第16話

 明るい日差しの差し込む街で、突如人が消えてゆく。

 後にはひらりひらりと舞う紙片。

 目の前で繰り広げられる出来事を理解することもできず、泣き叫び、ひたすら不可視のものより逃げまどう人々。

 幾度となく訪れた、忘れることなどできぬ場所。今は見捨てられた町、エイオス。

だが、恐怖を顔に貼りつけ、何かを口々に叫んでいる彼らにカイルの姿は見えていない。

 天より振り下ろされる禍々しく、強大な存在が…。


 カイルは声にならぬ叫びを上げた。


「カイル様!」

「…え?」

 カイルを覗きこむアレンの背後で、トキは驚きに目を見張っていた。

 ブランク・ブックに触れたことで、カイルもエイオスであの日起こったものを見たのかもしれない。

「酷い顔色をしておりますが…大丈夫ですか」

「よろしければお水を」

 シーラが差し出したグラスに指を伸ばしたカイルは、震える手を慌ててブックから離した。

「なんだよ、あれ…」

 小刻みに揺れるグラス。

「なんなんだよ、あれ…」

「カイル様…?」

「トキ、説明しろよ!」

 …ああ、やはりそうか。

 その声音で理解した。

 カイルもまた、エイオスの祭りの光景を目にしたのだ。

 トキは深い溜息をつく。

 ユーリ。

 見つけ出せるかもわからなかったオルガの弟さえ、いずれこうして、必ず出会うと…お前は信じていたんだな。


 殊更ゆっくりとした動きでテーブルを挟んだカイルの正面に座り、トキは視線を向けた。

「お前も、見たんだな」

「あれは何なんだ!?…エイオスの町でたくさんの人たちが、助けを求めてた。一体何なんだよ!!」

 戸惑い、怒り…行き場のないさまざまな感情を乗せたカイルの声。

「教えろ!」

「落ち着け。これから話してやる」

 ブランク・ブックに興味を示してくれればいい。

 そう思い置いて行ったはずのものが、六年の時を経て、あの日の記憶を見せるなどさすがに予想していなかった。

 だが、同じものを目にしたならば、どう切り込んでゆくべきかを悩む必要もなくなった。

「ずっと探していた。ユーリの想い人、オルガ・ディプトリーに繋がる者を」

 困惑の表情を浮かべるカイル。

 癖のない淡い茶色をまとった髪。

 あの日ユーリの目から見たオルガも、確かに同じ髪の色だった。

「ユーリは誰かに聞かれるのを恐れるかのように、一度も彼女の名を呼ばなかった。ために、オルガが軍人であったことはおろか、名を摑むまで時間がかかった。その上…彼女はお前を守りたかったんだろう。仲間うちに弟がいる話はしていたものの、ラスタウィードの姓どころかカイルの名も、絵を描いていることさえ漏らすことはなかった」

「…姉さん…」

 カイルはうめきにも似た声を漏らした。

「ようやく探し当てたカイルという名も、まさか絵師の名を受けて暮らしているなどとは思いもしなかった。当然ながらディプトリーに繋がることはなく、こうしてお前にたどり着くまで六年の時がかかった」

 そう呟いて、トキは自嘲にも似た笑みを浮かべる。

「もしかして…あの絵を買ったのは、俺が彼女の弟だったからか?エイオスで姉さんに会って…あの人に何か頼まれでもしたのか?」

「いや、オルガに会ったことはない。それに、お前を探していたのは事実だが、そのこととおれが絵を求めた理由も違う」

 即座に否定する。

 あの瞬間、言葉を忘れた。それほどにカイルの絵は美しく、力に満ちていた。

「じゃあ、どうして…」

 戸惑うカイルの前で、トキは首を巡らせる。

「あいつがおれを呼んだんだ」

「あいつが呼んだ?」

 その視線の先にあるのは、壁にかかるカイルが描いたサラマンダーの絵。

「…意味がわからない」

「いずれわかる」

 向き直ったカイルは、トキを正面から見つめた。

 深い紅の双眸が、迷いなくカイルの視線を受け止める。


 トキの言葉は謎だらけだったが、嘘の匂いは感じられない。

 探し続けていた姉・オルガどころか、エイオスで何が起こったかを知る者は、今まで誰一人としていなかった。

 本当にトキが、あの日のことを語れるというならば…。

「…全部、聞かせてくれるんだろうな」

「おれの知り得るすべてを」

 トキは頷く。

 その瞳は、十三歳であるとはとても思えぬ、深い闇を覗き込むような色をしていた。

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