第126話 マグルを襲う脅威、そして最後の約束。

 

 その日、王国マグルは戦慄し、恐慌状態へと陥った。

 突如数キロ離れた先の平原に現れた二体の魔獣。その異様さに真っ先に気付いたのは見張櫓で警戒を続けていた兵士だ。


 カークリノーラスが漆黒の翼を広げて宙へ浮かぶと、グラフキーパーは暗き双眸をグルリと一回転させ、その場に次々と下級の魔獣を転移させた。

 最初は息を呑んで観察を続けていた兵士も、その数が続々と増え続ける異常事態に恐怖し、思わず指示を受ける前に警鐘を鳴らしてしまう。


 カランカランと鳴り響く音を耳にした町民は、かつて突然街に現れた魔族の事件が脳裏に過ぎり、一斉に混乱の坩堝へと落ちた。


「やはり、来ましたか……」

 聖騎士長は部隊の準備を整え、城門から出陣の準備を既に終えている。元々、ソウシを戦さ場へ送ると決まった時に一番懸念されたのがこの事態だった。


 SSランク冒険者のテンカは冒険者側のまとめ役を務め、自らが正規軍を率いる事で対処すると裏では綿密打ち合わせが行われていた。

 全ては、一人で孤軍奮闘しているであろう少年の為に。


「ガイナス! 私達も戦うわ!」

「テレス様は魔術学院の生徒達の統率を任されているのでしょう? 城門の外の敵は、どうか我らにお任せ下さい」

「でも……もしあなたに何か起こったら、きっとソウシは悲しむ」

 姫は戦いやすい様に着慣れた学院のローブを顔面に押し付けた。涙を見せぬ様に、必死に虚勢を張る。ガイナスはそんな姿を見て、困るどころか寧ろ嬉しかった。


「もう、初めてお会いしてから何年になるでしょうね。昔から表裏が激しくて気難しかった貴女様が、最近はとても可愛らしく映る。ソウシは、本当にいい影響を与えてくれました」

「あんな奴のお陰じゃ……ないもん」

 照れ臭そうに頬を染める少女の右手を握ると、ガイナスは真剣な眼差しを向ける。


「姫、私はこう予測しているのです。きっと今回現れた魔獣を操っている第三者がいる。そして、その相手こそ、災厄指定魔獣すら操れる巨悪な敵こそ、今ソウシが戦っている相手なのではないか、と」

「…………大丈夫かしら、あいつ」

「もし、敵がマグルの滅びる様をソウシに見せて絶望を与えようと言うならば、決してその思惑通りにはさせません。姫もどうか力をお貸しください」

 額に手を添えて懇願する聖騎士に向かい、テレスは一瞬瞼を閉じた後に決意の炎を宿した。ローブを靡かせると、振り返り学院へと歩み始める。


「当たり前よ! ガイナスこそ、たかがSランク魔獣くらい簡単に討ち取って来なさい!」

「……簡単に言ってくれますねぇ。ですが、聖騎士長の誇りにかけて誓いましょう!」

 二人は別々の方向へと向かい、別れた。強大な敵を前にして、強がりや虚勢でしかない事は互いに理解している。それでも、その想いを抱かせた少年の覚悟に報いる為に。


「お待たせしました。テンカさん」

「セリビアに会わなくて良いの? これが最後になるかもしれないわよ」

 ガイナスは城門の前で待ち合わせていた冒険者テンカと合流すると、開口一番に言われた忠告に身を怯ませる。

(人が敢えて我慢してる事をズバズバと突くな!)

 ブルブルと震えながら拳を握り締める金髪の美丈夫の肩を叩くと、テンカは普段見せぬ漢らしい笑顔で語った。

「僕にもね、シーナって言う愛しい妻がいたんだ。告白した事を、出会えた事を、後悔せずにいられるのは、きっとソウシ君のお陰だよ。君にもそう思って欲しいな」

「で、ですが魔獣は今この瞬間にも数を増し続けています……」

「だからこそさ。死にたくないって思える理由が、君にだってきっと必要だと思う」

 この時、ガイナスは本当に同じ男として尊敬の念を抱いた。だが、視線は決してテンカを見つめはしない。


 とっておきの勝負服ビキニアーマーを装備した逞しい髭が逆立つ変態を直視すれば、全てが台無しになると分かっていたからだ。

(この人のシリアスは……色々とキツイ……)


「十分間待つ。その間に私は冒険者と正規軍の配置を完了させておくわ。行って来なさい!」

「……はいっ!!」

 ガイナスは馬にまたがり、ソウシの屋敷を目指した。心残りを解消する為に、勝ち残る理由を求めたのだ。


「今行きます! セリビアさん!」

 全力で疾駆すると屋敷に入るまでも無く、門の前にはメイド服に身を包んだセリビアが立っていた。一人でまるで聖騎士長ガイナスが来る事を分かっていたかの様に。


「はぁ、はぁっ、あ、あの! セリビアさん!」

「はい。何ですか?」

 微笑みを浮かべる愛しい人を前に、ガイナスは石の様に固まった。戦闘以外の事はからっきしである男は、今までの人生で感じた事がない程に重い重圧を受けている。

 馬を降りて近付く足取りすら、両手両足がチグハグだった。


「あの、そのぉ、えっと〜!」

「ウフフッ! 本当に変な人ですね。初めて会った時に見せてくれた精悍さが、まるで嘘の様だわ」

「……すいません」

「……言葉なんていらないよ」

 セリビアはガイナスの頬に手を添えると、一瞬、本当に一瞬触れるか触れないかという口づけを交わす。聖騎士長の瞼は全開で開き、顔は茹で蛸の様に真っ赤に染まった。


 ーーそして、漸く気付くのだ。愛しい彼女が、涙を滴らせている事に。


「ど、どうして泣いているんですか? 私と口付けを交わすのが本当は嫌だった……とか?」

 慌てふためきながら両手を交差させつつ、狼狽えるガイナスの胸元へセリビアは額を埋める。


「ソウシが壊れちゃうって感じた……これが、きっと『最後』だから。私はもう、貴方には会えない」

「ーーーーッ⁉︎」

「さよなら、愛しい騎士様……」

 だが、振り向いて屋敷に戻ろうとするセリビアを、思わずガイナスは背後から抱き締める。


「終わりになんてさせません! 私は、この国も、王も、民も、そして愛しい貴女を守る! 絶対に帰る!」

「そうだね。信じるくらい、神さまも許してくれるよね」

(例え、それが一時の幻だったとしても……)


 ーーパアンッ!


 セリビアは振り向くと、ガイナスの頬を両手で挟む様に叩いた。これから戦場に向かう男へ、情けない姿を晒す訳にはいかない。


「無事に帰ってきたら、私をお嫁さんにしてくれますか?」

「ハハッ! その言葉だけで、私は神であろうが悪魔であろうが勝てます! 絶対に勝ちます!」

「……いってらっしゃい」

「……いってきます」

 腰元の魔剣をなぞり、これより聖騎士長は死地へと飛び込む。全ては愛しい人の為に。


(テンカさんに感謝しよう、これで私は無敵だ! 待ってなさいソウシ! 貴方を決して絶望に陥らせたりしない!)


 だが、再び馬に跨り戦地へ赴こうと動き出した直後、カークリノーラスの咆哮と共に城門は呆気なく破壊されたのだった。

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