脳筋令嬢、後宮へ入る(1)
乱戦の中を、ひた走る一騎の将がいた。
敵味方が混在する戦場において、馬上で長柄の
「うぉぉぉぉぉぉぉ!」
雄叫びを上げながら、徐々に本陣へと近付いてゆく。その背には、まさに将に続け、と言わんばかりに士気の高まった民兵が続いていた。
ナイフでチーズを裂かれたかのように、密集陣形を保っていた敵軍が崩れてゆく。
それはまさに矢の如く疾駆し、そして一際目立つ鎧に身を包んだ大柄な男の前に立った。
ふぅっ、と
「……敵将とお見受けする」
「いかにも」
くくっ、と敵の将軍である男が笑う。
奇襲は完全な成功を収めた。ここより遠く離れた場所で、数え切れない怒号がぶつかり合っている。それは上官である『赤虎将』の指示のもとに行った陽動であり、敵陣へ行き着くための道筋を作る策だ。
敵軍の数は、自軍の倍に近い。
正攻法では勝利を収めることは難しいだろう。だからこそ、『赤虎将』は己の部隊を陽動のために動かし、信頼できる部下に敵本陣への奇襲を任せたのだ。
信頼には、応えなければならない。
「これは、儂もしてやられたものよな」
「首、貰い受ける」
「そう簡単に、この首が取れると思うな。儂はリファール王国が将、ガゼット・ガリバルディである! この首が落ちるまで、我が軍の負けはない!」
男――ガリバルディが、その
それは成人の男二人掛かりでようやく運べるほどの巨大さであり、力自慢ですら持ちあげることがやっとだろう。それを、既に壮年とさえ言っていいガリバルディが構えているということに、素直な尊敬を感じた。
だが、敵として出会った以上、そこに情はない。
「名乗れ、ガングレイヴの将よ」
「第一師団所属、赤虎騎士団――副官、ヘレナ・レイルノート」
「……貴様、女か」
鉄兜の下から現れたのは、返り血に塗れた美女だった。
肩ほどで揃えた金色の髪が、鉄兜の後ろから僅かにはみ出している。鼻筋まで覆った兜の隙間から見えるのは、やや吊り上がった群青の
馬を駆り、民兵を率いる姿は、かつて伝説にも残った救国の聖女すらを彷彿とさせる。
だが、そんな将――ヘレナの名乗りを、ガリバルディはしかし鼻で笑った。
「ガングレイヴ帝国も、随分と落ちたものよ。こんな女に軍を与えるなどとはな」
「これ以上、言葉はいらないだろう」
「ふん。儂と戦いたいと言うならば、せめてガングレイヴの誇る八大将軍の一人となってからにせよ。たかが副長、しかも女の首など、持ち帰った儂が馬鹿にされるわ」
「それはこちらの台詞だ。たかがリファールごとき小国に所属する年寄りの首など持ち帰っても笑われるだけのことよ」
「……あまり回りすぎる口は、死期を早めるぞ、小娘が」
「
「ほざけ、小娘が!」
ガリバルディの叫びと共に、巨大な薙刀が振るわれる。それは恐らく、まともに受ければ斧槍と馬の首ごとヘレナを切り裂くであろう一撃。
まともに受ければ槍が砕けるそれを、ヘレナは細やかな動きで受け流した。力の方向と刃の向き、そして攻撃についた勢いを利用して、ガリバルディから手応えをなくす。
ガリバルディの扱う巨大な薙刀、そして
そしてヘレナは、そんな一撃一撃をまるで流れる水のように受け流す。その姿は、未だ若き女性の身にして柔の極みと言えるだろう。
本陣の兵士、そしてヘレナに従う民兵――その全てが、舞いのように繰り広げられる剣戟を見つめる。
「くっ……!」
「はぁっ!」
単純な膂力であれば、ヘレナよりもガリバルディの方が遥かに強い。
だが、それは膂力だけだ。
ガリバルディの振るう薙刀は、その一撃で前衛の兵を一掃することすらできる代物である。しかし武人と武人の戦いの極みにおいて、広範囲を一掃することのできる武器、というのはあまり利点にならない、というのが現実だ。
ゆえに。
「死ね小娘ぇっ!」
この程度の――たかが烏合の衆を相手にしていたがゆえに、その地位に就くことができただけの傲慢な男に、負ける道理などどこにもない。
ガリバルディの上段からの斬り下ろし。上からの攻撃は、下が地面である以上受け流しようがない。
そこで、ヘレナは斧槍で正面から受け止め、そのまま手を離す。
「なっ!?」
入れすぎた力は、突如抜かれた力に
そして、そのような隙を見逃すヘレナではない。
「はぁぁっ!」
斧槍を捨て、武器のない右手。それが、腰に差した剣を抜く。
足だけで馬に命令を伝え、そのままガリバルディに肉薄し。
力のままに、ガリバルディの首を刈る。
リファールにその人あり、と称えられた名将、『暴風』とさえ称された将軍の、呆気ない最期――。
