ヒノモトノタビ
イチ
第1話 彼の日常
天高くそびえ立っていたであろう高層ビルは、過去の精悍とした姿とはかけ離れている。無残にも崩れ去り、壁の穴はまるで化け物が大口を開けているようだ。
ひしゃげた民家を見つめると、哀しみのあまり、醜くしかめた人間の顔のように見えてくる。いや、こんなものは錯覚でしかない。
ひび割れたアスファルトからは、気色悪い植物がウネウネと伸びていた。触れると少し動くあたり、気色悪さを増している。
そんな植物を避けながら、青年は歩を進めた。
真っ黒に焦げた車にもたれかかる白骨死体。
青年はチラと目を向けたが、剥ぎ取れる物が何も無いのは一目瞭然。歩みを止める事なく、彼は進む。
今にも落ちてきそうな灰色の空。
一呼吸でゴリゴリと命を削る、淀んだ空気。
(どれもこれも、相変わらず最低だな。)
思わず溜め息を吐きたくなったが、青年は思い留まった。
(フィルターは節約しなくちゃ…)
彼が顔に被っているのはガスマスク。所持しているフィルターは、そう多く無い。
彼の服装は安全靴に灰色のカーゴパンツ。Yシャツの上には茶色の革ジャンを羽織り、腰には弾帯を巻き、バックパックを背負っている。
ここ、 東京 は放射能の影響が強い。
その影響を少しでも和らげるため、肌を出す訳にはいかない。
弾帯に装着している大きめのポーチから、彼は革製のシステム手帳を取り出した。
手早くページをめくり、手書きの地図を開いた。
(あの建物にはもう何も無し…この辺りは調べきったな。)
ある地点に印を付け、コンパスを見ながら自分の位置を改めて確認する。
ここから1番近いのは六本木駅近くの地下拠点「ミッドタウン」だ。
(そろそろ暗くなって来た…地下に戻ろう。)
パタン と手帳を閉じる。
表紙に彫られた自分の名前に目が移った。
『不知火 ユウ』
(母さん…父さん…)
この手帳は彼、ユウが6歳の誕生日に両親が買ってくれた物だった。
たくさん勉強して、賢い子になって欲しいと。
色々な出来事を書き留めて、感情豊かな子になって欲しいと。
きっと両親はそう願ったんだろう。
ユウは今、18歳になる。
良く言えばフィールドワーカー
悪く言えば死体漁り、流れ人
それが彼の生業だ。
だが、そんな事はこの世界で当たり前。
崩れた民家から物を回収し
死体から装備を剥ぎ取り
殺した生物…「
ユウは、それらを売りながら、各地を旅していた。
「通貨」はその国・村・組織により違うが、売れる物は同じだ。
(両親は、僕がこうなる事を望んでいたのだろうか…)
ふとそんな事を考えてしまった、その時
コンクリートの破片が落ちる音。
ハッとして、ユウは音がした方向を見渡した。
「ヂヂッヂヂチチ」
「ッ!!」
物音、そして鳴き声が聞こえた。
この声は…
(
数匹のネズミが姿を現した。
だが、ただのネズミでは無い。
名前の通り、脚が6本あるため素早く、天井に張り付くなどどんな体勢も取る事が出来る。
新宿周辺に生き残った中国人ギャングが呼んでいた名前がそのまま浸透している。
「ヂヂッヂッ」
六脚がジリジリと距離を詰めて来る。
ユウはバックパックに突き刺さしていたフリントロック式風の短銃を引き抜いた。
これは日本帝国製「滑腔式小銃丙型」である。
通称「短マスケット」と呼ばれるこの銃は、事前に弾と火薬を装填しておく事が可能で、鉛弾・散弾・信号弾等数種類の弾丸を発射出来る。
しかし、ユウは「9mm拳銃」を所持していた。何故、9発装填出来るこの拳銃を使わないのか。
それは、威嚇の為である。
「滑腔式小銃丙型」は黒色火薬を使用する。そのため、他の銃より発砲音と爆煙が大きいのだ。
ユウは歯を食いしばり、発砲音に僅かながら怯えつつも、六脚に向けて散弾を放った。
辺りに轟音が鳴り響き、煙が巻き上がる。
元々、臆病な性格である六脚は怯んだ。
「ヂヂヂヂヂッ!」
身を翻し、煙に姿をくらませながら、ユウは走り出した。
(目的地までは遠くない…入り口付近には巡回兵や警備兵もいるはず!
それまで持ちこたえれば…)
走りながら熱くなった短銃をバックパックの外に引っ掛け、留め具を掛ける。
9mm拳銃を取り出し背後を伺った。
3匹の六脚が煙の中から飛び出してきた。
走りながら拳銃を撃っても、当たる確率は低い。
だが、こういった状況は前にもあった。
(やれる…絶対…!)
前方を注視し、走るコースを見定め、
後ろを向いて六脚に銃を向けた。
とんでもなく照準が狂う中でも、合う瞬間がある。
そこを見逃さず、2発の9mm弾を発砲した。
1発外したが、もう1発は六脚の眉間に…
六脚の顔が飛ぶ。
声もなく絶命した。
(ヨシ!)
怒って追いかけていた六脚だったが、仲間が殺されてしまい、退却していった。
今度は流石に堪える事が出来ず、ユウは大きく息を吐いた。
(今回は数が少なくて助かった。だけど奴らは一匹いたらなんとやら…)
ユウは「もしかしたら」を考え、ゾッとした。
瓦礫を乗り越えると、
「ミッドタウン」の入り口が見えてきた。
(なんとか日が暮れる前に到着出来たな。)
ユウの姿を発見し、警備兵が銃を構えながら近付いて来た。
「誰だ!何をしている?」
「フィールドワーカーです。物資を回収して戻ってきました。」
「通行証を見せろ。」
ユウはポケットから木の札を取り出し、警備兵に見せた。
「良し。行っていいぞ!
帝国万歳!」
「…帝国万歳!」
ユウは軽く敬礼し、階段を降りた。その顔は、嫌悪感に満ちていた。
エアロックの扉を通り、宿に向かう。
(疲れた。今回は腐るものも無いし、売るのは明日にしよう。)
借りている宿部屋に入り、荷物を置く。上着は適当に放った。
そのまま布団に転がりたい所だが、ユウには日課があった。
ユウは手帳を取り出し、机の上に広げた。
彼の日課。それは日記を書く事なのだ。
両親からもらったこの手帳。出来る限り色んな事に使いたくて、いつからか日記を付け始めていた。
紙も安くは無いが、ユウにとって唯一の生き甲斐。そんな事は関係無い。
ーーーーーーーーーーーーーーー
神歴33年4月8日
そろそろガスマスクで行動するのも嫌気が差してきた。
比較的空気が綺麗な 埼玉 にいた頃が懐かしい。あそこはガスマスクはいらなかったのに…
4.5年前に帝国と戦争をしていたという甲斐国に行ってみようか。
僕は、拠点に入る前に行う警備兵とのやり取りがどうしても好きになれない。僕は何に対して万歳と言っているのだろうか。まさか、両親を殺した帝国に?
※用語解説
【日本帝国】 首都.東京駅
支配地域 東京、埼玉南部及び神奈川北部
積極的な拡大主義の下、その版図を拡げ続けている帝国。高い工業力を持ち、人的資源にも富む。
自国を旧日本国の正式継承国だと主張している。
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