り、異能者による襲撃を受けたのである。強硬派の対立候補ホルヘ・ロメーロの関与が疑われており、国内は今、不穏なムードに揺れている。


 ────さすがに日本国内なら安心だけど、形式だけでも護衛が必要なの。腕が立つ人なら、なおさら体裁が整うわ


「まさか、おまえ、俺の正体を……?」


 ────言ってないわ。悟さんのことは鹿児島でナンバーワンのフリーランス異能者と伝えてあるわ


 剣聖スピーディア・リズナーは、世間では死んだことになっている。異能業界のスーパースターたる彼の出身地が鹿児島だとは知られていない。


 ────だけど彼女も人質として、対立候補から狙われる可能性があるわ。だから……


「だけど、なんで狙われるかもしれないこんな時期に観光旅行なんだ?しかも、鹿児島に……」


 ────立ち入った理由かもしれないので訊いていないわ。ただ、彼女の祖母は鹿児島の人なのよ


「クオーターってことか」


 そこに来鹿のわけがある。悟は、そう考えた。






 鹿児島空港は茶の産地としても知られる霧島市溝辺にある。敷地面積187万平方メートル。鹿児島市から四十キロほど離れているが、高速を走れば一時間もかからずに到着する。周囲はホテルやレンタカー店などが並ぶ、まさに空の玄関口だ。


 中心から離れると立派な茶畑が並ぶ。鮮やかな緑の上を航空機が低空で飛ぶ光景は、ここではよく見られる。ときおり猛暑を和らげるかのように吹く清涼な風は、霧島連山の方角からやって来るもので、昼夜の寒暖差を作り出す。それが茶の味を決定づけるという。


 流暢なアナウンスが流れる空港内。盆の最中ほどには混雑しないが、夏休みのせいか平日のこの日でも人は多い。土産物屋で品物を物色する人たちの目が輝いて見えるのは気のせいではないだろう。旅行という特別な状況は、心踊るものである。食堂も結構な入りで賑わっている。


 ストラビア共和国大統領令嬢、アニタ・ナバーロは一階の到着ロビーにいた。羽田を経由して辿り着いた彼女がいるのは国内線ターミナルである。身長163センチ。ウェーブのかかったダークブロンドのロングヘアに包まれた顔には祖母から受け継いだという日本人の血が残しているはずの面影は見られない。いや、残っているからこそエキゾティックな魅力があるのだろうか? 南米美女が持つ彫りの深さを持つ一方で、令嬢らしい品の良さを感じさせる。だが、それは首から上を見ただけの印象だ。スリーサイズは上から94、63、90。白いタイトな柄プリントのTシャツは豊満な肉体をいっそう強調させている。肉感的な太股をつつむスキニーシルエットのレギンスデニムはロールアップしており、足首からふくらはぎの一部にかけて露出している。下はピンヒールだ。


 アニタは周囲を見回した。真知子が紹介してくれたボディーガードが来ているはずである。日本人は時間に正確だ。


「君がアニタ・ナバーロさん?」


 背後だ。そちらへ振り返る……


「あ、あなたが……?」


 彼女は驚いたようだった。ボディーガードに選ばれた男、一条悟の美しい姿を見たからだろうか?

 


 


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