月への誘い 谷口久士
マジシャンってのは、本当に因果な商売だと思う。
何もないところから、鳩や兎を出すわけじゃない。消えたトランプやコインは、この世からなくなったわけじゃない。ちゃんとあるところから出し、見えないところに隠してる。それだけさ。タネも仕掛けもあるんだ。
見る人はそんなのみんな分かってて、トリック見破るのを楽しみにしてる。でも、見破ったら夢が覚めちゃうのも分かってる。
疑いを鮮やかにひっくり返す。予想しない驚きを提供する。そして夢を繋ぎ続ける。俺らはそれを完璧にやり遂げなけりゃいけない。マジシャンにミスは許されないんだ。ほころびがあると夢が褪せる。作り物のうさん臭さが、全てを台無しにしてしまう。
だから。ものすごく練習をして、ものすごく場数を踏んで、度胸とテクニックを鍛えて。そうして今までずっとがんばってきた。
−=*=−
小学生の時に、プロマジシャンの手練手管に魅せられた。自分の小遣いでおもちゃみたいなマジック用具を買って、ひたすら練習した。学校で友達に披露したら、むっちゃ受けた。俺は図に乗った。
町の奇術クラブでひたすら腕を磨いた。中学、高校と学校のクラブでも昼夜問わずに練習した。大学でもクラブに入ったけど全然物足りなくて、中退してプロに付いた。師匠は俺をすごくホメてくれた。
「お前には才能がある。練習も怠らないし、度胸もいい。がんばれば絶対大物になれるぞ」
でも……。奇術を始めた頃から、ずっと変わってないことがある。
キメ。そう、一番肝心の大ネタを必ずトチるんだ。
別にあがってるわけじゃない。練習で失敗するような複雑なトリックでもない。だけどどうしてもうまくいかない。どんなにネタを簡単にしても。どんなに練習を重ねても。俺は一度もキメをクリアできたことがない。まるで、だれかが俺の線路に置き石をしてるかのように、そこで全てが台無しになる。
だから。どうにかして俺はそのジンクスを切りたかった。それが練習で解決するんなら、百万回でも練習しよう。誰かの助けがあればなんとかなるなら、そいつに命と奇術以外の全てを捧げてもいい。祟られているのなら、お祓いでも祈祷でもなんでも受ける。でも。どうやってもうまくいかない。
最近は。しくじった時に、必ずある店が脳裏に浮かぶようになった。まるで条件反射のように。
◇ ◇ ◇
あれは、師匠に連れられて初めて舞台に立った時だった。キャバレーの片隅で、酔客相手に手品を見せていた師匠は、俺も酒を飲みたいからあとはお前がやれって言った。代役と言ったって、俺の初舞台だ。わくわくする。酔客も師匠と違うネタが出るだろうと期待してる。
序盤はばっちりだった。小ネタも続けざまに繰り出せば、迫力が出る。カード、コイン、ハンカチ。どのトリックも鮮やかに決まって、感嘆の声が出る。俺は有頂天になった。めっちゃ気持ちいい。
最後は、帽子ネタだ。取り出した山高帽を被ってみせて、それを逆さまに持つ。マスターからオレンジジュースをもらって帽子の中に注ぎ入れ、くるりとひっくり返して被る。もちろん、何事も起こらない。ジュースはどこへ行った?