そしてヘレナは馬を降り、ガリバルディの首を抱えて。
「
戦いの終わりと、自軍の勝利を宣言した。
◇◇◇
「よくやってくれたな、ヘレナ」
「大したことはありませんよ、ヴィクトル」
敵将ガリバルディの首を取り、総崩れになった敵軍はそのままリファールへと撤退していった。
指揮官を失った軍とは脆く、そして下がった士気はそのまま戦力の低下に繋がる。禁軍の弱卒でも、そんな軍の追撃をするのは簡単だった。
そして本陣に戻ってきたヘレナを労ったのは、ヘレナより少しだけ年上の男。
燃えるような真紅の髪と、その下にある端整な顔立ちが印象的な男性だ。
長身であるヘレナよりもさらに高い背丈と、その背丈に見合った鍛え上げた体は、まさに軍人のそれだ。しかし笑みを浮かべるその姿は、まるで子供みたいだ、という印象を抱かせるだろう。
そんな彼こそが、生ける伝説――八大将軍が一人、『赤虎将』ヴィクトル・クリークである。
「やっぱ、ガゼット・ガリバルディ自身が率いていやがったか。リファールでは、後進の育成を怠けているらしいな」
「『暴風』と呼ばれていたらしいですが、老いには勝てなかったようですね。あれなら、『
「……比較対象が間違ってんぞ。あいつらは化け物だ」
そんなヘレナの言葉に、ヴィクトルは肩をすくめる。
確かにガリバルディは強かったけれど、ヘレナからすればもっと強い者を何人も知っている。少なくとも八大将軍で、ヘレナが勝つことのできる相手は半数だろう。最も近いこの『赤虎将』ヴィクトルには、十戦して十敗する未来しか見えない。
「だが、本当によくやってくれた。ガリバルディに対してヘレナが勝つことができるか、という点だけは賭けだったからな」
「大したことはありません。むしろ、弱卒を率いて倍以上の軍勢と五分に戦ったヴィクトルこそが、称えられるべきでしょう」
「ま、お前さんにゃできねぇことだよな」
「言いましたね、ヴィクトル?」
にやにやと微笑を浮かべるヴィクトルの言葉に、ヘレナも笑みを浮かべながら返す。
そんなやり取りをする、ヘレナとヴィクトルの付き合いは十年を超える。
ヘレナが成人してすぐに軍へと入り、そのときに配属された小隊の隊長がヴィクトルだったのだ。それ以来共に昇進をし続け、気付けば立場は八大将軍の一人とその副官、という立場まで上り詰めた。
そして常に、ヴィクトルはヘレナを自分の側近としていた。だからこそ、気心の知れた仲であり、将軍であるヴィクトルを名前で呼ぶことに何の問題もない立場である。
噂では、ヴィクトルがヘレナを手放したくないから、ヘレナは最近空席となった八大将軍『
「ひとまず、陛下に報告しねぇとな。まさか帝都に最も近いリファールが反旗を翻すとは思わなかったはずだ。これから、忙しくなるぞ」
「ようやく任地に戻れるのですね。少数とはいえ、禁軍の弱卒を率いたものですから……赤虎騎士団を率いるのが待ち遠しいです」
「それは俺も同じだ。ひとまず、バルトロメイに預けているうちの軍へ戻ろう。どうやらアルメダ皇国の動きがきな
「かの『青熊将』ならば、お一人で敵将の首を挙げそうですけどね」
「まぁな」
ヘレナの皮肉に、ヴィクトルはくくっ、と可笑しそうに声を上げた。
しかし、その眼差しは鋭く、全く笑っていない。
「前帝の権威がどれほど凄まじかったか、よく分かるな」
「……」
「崩御されてすぐに、アルメダと三国連合が動いた。加えてリファールまで動き始めたんだ。他の国も黙ってはいないだろう。未だ戦況は
ヴィクトルが、
そもそも、リファール王国との戦が起こること自体、ガングレイヴ帝国からすれば予想外の出来事だったのだ。ガングレイヴ帝国は大国であるがゆえに敵が多く、南のアルメダ皇国、北の三国連合との二正面作戦を余儀なくされ、ほとんどの戦力が南北の最前線に送られている。
そんな中で、東に位置するリファール王国からの突然の襲撃があったのだ。恐らくアルメダ皇国か三国連合、いずれかと繋がっているのだろう。まさにガングレイヴ帝国にすれば、最悪のタイミングで来られたと言っていい。
そんな二万を超えるリファールの軍に対して出すことのできたガングレイヴの戦力は、僅かに八千。帝都に常駐している禁軍のみだ。禁軍というのも名ばかりのもので、帝都に常駐しているという性質上、彼らに実戦経験はほとんどない。
誰もが、ガングレイヴの帝都が落ちる――そう感じていた。気の早い貴族の中には、他国に亡命しようとした者もいるとか。
