剣聖の記憶 〜月下の美影〜(下)


 超高速で飛来する凶器がハリーの目には見えただろうか? 過去の栄光を振り返り、また自ら犯した罪を悔いる時間があっただろうか? いや、そんな余裕など与えぬほどの一瞬だった。ハウンドが投げた鎖鎌よりも速く、ハリーの体が宙に浮いた。ベンチから立ち上がった悟が、その巨体を抱きかかえ、飛んだのだ。


「ほう……?」


 戻ってきた鎌をキャッチしたハウンドが感嘆した。事の顛末にはまだ至らぬが、月が再び雲の中に姿を消した。


「あなたこそ何者です? ただの美青年ではないようですが」


 暗闇の中、ハウンドは訊いた。


「通りすがりの者さ」


 とりあえず目前の死から逃れ震えているハリーを傍らに置き、悟は言った。


「どうやら、あなたを倒すことが先決のようですね。そちらの男は、いつでも殺せます」


 ハウンドは柄を左手に持ち、右手で鎖に繋がれた鎌を回転させた。いつ投げるか、判断を誤らせる魂胆であろうか?


 対する悟は、ジャンパーの内側から一本の黒い筒状の“機械”を取り出した。ショルダーホルスターの中に隠していたそれは長さ三十センチほど。先端から発する赤い光が斬突部を形成した。異能業界のスーパースターたる彼のトレードマーク。真紅の光剣“オーバーテイク”だ。


 異能者が放つ“気”は特定値の電流を与えることで硬質化する。その特性を利用して作られたこの光剣は鹿児島にある藤代アームズ製だ。悟が扱えば、人外すら真ッ二つにする。


「あなたのその美しさ、そして血のように赤い光剣ホーシャ。知ってますよ。最後の剣聖……」


 その名を知らぬ異能者など、この世にいるだろうか? 最後にして“偶然”の剣聖とも呼ばれる彼は、世界中の少年少女たちの憧れの的……


「そして、あなたを殺せば、私の名声が上がるのです!」


 ハウンドは鎖鎌を投げた。悟はオーバーテイクを横に払って弾いた。


「ならば、これはどうです?」


 戻ってきた鎌を、再び投げるハウンド。今度は腰が抜けて動けないハリーを狙った。悟が間に入る。


 月光輝かぬ暗黒の夜空に甲高い音が鳴った。鎌が宙を舞い地面に突き刺さる。だが、同時に剣を持つ悟の右手首に鎖が巻き付いていた。目の前で分離したのだ。


「捕まえましたよ」


 と、ハウンド。すると彼が着ているコートの両袖が破れた。腕がたくましく隆起したのだ。“P型”と呼ばれる超常能力……それは“とてつもない怪力”を発揮する。


「終わりです」


 極太の腕を引いた。するとオーバーテイクの光が消えた。ハウンドは巻きつけた悟の手首を強靭な腕力で引きちぎったのだ。P型の超常能力ならば、容易いことである。


 鎖を引き寄せたハウンド。光を失ったオーバーテイクのみがそこにある。巻きつけていたものはそれだった。今は、月ささぬ夜闇……


 互いの距離は一瞬にして縮まっていた。ハウンドは丸太ン棒のような鉄拳で迎え討つ。鎖の先端からこぼれたオーバーテイクを健在の右手で掴み、同時に跳躍する悟。神業と速業を両立させる彼こそが剣聖スピーディア・リズナーである。


 月が出た。今になれば何故、雲に隠れていたのかがわかる。悟の美しさは月の女神の心すら奪うのだ。右手のオーバーテイクが紅く発熱し、刃を実体化させた。


「剣聖ッ!」


 地上のハウンドは空に鎖を投擲した。しかし光剣に弾かれる。女神は勝敗の行方よりも、月光を背に舞う悟の姿を見たかっただけなのかもしれない。それは夜空に輝く蝶にも似るが、猛禽のような力強さをあわせ持つ。


