5-10
空想を絵にする――――それは多分、イラストレーターを目指すとか目指さないとかは関係なく、誰もが一度は体験する事だ。
俺だってそう。
テストの答案の裏側やノートの隅っこに、その時夢中になっていたゲームのキャラクターを想像しながら、形にならないくらい下手くそな絵を描いていた。
俺はそこで止まったけど、俺とは違って絵の才能のある来未は沢山の周囲の人達から褒められて、もっと褒められたくて絵を描き続け、画力を磨いていた。
終夜はその来未より更に上を行く才能を持っていて、ここまでの物を書き上げたんだろう。
でも……
「これ、デジタルを印刷したんだよね? 手書きじゃなくて」
鑑定士じゃないからデジタルとアナログの見分けを絵だけ見て判定するのは無理だし、それ以前に印刷か手書きかさえ区別出来ない。
でも、スケッチブックやノートじゃなくて紙の束だった時点でなんとなく察していた。
「はい。厳密にはフルデジじゃなくて、ペン入れまではアナログなんですけどね」
「妹もそうだよ。フルデジタルって難しいの?」
「そうですね。フルデジはどうしても線が自分の思い描いてる感覚と若干ズレるというか……多分、子供の頃に落書きしてた感覚がずっと頭に残ってて、それが『自分の絵』ってイメージになってるんじゃないかと思うんです」
だからペン入れまでは手書きの方が『自分の絵』により近付く、って理屈か。
俺にその感覚がわかる筈もないんだけど、なんとなく納得出来る。
ただ、俺が知りたかったのはそれじゃない。
「わざわざ印刷するって事は、資料として誰かに見せたって事……だよね?」
例えば自分の描いたものをwhisperやイラストコミュニケーションサービスのpictivに投稿するだけなら、印刷の必要はない。
また、イラストをただ見せるだけなら、スマホやパソコンでデータを見せれば良いだけの話。
敢えて印刷するのは、より大きくよりわかりやすく見せる場合……つまり資料として配布する場合くらいだろう。
実際、終夜はさっき『この資料は~』と言っていた。
仕事の依頼以外で資料を作成するのは、きっと――――
「やっぱり、そこを突っ込まれてしまいますね。春秋君の想像してる通り、これは〈アカデミック・ファンタジア〉の何処かに使って欲しくて、会議の時にスタッフの皆さんに配った物です」
俺の指摘は正しかった。
でも、ちっとも喜ばしくない。
目の前の終夜の表情が、明らかに曇ったから。
「さっきも言ったように、元々は自分の好きな世界観を思うがままに描いただけのもので、資料なんて言えるシロモノじゃありませんでした。楽しい街、楽しい空間……もしこんな所があったらいいなって。でもゲームの制作に関わらせて貰って、つい欲が出て」
「自分の描いた街を使って欲しくなった……?」
「というより、居場所を作りたかったのかもしれません。世界観やちょっとした設定を使って貰っただけでスタッフの中に入れて貰っていましたから」
……そうか。
終夜はずっと肩身の狭い思いをしていたんだ。
『親の七光り』ってのは自虐とばかり思ってたけど……もしかしたら実際にワルキューレのスタッフから陰口を叩かれてたのかもしれない。
例えそうじゃなくても、自分は余り大した事が出来ていないって思いがあったんだろう。
だから、貢献したかった。
いや……実感したかったのかも。
時間をかけて描いた街が採用されれば、それは確かな実感になる。
〈アカデミック・ファンタジア〉を作った一員という実感が得られる。
「でも、ダメでした。この資料の中の街は、〈アカデミック・ファンタジア〉の雰囲気にそぐわないからって」
……だろうな。
俺がここまで強烈に違和感を覚えてるんだ。
〈アカデミック・ファンタジア〉を作り上げたスタッフ達がそれを感じない訳がない。
「わたしもその説明には納得しました。だから、この資料は全ボツになったものです」
「……」
例えそれが元々〈アカデミック・ファンタジア〉の為に描いたものじゃなくても、使って欲しくて提出した瞬間、それはゲームの為のデータになる。
そして使用を認められなかったら、ボツ資料になってしまう。
自分の空想した世界が、『必要とされなかった物』になってしまう。
当然の事だけど残酷だ。
「その時点で、私の中で五年間続いた物語は打ち切りになりました。もう二度と思い出す事もないって思ってたのに……」
「突然〈裏アカデミ〉の中で目の前に現れた」
コクリと、終夜は即座に頷く。
当時の彼女はフリーズしたんじゃなかったんだ。
単純に、一度死んだ筈の自分の世界が蘇って、感動で打ち震えていたんだ。
もしかしたら違うかもしれない。
驚きの余り絶句していたかもしれないし、不安や恐怖を覚えたかもしれない。
でも俺はなんとなく、感動していたんじゃないかという予想に着地していた。
答えは聞けない。
きっとそれは、終夜にとって凄く深い場所にある感情だから。
