帰鹿した剣聖と薩国警備 5
超常能力実行局鹿児島支局実働本部第七隊隊長、鵜飼丈雄。多くの少年少女たちがそうであったように、彼もまた剣聖スピーディア・リズナーのファンだった。同じ日本人のスーパースター……世界中を駆け回り、人外の存在や異能者と闘うその姿に憧れたものである。ニュースで報道されればテレビにかじりつき、新聞の関連記事を読みあさった。異能を持って生まれた同世代の者ならば、誰もが通る道だったのだ。
薩摩川内市にある育成機関を経て、超常能力実行局鹿児島支局、つまり薩国警備に“入社”してしばらくの後、スピーディア・リズナーが鹿児島出身だという噂を聞いた。世間には公表されていなくとも局内では有名な話だったが、憧れの存在が同郷であると知り、余計に尊敬をつのらせた。鵜飼が十代の頃である。
超常能力実行局に所属する超常能力者をEXPER(エスパー)という。その立場になった鵜飼は、人外や異能犯罪者との戦いに身を置く中、次第にスピーディア・リズナーに対する憧れを忘れていった。激務に忙殺されていたことが理由だったのだろうが、自分が成長したのも事実である。手が届かないような高い位置にいる者への憧れ……そこから卒業するに足るほどに彼は強くなった。鹿児島の異能業界最強の一角と呼ばれるほどに……
現在、24歳。薩国警備最年少の隊長として実働本部に所属する鵜飼は、ある日、“上”から任務を言い渡された。死亡を装って帰鹿する剣聖スピーディア・リズナーの“護衛”である。藤代アームズ社長、藤代真知子からの依頼だった。
昔、感じていた憧れがよみがえった。同時に戦士としての向上心も……両者入り混じると複雑な思いへと変質したが、手合いを決意させるのに充分な動機でもあったのだ。かつて憧れた存在を打ち倒すことで自身の強さを再確認する。実際に出会い、余計その思いは強くなった。茜が感じ取っていた鵜飼の異変は、一条悟という男の帰郷が原因となっていた。
鹿児島市北部にある
一方で山手のほうに入ると、民家は少なくなる。休日になると家族連れが多く訪れる県立吉野公園付近も、平日は車の影がまばらで静かなものだ。そこから少し行ったところにある
夜十時……誰も入り込まないような寺山の奥地に“私有地につき立ち入り禁止”と書かれた看板が立っていた。その脇にある舗装路を車で登っていくと照明つきのゲートがあり、制服姿のEXPERが数人がかりで警備をしていた。その先に数戸の建築物が並ぶ様は、軍事基地を思わせるものである。
ここは藤代アームズの研究施設なのだ。異能者たちの武器を開発するため、各種実験やテストが行われている。敷地の総面積は二万五千平米ほど。結構な広さであり、日中ならば多くの職員の姿を見ることができる。警備のEXPERたちは雇われており、昼夜問わず交代で常駐する。セキュリティシステムは強固で、企業秘密も中で働く者の安全も守られている。
敷地の外れのほうに高さ十メートルほどの塀で囲まれた一角がある。縦横七十メートルほどにわたる広さで、外からは見えない。中に入ると、内壁に設置された巨大な電光掲示板が目につく。地面は人工芝がはられており小さな球技場のような印象を受けるがゴールポストも観客席もない。五十メートル四方に白線が引かれており、その外側、ちょうど正方形の辺の中間にあたる場所それぞれに四戸のガラスばりのちいさな建造物がある。普段、ここは武器開発のためのテストが実施される場所だ。武装させた異能者同士を戦わせ、データをとったり品質の確認をするのである。
対決は、ここで行われることになった。鵜飼が出した果たし状に対し、悟は“一般的な様式に従う”と回答したのだ。鹿児島の異能業界では、この場所がよく使われる。所有者である藤代アームズの許可を得ることができればの話だが、薩国警備の隊長職をつとめる鵜飼ならば顔パスに近い状況で借りられる。