 片手右上段から振り下ろされた剣が、ハウンドの体を脳天から両断した。勝者となった悟は着地と同時に光の刃を収めた。


「お、おめぇは、一体……?」


 かつて偉大なメジャーリーガーだったハリーは、地べたにへたりこみ、まだ震えている。


「こいつは、あんたが今付き合っている女に依頼されたのさ」


 肉塊と化したハウンドを見ながら、悟は答えた。


「ど、どういうことだ?」


「あんたからの度重なるDVに耐えられなくなったのさ。警察が相手をしなかったので、殺し屋を雇った」


「あ、あの糞アマァ……!」


 ハリーは喚き散らし、かつて伝説を作り上げた左腕で地面を殴りつけた。何度も、何度も……


「そして、殺し屋からあんたを守ってくれと俺に依頼したのは、あんたがさっき殺した“元妻”だ」


 悟の言葉を聞き、ハリーは左手を止めた。


「キャサリンが、なぜ……?」


「このハウンドって殺し屋は、あんたの元妻に“キャンセル料”をふっかけたのさ。殺してほしくなければ“倍額”を払えってね」


 信用第一のこの業界でも珍しくないことである。暗殺の対象となる本人もしくは親しい者に交渉を持ちかけ、元の依頼料よりも高額を得ようとする手法だ。結果的に依頼人を裏切る形となるので同業者から特に嫌われるやり方だが、上手くいけば手を汚さずに大金が手に入る。ハウンドはハリーの元妻キャサリンに接触したのだ。


「彼女は賢かった。自分で解決しようとしたら、事態はもっと悪くなる可能性があった。ハウンドが金をせしめたあと、あんたを殺せば、両取りできるからな」


 キャサリンは探偵事務所に相談した。そこの調査員が悟と馴染みだったのである。彼女は紹介された悟に元夫を守ってくれと依頼した。それはマイナーリーグ時代からハリーを支え続けた糟糠の妻の必死の願いだった。


「どうして、俺のために……?」


「彼女は、あんたとやりなおしたがっていたのさ」


 そう言って悟はハリーに目を向けた。返り血を浴びた姿も美しい。


「“あの人は私が支えなきゃダメだから……”そう言っていたよ。あんたが分割して払っていた慰謝料には手もつけてなかった。それは二人でやりなおすための資金だった」


「あぁ……あぁ……」


 ハリーは泣いた。


「お、俺は、俺はキャサリンを殺しちまった……」


「そうだ。おまえは彼女を“殺した”……」


「俺は馬鹿だ、馬鹿野郎だ……」


「まったくだ。おまえは救いのない大馬鹿野郎だ」


 そう言って悟は背を向けた。


「ま、待て。待ってくれサトル! 俺は、どうすりゃいいんだ……?」


 立ち去ろうとするうしろ姿にハリーは問うた。


「愚問だな。殺したのは、おまえの意思だろう?」


「俺は、知らなかったんだ。あいつが、俺とやりなおしたがっていたなんて」


「知らなかった? 浪費家でだらしないおまえを懸命に支えてきた彼女の心もか?」


「だから言ってるじゃねぇか! 俺は馬鹿だってよ!」


 ハリーは地面に突っ伏し、涙を流し続けた。かつて栄光に輝いたこの男の巨体も、こうやって見ればやけに小さくなるものだ。


「キャサリン、すまねえ……俺は、俺は、とんでもないことをしちまった。なんて詫びりゃいいんだ? 殺しちまったおまえに、なんて詫びりゃいいんだ……?」


 そのとき携帯電話が鳴った。


「ふぅん、そうか」


 数秒ほどの短い通話を終え、悟は携帯電話を閉じた。


「どうやら、俺の“勘違い”だったらしい。キャサリンは一命をとりとめたよ」


 その言葉を聞いたハリーが涙と鼻水にまみれた顔をあげたとき、悟は歩きだしていた。なぜ“嘘”をついたのか? あわれなこの男が悔い改める姿を見たかったのかもしれない。


「サ、サトル……教えてくれ! 俺は、どの面さげてキャサリンに会えばいいんだ?」


 かつて偉大なメジャーリーガーだった彼が訊ねたのは月光が作り出す美しい影……月の女神に愛された剣聖はなにも答えず、冷たい夜闇へと消えていった。






『剣聖の記憶 〜月下の美影〜』完。

次回『ふたりの老人』につづく……

 




 


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