10-10
「私はこれまで、ステラの替え玉……身代わりとして王家に属して来ました」
リッピィア王女の声が、これまでとは少し違うように感じる。
常に元気と明るさを振りまいていた彼女が伝え方を変えてきた。
それだけ、これから話す内容が大切って事なんだろう。
その証拠に、それまでボーッとしていたステラの目がいつの間にかしっかり開いている。
彼女もきっと、リッピィア王女の真剣さを今の一声で汲み取ったんだろう。
「王族でないのに王族として過ごす日々には、常に虚栄心が付きまといます。本当は偉くないのに、偉いフリをしなくてはいけません。大した人間じゃないのに、価値ある人間を演じなければいけない。それはとても辛い事で……時々自分を見失います」
「……」
正直、驚いた。
あれだけ天真爛漫なリッピィア王女が、そこまで思い詰めていたとは。
多分、こんな事今まで誰にも話してなかったんだろう。
ヘリオニキスもラピスピネルも、そしてステラですら驚いている。
「自分なんて所詮は偽物。仮初めの姿で一生を送るだけで、何の中身もない虚無な人生。そう思う一方で、自分がこの国の中心にいて、思惑一つで多くの人々を動かせる事に酔い痴れる……そんな雑念が周期的にやって来ます。少し調子が悪いと毎日のように目まぐるしく」
「リッピ、貴女……」
「ごめんねステラ。あんまりこんな事は話したくなかったんだけど……幾ら無敵の私でも、辛い事は辛いのよね」
道化を演じるように話す彼女の姿に、違和感を抱いた事は一度もない。
心の底から今の自分を愛し、信じ、行動していると思っていた。
勿論、何の迷いもなく……って訳じゃないにしてもだ。
「ここで成す全ての事は、私がしているんじゃなく王女の功績。それは私にとって誇りだけれど、私ではないの。だけど、この立場で起こした失敗や晒した醜態は王女の恥。それは王家の恥でもあるでしょう? 私如きが王家の名を汚すだなんて……許されないと思うでしょ?」
「そんな事はない。汚しているのはステラ。貴女に何もかも押しつけて好きな事をやっているステラの責任」
「あなたがそういう性格なのは知ってる。だから、あなたを恨んだ事は一度もないし、あなたの事は大好きよ。でもね……あなた以外はそう思ってはくれないでしょ?」
それは仕方がない。
王女という立場で活動する以上、その全ては王女の行った事だと認識される。
つまり、王家のお膳立てがあって行われるという前提で評価される。
でも、彼女は本当の王族じゃない。
今の立場でいる限り、リッピィア王女が『リッピィア』として評価される事は絶対に、ない。
……それはとても辛い事だ。
「本当は逃げ出して、王女でも何でもない自分に戻るつもりだったの。キリウスって奴に唆されてね。だけど或る日、突然私の前に見た事のない人物が現れてね」
不意に、リッピィア王女の視線が俺の方に向けられる。
そうか……最初に会った時の話をしてるのか。
「覚えてる? シーラ。あの時の事」
「勿論。刹那移動の移動先が偶然、貴女の部屋だったんですよね」
「あなたにしてみれば『よく知らない女の所に瞬間移動してしまった』程度の認識よね。でも私はね、あの時……殺されると思ってた。キリウスに裏切られて、殺し屋を派遣されたって」
……だよな。
俺が逆の立場だったら、間違いなく死を覚悟する。
王族の部屋に突然見知らぬ人間が現れるって事は、ほぼ間違いなく暗殺だ。
そして実際、俺の記憶が確かなら――――あの時のリッピィア王女もそういう認識だった。
『もしかして暗殺者? 私、これから殺される?』
確かにそう言っていた。
でも、その口調は妙に落ち着いていて、冗談を言っているような印象さえ受けた。
少なくとも、心の内でそんなに怯えきっているなんて思いもしなかった。
「王女が狼藉者相手に醜態を晒して殺されたら、末代までの恥でしょう? でも私には、王族ならではの格式なんて備わっていないから凛とした態度なんて無理だったの。ならせめて、最後まで飄々としていようと必死に取り繕っていたのよ」
「そうだったんですか……申し訳ありません」
「いいのよ今更。それに、私が言いたいのはあの時本当はビビってたって事じゃないんだから」
リッピィア王女の目が、心なしか潤んでいる気がした。
でもそれは、悲しみや後悔じゃない。
「あんな事があっても、一応冷静に対処できてたでしょ? だから悟れたの。私はいつの間にか、王女になってたんだって。勿論、本当に王族の血が流れてるって思ってる訳じゃなくてね。『私の人生は王女なんだ』って……そう思ったのよ」
リッピィア王女のその言葉を、完璧に理解できているかというと……そうじゃないかもしれない。
でも、なんとなくはわかる。
きっと――――
「自分がやってきた事……自分の功績を、自分自身で認められた……って事ですかね」
