ふたりの老人(下)
南日本放送本社や短大、各種専門学校が建つ鹿児島市、
市街地を南北に分ける
庭の中央……広いここにふさわしい、でかい池がある。その縁に老人がいた。足が悪いらしく車椅子に乗っている。豊かな総白髪は丁寧に整髪されており、チャコールの大島紬を着ている。今は午後二時。この時間、鯉に餌をやるのが習慣となっていた。
年齢は八十をこえている。だが、顔だけ見れば、まだそこまで歳をとってはいない。築いた地位と財産ほどには年輪が刻まれなかったらしく十ほど若い印象である。悪いのは足くらいのもので、医師からは“今すぐ現場に復帰しても大丈夫”などと診断される。身長は百八十センチ近くあり、体格も良い。
隆信は鹿児島で異能者の武器を作る職人のひとり息子として、この世に生を受けた。幼いころから自宅の工場で厳格な父より技術を叩き込まれた。当時は戦争のさなかだった。
戦後、父が亡くなり、工場を継いだ隆信は若くして一部の異能者からの圧倒的な支持を得た。彼が作る武器は、父親譲りの優れた性能を有していたが、なにより見た目が美しかったのである。幕末期の薩摩切子に着想を得たとされる装飾は、人外を殺傷するための道具に優雅な華を付加した。日本国内のみならず、海外からも注文が相次ぎ、隆信は人気武器職人としての地位を確立することとなった。
鹿児島から海外に目を向ける……という隆信の視野は広かった。法人化にともない工場に“藤代アームズ”の看板を掲げた。当時、まだ珍しかった横文字を使用したことは野心のあらわれだったのかもしれない。人を雇うようになり生産規模が向上した。大起業家としての一歩を踏み出したのである。
この時期、隆信はアメリカから買い付けたスーパーコンピュータを武器製作に導入していた。主に重量配分の計算に使うことで、より高性能の商品を作り出していたわけだが、取引状況によっては個々に合わせたオーダーメイドにも対応でき、また完成までの時間を短縮することにも成功した。“長年培った腕と勘こそが我々の命”と語る昔気質の職人たちからは批判されたが、どこ吹く風を通した。客と世間の評判こそが彼の“命”だった。
その後、隆信に追い風が吹いた。国や地方公共団体が関与する新しい異能者の組織、超常能力実行局が誕生したのである。それまでの主要な取引先だった退魔連合会に次いで、大量の武器を売り込んだ。超常能力実行局は東京に本局を置き、全国に支局を有するため、日本中が商売相手となった。海外の異能者組織からの受注も好調で、経済成長と歩調を並行し、藤代アームズは鹿児島から生まれた有名企業となった。
のちに超常能力実行局鹿児島支局は法人格を得て、薩国警備という名の警備会社の体裁をとった。隆信は株主となり商品を送り込んだ。関連企業間で利益を留保することが目的だったが、結果的に彼は鹿児島の異能業界に多大な影響力を持つ立場となった。現在、株は手放しているが、いまだにその影響力は大きい。
隆信は車椅子に乗ったまま、池に餌を投げた。数匹の鯉が競うようにして飛びつく様は若いころの……野心に燃えていたころの彼の姿に似ているのかもしれない。歳をとり、かつてのエネルギーはないが、今でも周囲は自分の顔色を伺う。墓に入るまで、自分は抜きん出た存在であり続けるのだ。
「よう!」
明るい声に、餌をやる手が止まった。横に目を向けると中年の女性を連れた一条悟が立っていた。その笑顔は夏の直射日光を受け、生命美の極致に達している。
「おまえか……」
隆信の声は渋い。工場で弟子の職人たちを叱咤していたころよりも重厚なものになっていた。
「なにをしに来た?」
「かくまってくれていることに対するお礼、兼挨拶さ」
どうやら知らぬ仲ではないようだ。悟はある組織に終われ、潜伏中の身である。
「あれは孫が勝手にしたことだ。私は知らん」
「でも、あんたが“許可”してくれたんだろ?」
悟はストレートジーンズのポケットに手を突っ込んだまま話をしている。“薩摩の怪物”とも呼ばれる老人の前で、こんな態度をとることができるのは彼くらいのものであろう。
「誰が、こんな無頼の輩を通せと言った?」
隆信は低い声で悟の傍らに立つ中年の女性に言った。
「申し訳ありません、旦那様」
彼女は
「悟様が久しぶりに来てくださって、嬉しさのあまり思わず通してしまいました」
さわ子は笑いながら言った。内向きのことはすべて彼女にまかせてある。家事全般苦手という点で、悟と隆信は同類だ。
「ああ、私、冷たいお茶を持って来ますね」
そそくさと、さわ子はこの場を去った。男ふたりが残された。
「真知子は“元気”かい?」
悟は訊ねた。それにこたえず、隆信はまた鯉に餌をやりはじめた。
藤代真知子が社長をつとめる藤代アームズは、今では藤代グループのいち関係会社となっている。景気の潮流に乗り、多方面へと進出した結果だった。鹿児島県内のレジャー、交通、深夜営業のスーパーなどがグループ収益の大部分をしめるようになり、現在、創立時の看板だった武器製造は経営規模全体の中では見劣りする立場である。
バブルの崩壊後、東京や大阪などにある企業が安価で頑丈な武器を製造販売するようになった。藤代アームズの製品は起業者である隆信の職人時代の信念とイメージを貫き、今でも美しい外見と高性能を誇るが、高額だという理由で異能業界内での不評をかっている。現在では膝元の鹿児島県内でもシェアトップではない。
「おまえが来ると、ロクなことが起こらん。茶を飲んだら、すぐに帰れ」
「まったく、神宮寺の爺さんと同じく、口が悪りィな。片足棺桶に突っ込むと毒舌になるのかね」
自分のことを棚の最上段にあげ、苦笑する悟。昨日会った好爺老師こと神宮寺平太郎のほうが隆信より若い。
さわ子が車輪付きのキッチンワゴンにのせたアイスティーを持ってきた。
「お話、進んでいますか?」
彼女にそう訊かれた悟は、グラスの横に添えつけられたガムシロップを入れると、ストローでかきまぜた。
「うんにゃ、全然」
と答えて悟は、ひとくちをつけた。
「うん。やっぱり、さわ子さんがいれたアイスティーが一番美味いね」
「あら、悟様。しばらく見ない間に、お世辞が上手になったんですね」
悟は一気に飲み干すと、グラスをワゴンの上に置き、手を振った。
「まぁ、お帰りですか?」
と、さわ子。
「ああ。旦那様が“茶を飲んだら、すぐ帰れ”って言うんでな」
立ち去る悟の背中も見ず、隆信は鯉に餌をやり続けていた。
『ふたりの老人』完。
次回『大統領令嬢は剣聖がお好き?』(1月9日より開始)につづく……
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