走る理由

赤秋ともる

走る理由

 走っている。ただ走っている。リズミカルに腕と足を動かし、息を吸って吐く。

 秋にもなると早朝の空気はとても冷たく、肺が痛む。無防備な耳は冷たい風にさらされ、感覚がなくなる。

 それでも僕は走っている。なぜなのか?

 説教臭くなるが、人は理由を求めたがる。何をするにも理由がないと落ち着かない。その傾向は他人に対して顕著に表れる。「自分はなぜこんなことをしているのか?」といつも問いかけている人間は少ない。それに比べて、「お前はなぜそんなことをしているのだ?」と問いかける人間の多いこと。

 ポイントは、「のか?」ではなく、「のだ?」と言っているところだ。

 そう。これは疑問という恰好をした断定だ。

 つまり、彼らはこう言っているのだ。

「そんな時間の無駄なことをしていないで、もっと有意義なことをしろ」と。

 まったくもってその通りだ。

 走っている暇があったら、机に向かって勉強をしたり、仕事をしてお金を稼いだりしたほうがよっぽどいい。

 そんなことは分かっている。

 でも。僕は走り続けている。時間の無駄になることなんて分かっている。

 そこまできて、ようやく彼らは純粋な疑問を発する。なぜなのか? 無駄だと分かっているのになぜ走るのか?

 その問いは、おそらくどの問題よりも難しいのだろう。「世界とはなにか?」や「人間はなぜ生きているのか?」よりもきっと難しい。

 ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランは、答えは風の中にあると言った。

 こんな針のように冷たい風の中に、そんな温かくてやさしい答えなんてあるのだろうか。

 ボブ・ディランだって、本当に答えが風の中にあるとは思ってないだろう。ならば、彼は風の中という比喩を用いて何を言いたかったのか。余談だが、それすらも風の中だと言ってしまえる人間が僕は好きだ。

 しかし、答えは風の中になんかありはしない。答えはきっと僕の心の、ずっとずっと奥のほうにある。いま脈打っているこの心臓。常に考え続ける脳。熱を発しながら、走り続けるこの体。

 答えはこんな冷たい風の中ではなくて、温かい僕という生命の中にある。

 だから、僕は走るのをやめない。それが僕の出した答えだ。

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