15. 異端のささやかな取柄

「―――疲れた」

レンは宿の自分の部屋に入ると、買った本を机の上に置き、椅子に腰かける。


全身に漂っていた疲労感が一気にレンに襲い掛かってきた。



古本屋での買い物の後、レンたちは(というよりはデリアとイリスは)ゲムゼワルド産の装飾品や織物の露店を巡った。


そのお店でデリア達は、日本の女性と同じように長時間品物を吟味し楽しんでいた。


レンはそれらの品物には興味が無かったので、1時間ほど経った後は近くのベンチで、購入した本「エルデ・クエーレの歩き方」のゲムゼワルドのページを読んでいた。


その後女の子たちの長い買い物が終わったものの、デリア達はイリスが働くお店で、木苺の生地包みとゲムゼワルドの紅茶を肴に、お喋りに興じ始めたが、長くなりそうだと思ったレンは、宿でゆっくりお喋りしたらどうだ、と提案した。


現在、デリアとイリスの2人は宿のデリアの部屋でお喋りをしており、

レンは自分の部屋へと戻ってきた。


(ダリウスさんとディ-ゴさんはまだ戻っていないようだけど、一体何の用事なんだろう)


ぼんやりとそんなことを考えながら、ポケットに入れていたスマホをベッドの上に投げる。


「なかなか上手く誘導したな。だが、良いのか?女の子の部屋に行く折角の機会を無駄にして」

机の上の手拭いに座ったディルクは、笑いながらレンにそう声を掛ける。


「女子の会話にずっと立ち会うのは疲れるって。気も張っちゃうし。それに、買った本をとりあえず一回読んどきたかったし」

レンは机に肘を突き手のひらに頬を乗せながら、そう返答する。


レンは机の上に、「源技能基礎概論」の本を広げた。


その本は学術書らしく、表紙に色彩は無い。無機質なくすんだ灰色一色で覆われている。


そのため中央上方部に大きくか書かれたタイトルと、右下に小さいながらも金色で描かれたバルツァ・バイルシュミットというヒトの名前が印象的だった。


「じゃあ、今から本読むから」


レンはディルクにそう宣言をする。


「そうか、俺は少し昼寝する―――頭の上でじっとするのは意外と疲れるもんだ」

そういうとディルクは手拭の上で横になった。

尻尾を両手両足で挟み込み丸まっている。


そのディルクの姿は、ギリギリで猫に見えないことも無かった。



それを横目に、レンは目の前の知識の泉に意識を集中し始めた。


『はじめに

 この本は“源技能”という、神獣から我々に与えられた、我々の源を司る技能の理論を学ぶための本である。よって源技能に携わる専門家の入門書としてこの本は位置づけた。源技能を只使用できれば良しとするヒトは、この本を読むことをお勧めしない。我々が目にできる源技による事象は、その発現過程の最後の一端にしか過ぎないことをまず認識してほしい。発現に至るまでに、大気中の源素の取り込みや体内の源粒子の循環、属性源粒子への転換と集積、源技に合わせた源粒子同士の結合とそれに必要な触媒源子、体内から体外への源粒子の排出。それらの複雑かつ緻密に組まれた過程を経て、我々は源技能という神獣の奇跡を発現し、体現しているのである。再度宣言しておく。この本は源技能の理論および、それに付随する基礎的な源技能を学ぶための本である。この本が少しでも読者の力になれることを祈ろう。そして願わくば、源技能の基礎理論研究に携わるものが増えることも祈ろう。最後に、この本の出版に携わったすべてのヒトに感謝と敬意を。  第二勲 王立源技研究所所長 バルツァ・バイルシュミット』



(おー、専門書っぽい書き出し)



『第1章:源素と源粒子』

『第2章:属性源粒子と転換機構』

『第3章:源粒子の多量体化と触媒源子』

『第4章:源粒子の排出』

『第5章:自然界の源素と源粒子』

『第6章:怪異と源粒子』



(目次だけ見れば、なんか高校の化学だな)



『1.1 源素』

『源素とは大気中に存在する源技能の核となる物質である。現在のところその形状や性質等については完全に証明されていない。しかしながら、多数の研究者たちの報告から、粒子状の物質であることが示唆されている。

