第1章 これが私の日常生活

第1話 いつもの朝



「おはよう~」

「おはよう!」

  

 桜並木を横目に校舎へと続く道を歩いていると、生徒同士の飛び交う挨拶が聞こえてきた。校門から校舎へ続く桜通りはピンクの花びらが広がっている。

 季節はまだ四月の中旬。高校生なってからまだ日が浅い私……鬼沢陽菜子は、欠伸を手で押さえながらのんびりと登校していた。

 目の前に聳え立つのは、古き良き少し洋風が混じった校舎。神奈川県に建立されたここ、「私立曙学園」の高等学部も見慣れた光景となっている。紺のブレザーと青のチェック柄のスカート。胸元の水色のリボンは揺れ、ピシッとした制服姿も様になってきたと自分で感じていた。

 しかし今の私はどっちかというとテンションは低い。睡魔がまだ纏わりついている感じというか、とにかく眠くて仕方ないのだ。

 昨日は徹夜で勉強したせいで睡眠時間があまり取れていない。おまけに入学式の記憶を清明に彩った夢のせいであまり熟眠もできていない気がした。とある男子生徒の背中が映る光景を思い出し、私は溜息をつく。

 

(あれが夢であったならどんなに良かったか)

 

 不気味な黒い影を思い出し、私はぶるりと身震いする。気を紛らわせるために二の腕を摩ると、背後から誰かに名前を呼ばれた。


「陽菜子ちゃ~ん!」


 クラスメイトの佳代ちゃんが手を振りながら小走りで駆け寄ってくる姿を捉える。眼鏡におさげの髪型を特徴とした私の友人だ。思わず私も手を振り返した。


「おはようございます佳代ちゃん」

「おはよう。今日二限目数学あったよね? やばい。あたし今日課題の答え当てられる番だよ」


 乱れた息を整えつつ佳代ちゃんは項垂れた。


「結構難しい課題出されましたよね。まだ入学したばっかりなのに、結構厳しい授業だなって思っちゃいました」

「数学だけだよ~! 何だかんだ言ってあの斉藤先生だからね? 中等部の時から授業に対する厳しさは有名だったもん。毎日のように小テスト出すんだよ? 半分も点数取れなかったらまたペナルティとか言って放課後残って掃除当番させられるんじゃ……。うわーん。また部活の時間がなくなっちゃう!」

 

 頭を抱える彼女を見て苦笑する私。佳代ちゃんは吹奏楽部だ。部活に専念している彼女にとって放課後の居残りはかなり酷な様子。数学担当の斉藤先生は小テストでも点数が悪い生徒にはすぐにペナルティを与えてくるため、日頃から授業の油断はできない。

 学生らしい会話をしているな~とほのぼのと会話を楽しんだ。


「陽菜子様……お願いします。私に教えてください」

「え~……。タダではダメです」

「メロンパン奢る! プリンも奢る! あ、駅前にお洒落な喫茶店できたんだよ。そこのケーキ奢るから!」

「ふふ。冗談ですよ。奢るのはいいので、その喫茶店に一緒に行くってことで条件のみましょう!」


 自分で言うのもなんだけど、私はそこそこ成績に対して自信はある。人に勉強を教えるのも嫌いではない。佳代ちゃんは答えというよりも解き方を教えて欲しいと訴えてくる努力家タイプだ。私が笑顔で返すと、佳代ちゃんが私の頭に手を伸ばしてきた。

 

「さすがは陽菜子様! 見た目は小さいのに心は大きい!」

「……チビって言ってるんですか」

  

 頭をよしよしと撫でてくる佳代ちゃんにじとりと白い目を向けた。女子の平均身長よりも低い背丈が自分のコンプレックスだ。百五十センチあるかないか怪しい身長はよく周りの人間から弄られる。毎日牛乳を飲んでいるのにこれ以上身長は伸びる気配はない。そのせいでよく小学生や中学生に間違われることも多々あり、生まれ変われるならばモデルのように高身長になりたいと心の底から願っていた。


「違うよ~。小動物みたいで可愛いって言ってるんだよ~」

「うう~。嬉しくないです」


 低く唸る私に佳代ちゃんは笑った。

 ポカポカした太陽の光を浴びながら友人と登校。若葉も生えている桜の木を見つめ、これが日常であることに肩の力が抜ける。


「そうそう。昨日テレビでやってた海外映画見た?」

「見ましたよ。佳代ちゃんのおすすめはさすがですね。アクションがすごくて…」

「でしょ! 俳優のジョーンズがすごくカッコよくて!」

 

 他愛もない会話をしながらゆったりと足を進めた。そうだ、これが私が望んでいた平穏な日常。のんびりとした朝は気持ちがいい。風がサワサワと髪を撫で、桜の花びらが散っている和やかな光景に目を細めた。

 穏やかな幸せを噛みしめていたその時、一際強い風がフワリと吹き荒れ、私のスカートの裾が浮き上がった。


「わわっ!」


 慌てて裾を抑えて対抗し、間一発のとこで風の悪戯を防いだ。危ないところだった。周りに生徒がいる中で下着を晒すなんて羞恥の沙汰である。

 ホッと安堵の溜息をつき手を離すと、バサリと背後からスカートが捲られる感覚がした。風のような自然現象ではない。何かにスカートを掴まれたと直感し、私は身を固くする。


「お。今日はピンクじゃん。気合い入れてんのな陽菜子」

 

 聞きなれた声に振り返ると、片膝をついて私を見上げている一人の男子と目が合った。ニヤリと口元を釣りあげて笑う姿は悪戯が成功した子供そのもの。私は顔に熱が集中し、プルプルと体が震えた。


「よ……よよよ陽太さん‼」

 

