【02】 廃病院の七不思議 ― Seven Wonders in the Ruins ―
予期せぬ参戦者
夜の闇に沈む中、どこからか、鴉の鳴く声が届いてきた。
ここは、謎のバラバラ殺人事件が起こったという山奥の廃病院。
静謐に満ちた山の頂付近で、仄かな月明かりに浮き上がらせられながら、ひっそりと佇んでいる。
夏休み初日である日曜日である今日、ココナが計画した肝試しが行われようとしているところだ。
参加者は、言い出しっぺのココナと、チャラ男な悪友のマキトと、ボク。
昼間には、三人で街に出て、必要になる色々の買い出しを済ませてから、夕食をココナの実家で一緒に摂った後、自転車で山道を登ってここへとやって来た。
「先客はいないみたいだな」
とマキトが、車が一台も停まっていない、閑散とした駐車場を見渡しながら。
脇にある駐輪場にも、ボクたちがここまで来るのに乗って来た自転車が三台止まっているだけ。
ココナが言ったように、実際に死人が出たことで、ここでの肝試しブームも終焉を迎えつつあるのかもしれない。
そのマキトは、お菓子やらペットボトルのジュースやら花火やらが詰められたビニール袋を片手に提げている。肝試しが終わった後に、ここで打ち上げをするつもりでいるらしい。
どうせ肝試しなんて言っても、ココナがネズミを見て、「きゃー」なんて叫び声を上げるくらいで、他になにも起こることなんてないだろうから、打ち上げメインになることに疑いの余地はない。
その怖がりココナは、
「にしても、ボロボロだねー」
と今はまだ呑気なもの。
「さすがに噂されるだけはあるよね。肝試しにぴったり。ちょー怖そー」
確かに、薄気味悪いおどろおどろしさを感じさせる様相を呈してはいる。
オカルト雑誌なんかで、廃病院の写真などを見る機会も多いけれど、やはり、実際にそれを前にしてみると、よりリアルな雰囲気を感じられる。
この廃病院で、今から四年前の夏――ちょうど今日と同じ当たる日に、沖本レイナは謎の失踪をとげて、彼女と一緒に肝試しをしていたファン二人が、バラバラにされたり逆さ十時に磔られたりと惨殺されたわけだ。
昨年の夏には、そこで肝試し中に、大学生が階段から転げ落ちて死んでしまうという事件まで起きているとのことでもある。
そんな噂に名高い恐怖スポットの中に入って、この怖がりココナが、いつまでその余裕を続けられていられることか――
「だよな。それに、まさか、こんなにでっかい病院だとは思わなかったぜ。こんな山奥なのにな」
とマキト。
その廃病院についてだけれど、L字を時計回りに九十度回転させたような形をしている謎のバラバラ殺人が起きたのは、こちらに正面を向けている、L字の縦棒にあたるほうだ。
出入りするための玄関口も、その中央にある。
その玄関口の、今は動かない自動ドアのガラス扉は、片方だけが、なにかで叩き割られたようにして、周囲にガラス片を散らばらせている。
もう片方は、ただ煤や埃何かの汚れが付着しているだけなのを見ると、おそらく、ここで肝試しをした他の誰かが、そこから出入りできるように、石を投げつけるとかしてそうしたんだろう。
これから肝試しをするボクたちも、その破れたガラス扉から、その中へと立ち入ることになるわけだけど――
「なあ、マキト、だいぶ前に言ってたからすっかり忘れてたけど、お前、彼女をつれてくるみたいなこと言ってなかったか?」
ボクは気になっていたことを尋ねた。昨日も確か、ボクたちが通う私立高校のある、マキトの地元で、その彼女と夏祭りに一緒に行ったはずだ。
「う……」
マキトが、痛いところを突かれたように、小さく呻く。
「そう言えば、そんなこと言ってたよね」
とココナ。
「彼女、楽しみにしてたっても言ってたろ? 急用でもできたのか?」
さらに尋ねかけると、マキトは、浮かない顔をしながら、ぼそりと、
「……別れたんだよ」
「別れたの? でも、昨日一緒に夏祭りに行ったんでしょ?」
同情するというよりも、面白がるようにココナ。
「行ったよ……でも、出店で射的して遊んでた時、たまたま別の彼女がそこにやってきやがってな……」
「お前、二股なんてしてたのか?」
と無論の軽蔑のまなざしを送る。
「いや、違う。二股じゃない」
「何が違うんだよ。お前今、別の彼女って言ったろ?」
問い詰めると、
「二股じゃない、三股だ」
……なるほど。こいつのろくでなさを過小評価していたみたいだ。素直に過っていたと認めよう。
「両側から、そいつら二人に囲まれてさ。射的してた彼女と合わせて、えらいことになったんだよ……」
その修羅場を思い起こしてか、マキトが怯えたような顔に。
「ある意味、奇跡だね」
そのシーンを想像してか、ココナがにやけながら。
「射的の銃で撃たれはするわ、他の二人からは、ボンボンやら林檎飴ぶつけられるわで、散々だった……女ってこえぇよな……肝試しする前に、ひでぇ恐怖体験しちまったよ……」