また、源素自体は未だ1種類しか報告されておらず、そこから転換することで複数の種類の源粒子に変換される。生き物の“何か”と相互作用することで我々は効率的に源素を体内に取り込み、源技の発現をおこなっていると考えられている。しかしながら、既に属性が転換された、大気中の源粒子を取り込み源技能の発現に使用していることも確認されており、源素と源粒子、この2つの取り込み経路の違いに関しては未だ不明な点が多い』




『………』




『2.4 属性源粒子の種類』

『これまで、属性源粒子としては火(炎)、水、風、土、雷、氷、光、闇の8つと、そして属性が転換されていない元の源粒子の計9属性が報告されている。例外として、とある属性が存在するが適応者が限りなく限定されているため、この本では割愛する。

蛇足ではあるが、少し前までは、水属性と氷属性の同一仮説が研究者の中で議論されていたものの、氷属性適応者かつ水属性非適応者の例が数件報告されたため、別属性として決着がついた。(しかしながら、ほぼすべての氷属性適応者が水属性もそうであることから、適応に関しては属性間で関わりがあるものと考えられる)』


『………』


『3.7 属性源粒子の多量体化』

『体内で転換された属性源粒子は源技能の発現に応じて体内の一部に集積することが多々ある。その際、同一属性や異種属性間の源粒子はお互いに近接し相互作用する性質を持っていると考えられていた。これを源粒子の多量体化という。体内における源粒子の多量体化は種々の源技能の発現において必須の過程であり、また、基本的な属性源粒子9つで、何故、数えきれない程の種類の源技能が発現できるのかという問いに対する一つの回答でもある。すなわち、体内における属性源粒子の集積量、密度、属性ごとの割合といった差異が、源技能の多様性を担保している。

源粒子の多量体化における最大の疑問は“多量体化を触媒する因子は何か“の一点に尽きる。これまでの研究から、源粒子のみでは多量体化の効率は著しく低いことが示唆された。このことから、多量体化を担う未知の触媒源子の存在が存在すると考えられている』


(想像以上に、この本「源技能基礎概論」は面白いな)

それに加え、源技能という未知の分野を学べることが楽しいのだ。


レンはそう判断する。


ページをめくるスピードも段々と上がってきた。


レンは左手の人差し指でゆっくりと机を叩く。

不規則に響く小さな音と、指先から響く弱い振動がレンの集中力を高める。

レンの視界が狭まっていく。

指以外の音すべてがレンの耳からシャットアウトされる。


あぁ、今自分が“フロー”状態に近づいている、とレンは頭の中の遠くの方で理解した。




―――――――――




ディルクが、ぼんやりと微睡んでいた時のことだ。


手拭いの柔らかい感触をぼんやりと楽しんでいたが、ディルクの耳に唐突に音が入ってくる。それは僅かばかりディルクを現実へと引き揚げた。



《トン――トン―――》

《ーートトンー……ートンーーー………ートトントンーーー》



不規則だが、何かしらの旋律をなぞるかのような音が部屋の中に柔らかく響いている。


その音を耳の中で遊ばせながら、ディルクは少しばかり楽しんでいたが、ふと疑問に思った。


(あいつ源技能書を読むって言っていたが)


今は休憩でもしているのだろうか、ディルクがそう思い目を開けレンの方へと顔を向けた。


ディルクが横になる前に見た姿と同じように、レンは机の上で本を読んでいた。その上で指で机を叩き、それに合わせてレンの口元も動いている。


だが、レンの表情は普段とは打って変わっていた。


感情が全く感じられない顔。

確かにそこにいるのに、なぜか何処か遠くに行ってしまいそうな顔。


今のレンは無表情で、只々本に視線を向けて読みふけりながら、不規則な打音を奏でている。



今のレンの姿は、まるで何かに憑りつかれてしまったヒトの様な、

または、単純な動作しかできない人工物を思わせる。


「おい、レン」

思わず心配になったディルクはレンに声を掛けた。


しかしながら、レンからの反応はなかった。


レンは唯々ゆっくりと本の頁を捲っている。


ディルクの声が聞こえていないかの様な振る舞いだった。

いや、本当に聞こえていないのだろう。


【すごい集中力でスネ】

ベッドの上のヴぃーがポツリと呟いた。


【この本をあそこまで読めるのなら、レンは源技能者に向いているのかもしれまセン】


(集中しているならそっとしておくか。)