「でも、私の事は良いんです。問題は……」
「お前のお父さんが、どういうつもりでこの資料を採用したか、だよな」
「……はい」
終夜本人に許可を取っていないのは明らか。
だとしたら、理由は二つしか思いつけない。
盗用。
流用といっても同じだ。
要は、ワルキューレに提出されたボツ資料を、ワルキューレから離れた身で勝手に使用した。
動機はわからない。
ボツにはなったけど終夜父は娘の描いたこの街並を気に入っていて、自分の〈裏アカデミ〉で採用したかもしれない。
単にコンセプトと一致していたから拝借したのかもしれない。
いずれにしても、その可能性は……低いだろう。
もう一つの理由の方がずっと高い。
娘の作った資料に光を当てたかった。
娘が五年の歳月を掛けて描き上げたものを――――無駄にしたくなかった。
もしかしたら……〈裏アカデミ〉というゲーム自体、これが目的だったのかもしれない。
〈裏アカデミ〉の存在が明るみに出れば、嫌でも注目を集める事になる。
それも、スタッフの内部分裂によるゲーム自体の分裂という、過去に例のないゴシップで。
きっとたくさんのゲームユーザーが、終夜の作った街の目撃者になるだろう。
でも、そんな事が現実に起こったとして、終夜が喜ぶ筈がない。
今、俺の眼前で沈んだ顔をしているのがその証だ。
「もしかしたら、わたしの為……かもしれません。でもそうとは言い切れません。わたしはどうすればいいんでしょうか」
「お父さんにはこの絵をちょくちょく見せたりしてたの?」
「いえ。〈アカデミック・ファンタジア〉の資料として提出して、会議にかけられた時には見たと思いますけど、それまでは一度も」
……となると、ますます真相は見えてこないな。
俺とは全く違う理由で、終夜もまた〈裏アカデミ〉へのモチベーションを見失ってしまった。
実際、この何もわからない状態のまま、終夜をあの王都へ連れ出す事は俺には出来ない。
終夜父に直接話を聞くしかない。
でも、もし……終夜父の暴走が娘を思っての事だとしたら、俺はそれをなじれるだろうか。
こんな犯罪行為で日の目を見ても終夜は喜ばないと、正論を突きつけられるだろうか。
……出来ないかもしれない。
関心を持たれない空しさや、長い年月を掛けて作り上げた物が注目される嬉しさを、俺も少しくらいは知ってるから。
「……」
言葉が出ない。
どうすればいいのか、俺も終夜もわからない。
一体、どうすれば――――
不意に、この場に余りそぐわない電子音が鳴り響いた。
これは……SIGNの通知音だ。
「わたしじゃないみたいです」
「俺のスマホか。悪い、ちょっとチェックする」
「もちろんです。どうぞ」
この重たい空気を切り裂くように鳴り続けていたのは――――
『やぽー』『先輩、進捗どうですか?』
水流からの、なんとも気の抜けたメッセージだった。
っていうか……
「やぽー……? なにそれ流行ってんの?」
「へ? なんですかやぽーって」
「いや……なんかそういう謎の挨拶が」
「迷惑メールじゃないですか?」
確かにSIGNにも知らない奴から迷惑トークが届く事あるらしいけど、これは違う。
一体何語なんだ……?
こういう謎言語って大体女子高生の造語だったりするけど、同じ年代の俺にもサッパリわからないぞ……
「終夜、検索してみて。やぽーで」
「わかりました。やってみます」
にしても、さっきまでの暗い雰囲気が一瞬で消え去ったな。
恐るべし水流、そしてやぽー。
「ダメです春秋君、それっぽいの出て来ません」
「一般的な言語ですらないって事か……」
となると、本人に聞くしかない。
少し癪だけど……
『やぽーって何?』
『今適当に思い付いただけ』
マジかよなんだよそれ!
本気で悩んだこの数十秒間を返せ!
『なんか少し間があったけど、もしかして先輩、検索とかした?』『やぽーで』
『したよ悪かったな』
『あれ?』『SIGNしながら検索ってできたっけ?』
……また厄介なところに目を付けてきたな。
いや、言えばいいだけなんだ。
ここにリズの中の人が来てるって。
でもなあ……夜の八時回ってる時間帯に女子を部屋にあげてるって中学生の水流に知られるの、なんか凄く抵抗ある。
今時の中学生が『不潔ー!』とか昔のアニメやマンガみたいなリアクションするとは思えないけど、軽蔑とかされそうな気はする。
もしそうなると……ちょっと辛い。
いやちょっとどころじゃなく辛いかも。
『検索は妹にやってもらったんだ』『たまたま部屋にいたから』
……微妙に嘘を吐いてしまった。
なんだろう、別にやましい事をしてる訳じゃないのに、変に罪悪感が……
「春秋君? なんかすごく汗かいてません?」
『本当に?』『なんか怪しいよ先輩』
……あれー?
なんでこんな事に……?
スマホを持つ手の震えが止まらないんだけど……?
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