第15話『占有者』

 俺はようやくシュナちゃんの家まで着いた。普段はめったに運動しない俺は、村の端から端までダッシュしただけで息が上がってしまった。今必死に空気中から酸素を取り入れんと動きを続ける肺が痛い。口の中には血の味が広がっている。


 シュナちゃんの家はそんなに大きくない。


 というのも、シュナちゃんはどこか遠いところから小さいときにバジュラの村長に引き取られてやってきたので、もう使われることのなくなっていた先代村長が住んでいた家をあてがわれて住んでいるからである。


 俺は、ハァハァと必死に荒い息を続けているものの、とうとう安全地帯にたどり着いたという安心感から全身の疲れが少し和らぐ心地がする。全身に張り巡らしていた緊張感が解けたとも言えようか。


 なにせ、ここにたどり着くまでは自分が無事でいられるか気が気じゃなかったのだ。しかし、もうそんな心配は無用。俺は、シュナちゃんの家まで無事にたどり着いたのだから。


「シュナちゃーん!!いるかーい?」


 今まで胸の内でくすぶっていた不安感を吐き出すかのように俺はキーが外れたような大声でシュナちゃんの名前を呼んでしまう。


 裏門のほうに逃げ出そうと走っている魔物たちが、突然上がった奇声に何かあったのか?と周囲をうかがっているのが見えた。


 すいません、何もないんですっ。


 恥ずかしさのあまり、顔がカァっと熱くなる。


 俺が呼びかけてしばらくの時間がたったと思うが、依然としてシュナちゃんからの返事は聞こえない。


 え?何で?


「シュナちゃん!!俺だよ、タツキだよ!!いたら返事してよー!!」


 しかし、返事はない。嫌な予感が頭をよぎる。


 もしかして、シュナちゃんもう家にいない…?


 俺は急にお先が真っ暗になったような気がした。ここまでシュナちゃんはここにいると少しも疑わずにここまで来たのだ。


「しゅ、シュナちゃーーん!!!!」


 俺はたまらず、シュナちゃんの名を呼んだ。


 でも、返事はない。


 よく考えてみれば、何か騒ぎがあったというのにずっと家に引きこもっている魔物がいる方がおかしい。普通の魔物なら逃げるか、辺りをうかがうために外へ出る、もしくは迎撃するために戦場へと赴くだろう。


 そもそも何で俺はシュナちゃんが家にいるはずと思ったのか。


 それは、自分が外に逃げ出す勇気がなかったから、皆もきっと外へ逃げ出すことができずに中にいるだろうと安易に決めつけたからだ。


 自分を基準で人のことを考えたらまずい、そんなことは百も承知だった。それがこんな所で出るなんて…。


 何が名案だ、ただの現実逃避のありもしない妄想じゃないか。


 そんな自分が嫌になる。だが、俺は呼びかけるのをやめられなかった。それを辞めてしまったら本当にどうしていいのか分からなくなるから。


 それは、困る。何かをして、この不安をごまかしていないといられなかった。


「シュナちゃーん!!本当にいないのー!?」


 俺は呼びかけるのを已めない。しかし、ついその声が震えてしまう。


 一縷の希望にかけてしばらく呼びかけるのをやめて返事を待ってみるも、やはり返事はない。


 終わった…。


 絶望が俺の体を支配しようとする。視界が徐々に暗くなり、脳が目の前の現実から逃れようとする。もう、何かを考えるのも億劫だった。怖いのは、もう嫌だ。


 その場でうずくまってしまおうか。そうすれば、気になった誰かが一緒に逃げてくれるかもしれない。


 そんなことも思ったが、そうはならなかった。なぜならその時、どんなに呼びかけてもうんともすんとも言わなかったシュナちゃんの家の扉が開いたからである。


 ドアが開けられると共につい俺は固まってしまった。


 安堵?違う。歓喜?違う。羞恥?これもまた違う。


 俺が扉を開けられて、最初に思ったこと、それは――





――え、誰この人





ということである。目の前に立つ魔物は、シュナちゃんなどではなかった。見たこともないようなホブゴブリン、それが立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る