期待を持たせて。そうして、もう一度頭から下ろした帽子を逆さまにすると……中からグラスに入ったオレンジジュースが出てくる。
……はずだった。
だけど実際は。オレンジジュースを注いだ帽子を被った時点で、俺の頭は洪水になった。トリックは完璧だ。どこにも失敗する要素なんてない。なぜ? なぜだ? 俺は笑いでごまかすしかなかった。
とりあえず、客には受けた。ギャグだと思ったんだろう。でも師匠は、烈火の如く怒った。オレの顔に泥を塗りやがってって言って。俺は師匠に平謝りして、逃げるようにその店を出た。
ぐしょぐしょの頭が冷たかった。薄暗い街灯の下、公園の水飲み場で頭を洗った。頭を拭こうとして、手品用のハンカチをポケットから出したら。イミテーションのコインが一枚転げ落ちた。
夜空を見上げると、薄雲に紛れた月が俺をぼんやり照らしていた。無性に寂しかった。地面に落ちたコインを、屈んで拾った。紛い物のコイン。俺の芸もしょうもない紛い物か……。
腹が減っていた。コンビニでパンでも買おうと思った。コンビニの手前の路地に、その店はあった。暗い路地に、淡い半月の光が浮かんでいる。それは、夜空にではなく、店の扉の窓から。俺は、その光に吸い込まれるようにして店に入った。
「いらっしゃいませー」
中にはたった一人。穏やかな笑みを浮かべたママさんが、カウンターの向こうに立っていた。
とても不思議な雰囲気を持った人だった。
まず、年齢が分からない。若いのか、年配なのか。でも、そういうことを考えるのが無意味なくらい、絶対的な存在感があった。なんだろう? この世から切り離されたところから、顔を見せてるような。そんな超越感。
「ははは」
マジシャンが魔法をかけられてどうする。俺はそう思ってしまって、自嘲気味に笑いを漏らした。
「何か飲まれます?」
ママさんはほとんど動かず、顔だけわずかに傾けて言った。
「じゃあ、ビールを。それと、何か食べるものをお願いできますか?」
ママさんは、少し困った顔をした。
「ごめんなさい。今日は厨房が止まってて、お酒と乾きものしかないの」
「あ、じゃあ、それでいいです」
少しぎごちない手つきで、グラスビールとナッツが運ばれてきた。俺は、ナッツを口の中でぼりぼりと噛み砕いて、飲み込んだ。それをビールですすぐ。うん。うまい。ほっとした途端、涙が溢れてきた。
自分がどうしようもなく、情けなかった。どうしてこうなるんだろう。こうなってしまうんだろう。カウンターの上に、涙がぽたぽたとこぼれる。
ママさんは、俺の方を見ないで
「月の、雫ね」
俺はふっと気が楽になった。
「溜めちゃだめよ。奇麗だけれど、器が壊れるわ」
ママさんはちょっとだけ俺の方を向くと、また視線を逸らした。
その後は、俺もママさんも、ずっと無言だった。でも、その静けさがとても心地よかった。ビールを飲み終えたので、出ようと思って声を掛けた。
「ママさん、お勘定を」
ママさんは、さっと表情を硬くした。
「ママさんって言われるの、嫌いなの。私は美月って言います。そう、呼んでね」
「あ、すみません」
「いえ、私のわがままだから。でも、お願いね」
美月さんは、俺に柔らかな笑顔を向けた。
「五百円です」
「え?」
うーん。この客の入りで、この値段設定で。商売になるんだろうか。そんなことを考えながら財布を開けると、お札が万札一枚きりしか入ってなかった。硬貨は、百円玉四枚しかない。
コートのポケットに小銭がないかどうか、中身を出してみたけど、奇術用のコインしかなかった。万札を出そうかどうしようか迷っていると、美月さんは俺を見て目を細め、ささやくように言った。
「月を呼んでいらっしゃい。あなたの掌の上に。それまで、これは預かっておくわ」
そうして、俺の手から百円玉四枚と奇術用のコインを一枚。持って行った。
意味は分からないけど、励まされてるんだろうか。俺がぽかんとしていると、美月さんが俺に尋ねた。
「お客さん、お名前は?」
「ああ、谷口です」
「お仕事はマジシャン?」
「ええ。出来が悪くて、へまばっかりしてますけどね」
美月さんは励ますでも、突き放すでもなく、ゆっくりと。
「また、いらしてね」
……と言った。
店を出て振り向くと、扉に墨で『半月』と書いてあった。
半月……か。
◇ ◇ ◇
半月は、俺の中に隠れ家を作った。だから、俺はそこに隠れることにした。
あのあとも、俺は諦めずにジンクスに向かい合ってきた。でも全敗だった。その度に足が、半月に向く。
最初はただ酒を飲むだけだった。でもそのうち、抱えているものが言葉で溢れるようになってしまった。美人のバーテンさんと若いバイトの板さんが来てからは、俺はぐっちぃと呼ばれるようになってしまった。所構わず、愚痴をこぼしまくるから。
自分でもこんなことじゃいけないと思いながら。でも、言葉はだらだらとだらしなく垂れ流されていく。
……今夜も。
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