honey

ナガコーン

第1話

 私は今、夏休みを迎えた静かな高校の廊下の真ん中で右手を握りしめて、決意を固めた。私がやらなくて誰がやるのだとひそやかな使命感に燃えている。 

 私の足元に半泣きで転がっているのは同じ園芸委員の山口陽人。

 先ほどまで当番の花壇の水やりを実行していた人物だ。

 そして私は今、彼を思い切り見下ろす形で立っている。何が起こったかというと、単純に私がそこそこの勢いで廊下を曲がったら、同じく曲がってきた山口とぶつかり、小柄で細い山口の方が吹っ飛んで痛い思いをしているというわけだ。

 そして現状なら、私は「あ!ごめんね!大丈夫?」と声をかけるのが筋というものだ。しかし違う。私は冒涜というものについて考えている。そしてそれが私の使命感に火をつけたというわけだ。

 山口の方は「いてて」と痛みを口にしながらも、ひん曲がったメガネを探している。銀縁の冴えないものだ。私はそれを山口より速く手に取る。そしてそのどうでもいいように伸びきった山口の長い前髪の奥に焦点を合わせる。

 く、やはり!!

 こいつはとんでもない玉だぜ!

 玉というのはもうそのまますなわち、「ギョク」。

  玉磨かざれば光なしとはまさにこのこと。

 私の美形センサーがピッコンピッコン鳴っている。テレビの向こうの原石君たちをひそかに応援し、やがて光を放って頂点に向かって走り抜けていく、それを応援するのが最大の趣味である私の、およそ外れ無しという程でありながら持て余していた審美眼を、やっと発揮することができる!

 山口はクラスの中でもほとんど目立たないくらいというかむしろ存在すら危ぶまれるほどの、地味でおとなしいタイプの男子だ。

 何処のクラスにでもいよう。どうでもいいような銀縁のメガネをかけて、どうでもいいような髪型で、全然目に留まらない。全然全くだ。

 それが今しがたの私との衝突事故により、体と眼鏡が吹っ飛び、前髪が天の岩戸のごとく開かれその中に出現した顔は、想像を超えて整っていた。

 なんとばかな。こんなことがあっていいのか。

 私は雷に打たれたように目が覚めた。原石というのはそういうものなのだ。

 そしてその後に来たのは怒りであった。

 美しいものを美しくしておかないとは何たる神への冒涜。

 ややその怒りが山口にも感じられたのかもしれない。私が手を貸して起き上がらせた山口の目はなんだかおびえていた。もしや私の目の中のたぎる炎が見えたかもしれない。しかしながら、もう遅い。

 私にロックオンされたなら逃げることなど叶わないのだよ子猫ちゃん。 

 私が前代未聞のイケメンへ山口を変身させ、我が校の女子たちのハートをキュンキュンさせちゃうのだ。そして私もそのおこぼれでもって、目の保養をさせてもらうのだ。

 「メガネ曲がっちゃったね、ごめんね」

 私はできうる限りの詫びを声に含ませ、まずは山口の私に対する怯えの撤去を計る。私に対して巨大なバリケートが築かれつつある状態では話は進まない。

 「ああ、いいんだ、俺も前よく見てなかったし。こっちこそごめんね」

 中学時代、毎朝駅伝部で20キロ走っていたこの下半身をなめてもらっちゃ困る。この程度の衝撃では私の体はびくともしないのだ。

 「私は大丈夫。どこも痛くないし。ありがとう。それよりその山口君のメガネを弁償させてよ。ひどく曲がっちゃったし」

 「ええ!いいよ!そんな弁償なんて!!」 

 「ううん、弁償させて。そうでないと私なんだか気が済まなくて」

 「木下さん、そんな気にしないでよ、安いメガネだし」

 「でもでも!今それかけても、みえないでしょ?」

 「うん……、まあ、実はこの距離でも木下さんの顔がよくみえないんだけど」

 「よし!じゃあこのまま山口君の予定が無ければメガネ買いに行こう!」

 「ええ!今から?」

 「うん。それで半分払う。それ位はやらせて」

 「でも……」

 「いいから!」

 「わ……わかった……。木下さんって責任感強いんだね」

 「そ、そうかな。長女だからかな?はははははは」

ものすごい下心が私の中で渦巻いていると知らず、山口はへらっとほほ笑んだ。いかん。へらっとじゃダメなんだよ。ますます闘志がみなぎってくる。

 なにはともあれ、まずはメガネからね。私の目の奥が、あの夏の太陽のようにぎらりと光った。はず。

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