―――――――――





『………』


『6. 怪異と源粒子』

『源技能を発現する怪異の報告が近年増している。50年程前までは火口等の属性源粒子の濃度が局所的に高いところでのみその存在が報告されていた。しかしながら、ここ数十年での怪異の爆発的な増加に伴い、属性持ち怪異の報告も相次いでいる。怪異と獣をその姿だけで見分けることは困難である。怪異は物理的及び源技能に対する耐性が非常に高い。また怪異から受けた傷は毒のようにその身を蝕み、また治癒源技による治療の効果も激減するため、一つの負傷が致命傷になることは自明の事実だが、属性持ち怪異の源技能もそれと同様である。広範囲対象の炎源技能を発現する怪異の討伐の際に、王領の騎士数十名が犠牲になったことは記憶に新しい。

 それら怪異も、我々と同じ源技能を発現していることが想像できるが、なぜ、彼らの源技には追加効果があるのだろうか?やはり、構成源粒子の違いによるものだろうか?また、なぜ彼らの耐性は高いのだろうか?これらの疑問が解けるとき、おそらく我々の怪異に対する恐怖は無くなるのだろう』




「源技能基礎概論」はそれで終わっていた。


レンは本の閉じ、大きく息を吐き背伸びをした。

体に感じていた張りが多少解消されるのを感じる。


レンはベッドの上のスマホを手に取ると、電源ボタンを押し時刻を確認した。

本を読み始めた時から1時間ほど経っていた。


(400ページ近い参考書を読むのに1時間。いつもより読みスピードが遅いな)


【もう読み終わったのですか?】


手に持ったスマホからヴぃーがそう聞いてきた。


「あぁ、うん」

いつの間にかベッドの方に移動していたディルクの方を向きながらレンは答えた。


「おまえ、本を読みながら指で机を叩いてたが、あの独特の拍は何か元の歌があるのか?」

ディルクがそう言ってきたとき、レンは一瞬何を言われたのか理解できなかったが、すぐに心当たりを思い出す。


「え”――やってた?自分」

「?あぁ、まぁ、ずっとではなかったが」

「あーーやっちゃったかぁ、煩くなかった?―――集中しすぎるとやっちゃうんだよね。でも無意識では久しぶりかも」

レンがばつの悪そうな顔をする。


「なんだ?駄目なことなのか?」

ディルクが真っ当な疑問を投げかけてくる。


「いや、単純に周りのヒトの迷惑になるかもってだけ。ただ、自分にとっては、フロー状態に入るルーティンというか、予備動作ってか、鍵みたいなもんかな」


「ふろー状態?」


ディルクには馴染みのない言葉だったらしい。


「簡単に言うと、完全に一つのことに集中する状態。その状態のときは、周りの物音は全く聞こえずに、只目の前の事に打ち込む。頭で考えるよりも体が反応して動く。時間の流れも遅く感じる」


どちらかというと、ゾーンという単語の方が認知度は高いのだが、スポーツでのことと誤認されがちであるため、レンはフローという単語を使用していた。


「―――それだけ聞くと、源技や剣の達人の境地に似たものを感じるな。だが、それとあの叩く行為は関係あるのか?」

またしても、ディルクの真っ当な疑問だ。


「自分の数少ない特技に、自在にフロー状態に入れる、っていうのがあるんだけど。その過程の一つに、音を出して集中力を高めるっていうのがあるんだよね。自分特有の条件なんだけど」


「じゃあお前は、音を出せば完全に集中状態に入り込めるのか?」


「まぁ、大体は。結構便利だよ、事務作業みたいな単調作業とかは特に」


そういって軽く笑いながら、レンは椅子からベッドへと移動した。


【源技能書はどうでしタカ?】

ヴぃーが聞いてくる。


「いや、面白かった!もの凄い刺激的な内容だったよ!まだまだ解ってないことばかりで、今後爆発的に発展する分野だと思う!」


レンは興奮しながら声を上げて言った。

未開拓の分野というのはそれだけで魅力的である。


【――ほう】


「後は――――自分の異常さも実感できたかな。源粒子を視覚的に捉えることができて、怪異を簡単に殺すことができて―――」


そう言うと、レンは口を閉ざしてしまう。次の言葉が出てこなかったのだ。


(―――この世界に飛ばされたのも、この異常な能力とも関係あるんだろうか?だったら―――)


【あまり考えすぎてもよくありません。目の前のことを一つずつこなしていきましょう】


レンが物思いにふけっているところに、ヴぃーすかさず言ってきた。


こころなしか、いつもは無機質なヴぃーの声が優しく聞こえた。




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