そんな中で、八大将軍の一人である『赤虎将』、そして副官であるヘレナが偶然にも帝都にいたというのは、まさに奇跡に近い。
の、だが。
「しっかし、リファールが動いたとなれば、他の国も追随してくるかもしれねぇな。フレアキスタは従属してて、ガルランドあたりはまだましな外交関係を築いてる。だが問題は、西の砂の国――ダインスレフだな。あそこまで進軍してきたら、今度こそ帝都は落ちるぞ」
「……なるほど」
吐き捨てるようなヴィクトルの言葉に、そう頷く。
真面目な顔でそのように頷いたヘレナをじっと見て、そしてヴィクトルは小さく溜息を吐いた。
「……お前、分かってねぇだろ」
「何を言っているのか分かりませんね」
「目を見て話せ。つか、その分からんことがあったときにすました顔で『なるほど』って言う癖はやめろ。いつか誤解されるぞ」
「何を言いますか」
「どうせ何も考えてないんだろうが」
「ちゃんと考えていますよ。今晩の夕食は何にしようか、とか」
「理解してねぇじゃねぇかコラ」
そう
傍から見ればただの女将軍に見えるヘレナだが、その実は何も考えていない。特に少し考えるのが面倒な案件となると、すぐに思考を放棄するのだ。
だというのに、すまし顔で「なるほど」と納得したように頷くため、ヴィクトルのように気心の知れた仲でなければ、分かっていないことにすら気付かないだろう。
事実、部下の中には「ヘレナ様は全てを分かっておられる!」と心酔している者すらいるのだから。
「……まぁいい。ひとまず、陛下への定時報告を済ませて、それから南の前線に戻る。ある意味休暇の代わりだからな……出立は一週間後だ。お前んとこの近衛にも伝えておけ」
「承知しました。では、久々に実家に戻りますので、御用がありましたら家までお越しください」
「ああ……そういえばそうだったな」
ヘレナは、ガングレイヴ帝国における貴族の一員である。
とはいえ、長女であるヘレナに、その弊害は特にない。成人して早々に軍へと入ったために、政略結婚に巻き込まれることもなかった。そもそもレイルノート家当主自体、宮中侯という特殊な立場であり、宰相にして人務大臣の地位にいる。
人務大臣ということで全ての家に平等に接さねばならないため、政略結婚をする必要がないのだ。
だからこそ、ヘレナが軍に入ることも、さほど反対されなかったのだ。
だが。
「ええ。最近、何故か頻繁に手紙で、帰ってこいと何度も言われておりまして」
「まぁ、里帰りついでについてこさせたようなものだからな。本当なら、俺だけ行ってお前には現地での指揮を頼みたかったんだが」
「それについては申し訳ないと思っております」
そう、レイルノート侯爵家当主、アントン・レイルノート宮中侯――ヘレナの父から、何度も帰ってこい、と手紙が寄せられているのだ。
具体的な内容は書かれていないけれど、何らかの厄介ごとが起きているのかもしれない。だからこそ、ヴィクトルが帝都へ報告に向かう、ということで同行し、帝都での休暇を貰ったのだ。
リファールが攻めてきたときにヘレナも一緒だった偶然はそういった経緯だったが、何が起こるか分からないものだ。
「何で帰ってこいって言われてんだ?」
「さて。とりあえず帰ってこい、とだけ言われておりますので分かりません」
「あー……あれじゃねぇか?」
にやり、とヴィクトルは口角を歪める。
それは昔から付き合いのあるヘレナだから分かる、ヴィクトルが冗談を言うときの顔だ。そして、こういう顔をしたときのヴィクトルは、大抵ろくなことを言わない。
「お前もいい年だ。結婚しろって言われんじゃねぇの?」
「何故ですか?」
「いや、お前さん貴族令嬢だろうが。レイルノート宮中侯っていや、偉いさんだろ。そんな貴族の娘が、二十八にもなって未婚ってのはどうかと思うぜ」
「……」
ヴィクトルの言葉に、ヘレナは不機嫌そうに眉を寄せる。
結婚など、そんなことは考えたこともない。
ヘレナが戦場にいる限り、そのような相手など作ることはないだろう。少なくとも、自分が妻として家に居続ける未来が全く想像できない。
きっと家にいても退屈だから、鍛練でもして過ごすのではなかろうか。
もっとも、そんな相手の当てなど全くないけれど。
「ありえませんよ」
「どうしてだ?」
「私の居場所は、戦場だけですから」
くくっ、と。
未だ返り血の残る斧槍を携え。
戦場にこそ居場所を求める武姫は、笑う――。
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