第18話『心の深奥』

「ケハッ……カッ………」


 気道がホブゴブリンの手によって締め付けられ、空気が微かに漏れるような音しか出すことが出来ない。


 苦しい。苦しい。苦しい。


 ただ自分で息を止めているだけの苦しさとはわけが違う。自らの命が途絶えようとしているのに、涙は失われていく自らの命を惜しむかのように、留まることを知らない。


 しかし、俺はその苦しさが徐々に薄れていくのを感じていた。それは苦しさが薄れているのではなく、意識がおぼろげになっていくだけなのだろうが…。


 俺は歯を必死に食いしばりながら、涙でにじむ視界の中でホブゴブリンの姿をとらえると、その顔には残酷な笑みが浮かんでいる。俺の命を刈り取るのがそんなに楽しいのか。腐ってやがる。


 そんな、おぼろげな意識の中で俺は考えていた。


 自分の人生は何だったのだろうかと。


 思えばいつも誰かに守られてばかりいた人生だった気がする。物心つく前は母に、物心がつくようになってからはシュナちゃんやマキュリスやザックに。そんな守ってくれる強い者たちの陰で俺はお調子者のようにヘラヘラしながら生きてきた。


 だが、本当はこんな風に生きたかったわけではない。


 そんな、誰かの陰に隠れてしか生きていけない自分をずっと責めていた。何て俺はダメな奴なのだと。


 そんな俺は本当の所どうなりたかったのか。


 本当の所、なりたい自分の姿はずっと自分の中で分かっていた。しかしそれは、今まではずっと無理だろうと自分の中で思い続けてきたはかない望み。心の奥で本当に望んでいたこと、それは……………。


 でも、そんなのは高望みでしかなくて。


 そう、俺の力じゃ到底そんなことは無理だったんだ。俺としてはそんなに多くを望んだつもりはなかった。でも、俺はそんなちっぽけな夢もかなえられなくて。最後は、村を己のために村を売り渡したクズの手にかかってなすすべもなく死ぬ。


 ひでぇよなぁ俺の人生。でもそれももう終わり………。








 頭の中で、どこかで聞いたことのあるような男の声が聞こえる。


 本当にそれでいいのか?


 その声を聞いたことはおそらく初めてだというのに、その声は何故かすごく親しみを覚えるようなそんな声だった。


 一体この声の持ち主は誰だったか。そんなことを考えるが答えは出ない。


 本当にそれでいいのかだって?いい訳ないじゃいか。俺はこの人生何もできずに死んでしまうんだぞ。全く納得のいかない人生に決まっているじゃないか。でもしょうがないんだ。俺が弱いから。


 こんなところで死ぬためにお前は生まれてきたのか?


 俺の意思に構うことなく、その声は俺へさらなる質問を投げかけてくる。


 俺だって…こんな所で死ぬために生まれたわけじゃない。俺だって、俺だってやりたいことはあった。成し遂げたい夢があった。でも、俺の力じゃ到底そんなことは無理だったんだ。でも、もし叶うのなら……。俺にも生まれて来た意味があると信じてみたい。


 そうだ。何のために生まれて来たのかなんてことはお前が決めることじゃないか。じゃあそれを踏まえてもう一度聞こう。お前は何のために生まれて来たんだ?


 度重なる質問の嵐に俺は思わず苦笑してしまう。とはいっても、苦笑したような気分になっているだけで現実の顔は全く変化していないのだが。


 こいつは……。こいつは、俺が今まで築き上げてきた鉄壁を誇る心の防壁をたやすく超えてくる。誰にも見せないように、必死になって隠し通してきた心の奥地にたやすく侵入してくるのだ。恥ずかしくて誰にも言えなかった俺の秘密の欲求にいとも簡単に接近してのけてくる。


 もうこの際だ。俺はこいつに今まで隠してきた物を全てぶちまけてやりたい気持ちになる。俺だって誰かに話したかったんだ。でも、バカにされるのが怖くて今まで一度も言えなかった。自分さえ、そんな夢をバカにしていたのだから、それを誰かになんて言えるはずがなかった。


 でも…。でも、こいつだけは自然とこんな俺を受けれ入れてくれる気がする。


 俺が何のために生まれて来たのか。


 俺は、ずっと心の奥底に封じ込めていた思いへと深く意識を没入させていく。


 バカなことを言っていると思われるかもしれない。気が狂ったと思われるかもしれない。無理だと笑われるかもしれない。でも、俺はずっとこう思っていたんだ。


 俺がこの世に生まれた理由、それは俺の大切な誰かを守るためだと。


 それこそが、俺の誰にも言えなかった儚い夢だった。自分の手で、俺の大切な人たちに迫る悪から身を守ること。そこまでいかなくても、俺の大切な人たちの役に立てることが俺の夢だった。