顔を青ざめさせながらのマキト。
「自業自得だろ、これにこりて、少しは真面目になれよ」
その場にいた祭りの参加者たちからも、さも白々しい目で見られていたことだろう。普段があれなこいつには、良い薬だ。
「そんなことより、もうそろそろ九時になるぜ?」
苦い記憶を振り払うように、マキトが腕時計を見やりながら。
「ココナの親父さんって、厳格な頑固オヤジって感じだったからな」
ここに来る前に、ココナの家で夕食を摂った時、マキトはそのオヤジさんに初めて会った。
ただ、頑固そうに見えて、実は優しかったり、話しの分かるオヤジさんなんだけど、会うのが初めてで、少しだけ会話をかわしただけだったから、そういう風に勘違いしているんだろう。
「あまり遅くなりすぎて、後で怒鳴られでもしたらやっかいだからな。はやいとこおっぱじめないか?」
と、
ブロロロロロロ……
ここへと至る山道の方から、唸るような排気音が届いてきた。
ボクたちが、いったい誰だろう、とそちらへと目を向けていると、程なく、山道の向こうから、そのでっぷりとした身体をスクーターに預けて走らせる男子が現れた。
背中には、その突き出た腹と同じように、ぱんぱんに膨れた大きめのデイパックを背負っている。
その巨漢男子は、ボクたちの前でスクーターを停めると、片足を地面のアスファルトにつきながら、
「遅れてしまってすまないな。準備に少しばかり手間取ってしまったんだ」
「……誰だ、お前?」
マキトが、あからさまな怪しみを向けながら。
「む?」
とその巨漢男子は、意外そうな顔をすると、ボクへと向きながら、
「ヨウ君、俺のことを、二人に話していなかったのかい?」
「別に、肝試しに呼んだってわけじゃないからな」
こいつは、
中学時代の同級生で、オカルト同好会の部長をしていた――と言っても、会員はヒロタ一人だったけど。
こいつがしでかした色々にまつわるエピソードを言い出すときりがないので、ここでは省略させてもらうけど、なにかと人騒がせなやつというのだけは間違いない。
高校生になった今でも、その頃からなにも変わっていない――いや、さらにパワーアップしている感さえある。
こいつが来ることになった経緯についてだけれど、今日の昼、ココナとマキトと一緒に、肝試しのための買い出しに行った時、楽しそうに買い物をする二人から離れて、一人でブックコーナーで立ち読みしていたら、こいつとばったりと出くわすことになってしまって、その時に、何してるんだって聞かれたので、この肝試しのことを少し話してやって別れたのだけれど、なぜか、勝手に自分も参加することにしてしまったらしい。
今思い返すと、つい立ち読みに夢中になってしまっていたとはいえ、ろくに考えもせずに、こいつにそのことを話してしまったのは、大きなミスだった。
「お前ら、友達なのか?」
不満顔のマキトに尋ねられた。
「ああ、そのとおりだ」
ボクが答えるより先に、ヒロタは頷きを返すと、短い角刈りでしかない短髪を、さっと片手で払うと、
「ヨウ君とは、中学時代の親友同士だからな。その親友が、悪霊の出る廃病院で、命の危険を冒そうとしているって時に、黙っているわけにはいかないじゃないか。地元で名を馳せる、これまで幾多の修羅場をかいくぐってきた、偉大なるゴーストハンターとしてな」
むんと胸を張りながら、誇らしげにされて、マキトは、苦々しげに、
「……めんどくせ」
一つ断らせておいてもらうけれど、そのヒロタとは、親友はおろか、友達と呼べるような間柄では決してなかった――というより、二、三回軽く挨拶を交わしたような覚えしかない。
「さあ、諸君。人々を苦しめる悪霊を、この手で退治してやろうじゃないか」
自称ゴーストハンターなヒロタは、ボクたちから向けられる白々しい視線を意に介すことなく、意気揚々と言い放つと、首に提げていたヘッドライトを装着して点灯させ、スクーターはそこに乗り捨てたまま、一人颯爽とした足どりで、病院の玄関口へと向かった。
「……おい、なんであんなやつ呼んだんだ?」
とマキトは、ボクを非難するような目で見やりながら、
「マジで面倒くさそうなやつじゃないか。どうしてくれんだ」
「呼んだわけじゃない。あいつが勝手に来ただけだ」
ボクは顔をしかめながら反駁した。
「まあ、いいじゃない。人数は多い方が楽しそうだし」
いがみ合おうとするボクたちを、ココナは宥めつつ、
「では、肝試し、始めちゃいますか」
わだかまりを抱えつつも、ボクとマキトは、呑気なココナに背中を押されるようにして、用意してきた懐中電灯を灯すと、夜の闇に怪しく沈む廃病院の玄関口へと、ヒロタの後を追った。
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