 クラスメイトの風間陽太さんの姿を確認し、私は反射的に彼が掴んでいるスカートの裾を奪い返す。完全に意識は覚醒し、睡魔はどこかへ吹っ飛んだ。完全に下着を見られた私は動揺を隠せるわけがなく、彼に大声で言い放つ。


「な……何するんですか!」

「何って……今日のパンツは何色か確認? 毎朝恒例の」

「勝手に恒例にしないでください!」

 

 ひょうひょうと答える陽太さんに食い掛かる。耳を抑えて私の言葉を聞き流す彼に私は怒りが爆発した。膝を立てて起き上がる彼は身長が高い。自然と見上げる形となり、どうしたって彼に見くびられている感覚になる。

 それでも私は怯むことなく言葉を投げかけた。


「人前でやるなんて最低です! 他の人が見てるのに!」

「人がいなきゃ何回でもやっていいわけ?」

「そういう意味じゃありません! デリカシーなさすぎですよ!」

「だってお前風が吹いた瞬間スカートを抑えるんだもんよ。あと少しで見えるって思ってたっつーのに。だから俺から自ら手を出して……」

「どこ見てたんですか!」

 

 相変わらず下心を隠さない彼に私は憤慨した。

 彼とのこのやり取りは今に始まったことではない。だいたい彼が私にちょっかいを出して、私がぎゃあぎゃあ吠えているのが日常。悪気もなく平然としている陽太さんの態度が悔しくなり、私は頬を膨らませる。

 公の場で人の下着を見るとかあり得ない。デリカシーがなさすぎる。助平な彼に我慢の糸が切れそうになると、遠くから他生徒の声が聞こえた。


「おーい和尚! 丁度いいところに!」

「んあ? どうした?」

 

 男子生徒に声をかけられた陽太さんが私から視線を外した。


「実はお願いがあってさ~最近肩が重くて……」

 

 男子生徒と話し込んでいる間に、私はプイッと陽太さんから逃げた。ズンズン校舎に向けて歩くと、佳代ちゃんがニヤニヤしながら私に囁いてくる。


「相変わらずお熱いわね~。朝からイチャイチャして……痴話喧嘩ですか」

「痴話……そんなんじゃありません」


 私は顔が熱くなるのを感じつつ慌てて否定した。


「陽太さんは私のこと揶揄ってるだけですよ。私が困るのを見て楽しんでるだけで……人のことをおもちゃだと思ってるんです」


 下駄箱に辿り着き、上靴に履き替えてそう告げると、佳代ちゃんは笑った。


「陽菜子ちゃん限定だと思うんだけどな。風間君は他の人にはああいう態度しないよ?」

「……じゃあ尚更ですよ。だって陽太さんは私が普通の人とは違うってわかってて……」

「え?」


 ごにょごにょ呟いた私の言葉に首を傾げる佳代ちゃん。


「な……何でもないです! あははは」

 

 私は誤魔化すように手を振って笑って見せた。ふと外に視線を向ければ、校舎前で陽太さんがさっきの男子生徒とまだ話をしている姿がある。男子生徒は肩を押さえながら陽太さんに必死に何かを訴えている様子で、陽太さんは腕を組みながら相槌をしていた。


「何やってるんだろうね?」

「……」


 無視したいところだがなぜか気になってしまい、興味を持った佳代ちゃんと二人でじっと陽太さんを観察した。

 しばらくすると、陽太さんがふいに男子生徒の肩を手で払う。その後ポケットから小さい布袋を取り出したかと思うと、袋に手を突っ込み男子生徒の肩に何かを撒いた。


「あ~……またやってる。風間君って塩を色んな人に撒くんだよね」

「……除霊活動ってやつですかね?」

「よくわかんないけど、あれもお悩み相談の一つなんじゃないかな?」


 はたからすれば、陽太さんが男子生徒の肩を払って塩を巻いただけにしか映らない。ただそれだけだろう。

 でも私にはしっかり見えた。男子生徒の肩には長い黒髪の女性が負ぶさり、男子は気だるそうに肩を擦っていたのだ。

 陽太さんが一見肩を払ったように見えたが、あれはその女性の頭をスパンッとツッコミのように叩いていた。そして節分で豆を投げるかのような勢いで容赦なく塩を女性に投げつけていたのを確認する。

 頭を叩かれて塩をまかれて、女性はスッと姿を消した。そのひどい扱いに若干だが同情する。女性が消えた途端に男子生徒は肩を回して明るい表情を陽太さんに向けた。


「風間君ってああいうおまじないをよくやってるよね。すごい評判でうちの吹奏楽部の子もやって欲しいって騒いでたよ。足や肩がすごく軽くなるんだって」

「……そうなんですか」


 私の現実逃避が終わりを告げる要因は彼にあった。

 風間陽太さんは私と同じ、あの世のものが見える能力がある。


 お祓いだとか、除霊だとか本当に住職のような活動をしている彼は「和尚」というあだ名が付けられ、学園の生徒から慕われていた。霊感が強いことを隠さず、堂々と学園生活を送っている陽太さん。

 不思議な力があれば、普通は気味が悪いと非難されるものだと思っていた。ところが風間陽太さんは魅力的なものを持っており、周りの人間から好かれている。

 

 そんな彼が若干羨ましいと思っている自分がいた。

 

 私の脳裏に、出会った頃の陽太さんの後姿が映る。

 

………彼には、誰にも言えない秘密がある。

 

 それを偶然知ってしまった私。それをきっかけに入学式から彼とのでこぼこな関係が続いているのだ。


(きっと今日も放課後……呼び出されるんだろうな……)


 毎回毎回私は陽太さんに振り回されている。平穏な日常は「表」のみ。放課後になればまた非日常が待っていると思うと気が重い。

 私は溜息をつくと教室へと向かった。


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