 子供の頃に英雄伝説にあこがれて夢見るような本当に馬鹿げている夢。


 当然のことながら、そんな夢が叶えられることはなかった。俺の力はバジュラに住む誰よりも弱かったし、俺の助けなんて誰も必要としてなかったのだから。


 俺が誰かを手伝おうものなら逆にその人の手を煩わさせてばかりだった。だから、俺は自分の夢をずっと心の奥底に閉じ込めていたのだ。


 でも、どれだけ心の奥底に押し込めていても、本当の思いはそこにあった。どれほどの時が流れてもその意思が消えることはなかったのだ。


 それは今という時を以て初めて世界に解き放たれた。誰かにバカにされるのが怖くて、無理だと言われるのが怖くて、ずっと胸の内に隠してきた誰にも言えなかった俺の夢が、俺の胸の内から解き放たれたのだ。


 しかし、こいつはそんな俺の夢すら素直に肯定してくれる。


 そうだタツキ。お前はそのために生まれて来たんだ。お前にはその力が既に備わっている。お前はそれを自分で否定し続けてきただけだ。さぁ、現実の話に戻ろうか。あのホブゴブリン共はお前の大切なシュナの家から何か大事なものを盗み出そうとしている、それはきっとシュナが大切にしているものだろうな。こんな状況をお前はどう見る?


 ふざけるな、そんな事が許されるわけがない。


 ずいぶんと昔に忘れてしまったような感情、『怒り』が沸々とこみあげてくる。まるで自分の体の内側からドロドロとした熱いナニカがあふれ出してきたようだった。しかし、それは怒りとは少し違うような感じもする。しかし、それが何かまでは分からない。


 しかし、その感情が沸き上がってくるのと同時にそれを押さえつけるような感情も湧いてくる。


 ホブゴブリン達の行っている行為は許せない。でも、そんな奴らをとっちめてやるのは俺なんかじゃむりだろう。俺には誰かを守るための力なんてない…。


 しかし、そんな俺の思いをこいつは容易く否定する。


 それは違うさ、タツキ。お前には誰にも勝るとも劣らない誰かを守れる力が備わっている。本当のことだ。今まではひたすらに自分で否定し続けてきたソレを認めてやればいい。


 そんなことを言われても俺には何の力も感じない。否定している?何の話だ。俺には何の力もないんだ。そんな事は俺が一番よく知っている。お前に何がわかるって言うんだ。


 そんな俺の対応にこいつは困ったように苦笑した、ような気がした。


 確かにいきなりそんな事を言われても困るだろうな。じゃあ、こう話を変えよう。本当はお前どうしたいんだ?全てがお前の思い通りだったとしたら何がしたい?


 俺が本当に望んでいること…。


 俺は自分の心の奥底を覗き込んでみる。そこには今まで俺によって必死に押しとどめられていた怒りにのたうち回る大蛇のごとき激情の奔流があった。


 俺は大切な誰かを守りたい。そして…俺の大切な人に危害を加えるような悪い奴らはぶっ殺してやりたいっ!!そして俺は皆に認めてもらいたい!!俺がいてよかったって皆に思ってもらいたいんだっ!!!!足でまといはもう、嫌なんだ!!!!!!


 今まで俺の胸の内に抑え込まれていた奥底の感情が濁流のごとくあふれ出してくる。それと同時に、本当に思っていたことを口に出せた開放感に興奮する。そうだ。俺はそう思って生きていたんだ。そんな自分を決して認めようとしなかっただけで。


 いいじゃないか、やってやれ。お前にはそれを実現するだけの力は既にあるんだから。


 本当に?


 あぁ、本当だ。


 何だろう、こいつに言われてみると本当にいけるような気がしてくる。そして、自分にも出来るかもしれないと思うことで、再び烈火のごとき怒りが留まることなく吹き上げてくる。


 ふざけるな。


 なんで俺はここで殺されようとしているんだ?俺がここで死んでしまったらもう二度と大切な人たちの力になれないじゃないか。まだ何の恩返しもしてないのに!!


 自分の体が自分のものじゃないような感じがする、まるで長年ため込んでいた負の感情が今という瞬間に灼熱の温度を持ってあふれ出してきたかのようだった。


 ふざけるな!!


 あいつらを叩きのめしてやりたい。村を自分の欲望のために売り渡したような奴なんて許してたまるものか。そんな奴らに俺が殺されるなんて間違っているじゃないか!!俺は、皆を守る!!


 そうだタツキ――






――殺せ。






 そいつは、笑っているような気がした。いや、笑っていたのは俺のほうか。


 俺は苦しみのあまりずっとつむっていた目を開いた。見開かれた両瞳に写った世界は透き通って見えた。

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