ふたりは白線が引かれた巨大な正方形のちょうど中央で向き合っていた。体格差は歴然であり、細身で優男の悟が強者とはとても思えない。縦横とも鵜飼のほうに圧倒的な迫力があった。
「では、これより一条悟様と当局員、鵜飼丈雄の“練習試合”をはじめます」
立会人をつとめる薩国警備の畑野茜が言った。その横に津田雫が立っている。練習試合というのは名目的な呼びかたに過ぎない。勝負とか果し合いなどという物騒な単語を出さないのは、大人の事情である。
「電光掲示板に表示される数値が三百を超える単発ダメージを与えるか、相手を気絶させるか、勝利条件はこの二つとなります。首から上への攻撃は反則となりますので、もし実行された場合、試合は直ちに終了。攻撃者の負けとみなします。よろしいでしょうか?」
と、茜。単純なルールも一般的な様式にそったものだ。勝利条件が達成された場合も電光掲示板にその旨が表示される。
「構わんよ」
答えたのは悟。腕を組む鵜飼は小さく頷いただけだった。ふたりの格好は異なる。悟は白いプリント柄のTシャツの下にテーパード型のジーンズとスニーカー。黒いランニング姿の鵜飼はカーキ色のカーゴパンツの下にミリタリーブーツを履いている。
両者は衣服の上から体のあちこちにリング状の装置を付けられていた。これは筋電を計測するためのものであり、両肩、両手首、両足首に装着することで、戦闘判定用のコンピューターに身体の部位を認識させる。ダメージ値は物理量と攻撃を受けた箇所から客観的に判定される。
「一条様、これを……」
茜が一本の黒い棒を差し出した。柄にあたる握り手部分と七十センチほどの有効打突部で構成されている。これが用意された武器だ。
「良い物だ……」
受け取って軽く振った悟。彼が注文したとおりの長さと重さの物を茜が持って来てくれたのだ。根元から先端に至るまでの重量配分も要求と違わない。達人ならば、持っただけでわかる。
「雫、すまんが立会いを頼まァ」
悟は清楚そのものといった感じの女子高生に言った。
「はい……」
ちいさな声で雫。学業が本分の彼女はEXPERといっても見習いの立場だ。横に立つ茜と違い、薩国警備の制服を着る機会はない。シャツとジーンズだけのラフな格好だ。
「一条さん」
珍しく鵜飼が口を開いた。
「あんた、疑わないのか?」
それは、用意された武器や設備に関することであろう。“細工”を疑ってもよい状況ではある。
「おまえを信用したわけじゃねぇが、そこのお嬢さんなら大丈夫だろ?」
茜のほうを見て悟は言った。本心ではない。鵜飼という男の評価は真知子から聞いている。実直で汚い真似は出来ないタイプだという。
「白線の外に出てもペナルティはつきません。塀の内側すべてがフィールドとなります」
ルール説明を続ける茜の声が夜空に響く。天井がないここは古代の闘技場にも似ている。そういう意味では、決戦の場にふさわしいのだろう。
茜と雫のふたりが白線上の建造物内に下がった。中央にふたりの男たちだけが残された。両者の距離は十メートル。通常人の感覚だと遠いが、一瞬で間合いを詰められる異能者ならば、すぐに近接戦闘にもちこむことができる。
鵜飼は金属製の籠手を両腕にはめた。手首から肘までを覆う長さである。防御目的で装着するものだ。
「俺がなぜ、あんたに勝負を申し込んだか、わけを訊かないのか?」
そして問うてきた。
「訊けば、手加減をしてくれるのか?」
悟は返答した。より強くあろうとする戦士の欲求と、それを表現するための手段に異を唱える気などない。生まれ持った牙を戦場で研ぎ澄ますことだけが、最強への真理に近づく唯一の道である。
電光掲示板に表示された三つのシグナルが左から順に光った。そのすべてが緑色となり、次に消えた。モータースポーツのスタートに似た試合開始の合図である。
鵜飼は超常能力を発動させた……
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