それを口に出すと、リッピィア王女は少し戸惑うように沈黙し、その後少しだけ笑った。
「その通りよ。私は王女じゃないけれど、私のやって来た事、私の人生は王女だと胸を張れるようになったの。あの出来事をきっかけにね。それ以降の私は、自信を持って王女だと胸を張れる。ステラもそう言ってくれたしね」
「何度でも言う。この国の王女はリッピ。ステラじゃない。ステラは王族に生まれただけ」
こればっかりは、二人にしかわからない感覚なんだろうな。
でも、二人に接する時の俺も割と近い感覚かもしれない。
ステラに対しては、王女っていう印象は殆ど抱いていない。
テイルとの兼ね合いもあるけど、ステラの姿をしている時は『王城で出会った変な子』であって、同時に『変だけど頼りになる子』だ。
それに対し、リッピィア王女に対しては最初から今に至るまでずっと『王女らしくない気さくさと強さを兼ね備えた、賢くて強いリーダー』。
感覚的にはずっと、リッピィア王女の方が『王女』だ。
「……何が言いたいかっていうとね、国王陛下は私の父親ではないけれど、私は王女として一番近くであの方を見てきた。だから、私にしかわからない感覚が必ずあると思うの」
「それは……陛下が善か悪か判断を出来る、という意味ですか?」
ずっと黙ってリッピィア王女の述懐を聞いていたヘリオニキスが、恐々とそう聞く。
恐らく、彼の中でも既に結論が出ているんだろう。
「ええ、そうよ。その感覚をそのままに、あなた達に伝えるから。聞いて」
「……はい」
「勿論です」
ヘリオニキスに加え、ラピスピネルも畏まる。
今のリッピィア王女は、誰がどう見ても王族のオーラを纏っているだろう。
「直に接する機会は余りないけれど、私はあの方から『悪』を感じた事は一度もないの」
「おお! ならば……」
「でもね。『善』を感じた事も、やっぱり一度もないのよ」
「なっ……」
想像していた答えとは少し違っていたけど……確かにそれは俺も同じだ。
あの国王に闇とか暗黒とか、その手の漆黒の意志を感じた事はない。
だけど、あの妙な明るさ……国王にしてはやけにフレンドリーな話し方や所作に、善なるものを感じた事はない。
良く言えば無邪気。
悪く言えば幼稚。
そんな印象だった。
「大らかな心っていうのは、時として格がないように感じる事もある。でも、陛下に限ってそんな訳がないと、ずっとその気持ちに蓋をして来た気がする。それが私の……王女としての見解よ」
結局、リッピィア王女は俺の言葉を十割信じるとは言わなかった。
だけど、ずっと違和感を抱えてきた事の正体が俺の指摘にあるかもしれない――――そう示唆してくれた。
「……王女殿下の見解は承知致しました。では、ステラ様は……」
「ステラは何もない。父は父だけど、それ以上もそれ以下も、何も感じた事がないから」
それは……ある意味リッピィア王女以上にわかりやすい胸の内かもしれない。
二人の発言を総合すると――――ビルドレット国王とは、殆ど中身のない『空洞の王』って事になる。
だとしたら、俺の見解への支持に等しい。
もし本当に傀儡の王ならば、空洞なのは寧ろ当然だ。
「で、ですが……」
「ヘリオ。陛下に近いお二方の率直なご意見ですよ。貴方はそれを、自分のこうであって欲しいという願望よりも後ろに置くのですか」
「それは……っ」
国王がまともな状況にないと中々認められないヘリオニキスに対し、ラピスピネルの方は冷静に事態を受け止めている。
彼女自身、そういう疑心は抱いていたんだろう。
「私は、お二方の身を削るような御言葉でようやく決断できました。私も、私の直感に従います」
「それは、俺を信じてくれるって事ですか?」
そう問うと、ラピスピネルは静かに頷いた。
ヘリオニキスは何も言わない。
反論もしない。
彼にも、どうしても譲れない一線があるんだろう。
ここまでが精一杯だろう。
十分だ。
俺がこれから伝えるべき事を伝える為には。
「もう一つ、大きな懸念材料があります」
「……まだあるの?」
露骨に顔をしかめるステラに一つ頷き、再度この場にいる全員を視界に収める。
……正直、これからの話の方が、陛下を疑う事よりもずっと大変で、嫌な事だ。
でも、これは絶対に避けて通れない問題なんだ。
「仮に俺が国王陛下を傀儡にしている黒幕の立場だとしたら、この世界を更なる混沌に陥れる為、どうしても必要な事があると考えます。それは……」
それは、確証なんてない。
でも確信に近いものがある。
わざわざアスガルドの作った世界をグチャグチャにして悦に浸るような性悪の考えそうな事と言えば……
「俺達の動向を監視する為、スパイを派遣する事」
――――俺達の陣営の中に、裏切り者がいる。
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