第25話 三学年合同課外授業 5

 

「何デ、何デ、僕トオ姉チャンハ、アンナ事ヲ……」

 混濁する意識の中で、ソウシは必死に自我を保とうとするが、己の内在する力の奔流に逆らえずにいた。

 周囲に纏わりつく黒手は地面を喰らい、解き放たれる時はまだかと催促している様に蠢いている。


 Aランク魔獣フェアリーは、突如変貌した眼前の存在に向けて、慌てて魔術を詠唱し『アイスランス』を雨の様に放ち続けた。

 ーーしかし、唯の一発もソウシの身体に届く事は無い。

 一瞬で闇に喰われて消失した氷槍。その光景を口惜しそうに見つめた直後、黒手の一本が伸びて妖精の足首へ迫る。


『シールド』を発動してガードしようとしたその時、フェアリーは己の浅はかさに後悔した。直前に魔術が喰われたにも関わらず、回避では無く防御を選んでしまった事にーー

「グギャアアアアアアアアアアアアアアア〜〜ッ!」

 ーー大凡その綺麗な姿に相応しくない程に、醜い叫びを上げる。


 翼を喰い千切られ、足首を噛まれると、まるで遊ばれているかの様に左右の地面に叩きつけられた。必死に腕を振り回して拘束を解こうと暴れるが、徐々に己の無力さに打ち拉がれる。

 与えられたダメージの多さから幻術は強制的に解除され、意識を覚醒したマリオは直ぐ様、地面にへたり込んだ。

 隣には自らの腕を刺して、自分よりも一足早く覚醒していたであろうアルティナが、瞳を輝かせている。


「あ、あれは……一体彼に何があったんだ!」

「マリオ、貴方はこの光景に立ち合えた幸運に感謝しなさい? ソウシは英雄なんて器に収まる存在じゃ無いわ!」

「意味がわかりませんよ先輩! それに何で平気なんですか⁉︎ その怪我、かなり深いですよ! 治療しますからこっちへ!」

「勝手に『ヒール』でもかけてて頂戴? 私は今、一瞬でもこの光景から目を反らせ無いのだから」

 アルティナは恍惚の頬笑みを浮かべながら、うっとりと酔っている。マリオは急いで駆け出そうとするが、理解不能なソウシから放たれている圧倒的な威圧に恐怖し、腰から下に上手く力が入らない。


「僕はここで死ぬのかな……」

 呟いたその目線の先には、フェアリーを弄り倒し、力尽きた死骸を人形を放り捨てる様に宙に放り投げた後、うねうねと動く黒手が肉を喰らっていく凄惨な場面が繰り広げられている。


 自分の理知が及ばない邪悪な雰囲気と、涙を流しながら呻き苦しむ後輩の姿が一致せずにマリオは泣いた。恐怖からじゃ無い、自らの無力さに。

 ーー先輩なのに大事な後輩が苦しんでいても、近づく勇気すら無いのだから。


 ソウシは頭を抱えて地面を転がり回っている。必死に闇の侵食に抵抗し続けていたのだが、その努力の甲斐も無く、意識は深い黒海へと沈んでいった。


『時は来た』と言わんばかりに周囲へ抑え込まれていた、無限とも言える黒手で埋め尽くされた波が広がる。

「うわあああああああああああああああああっ!!」

 マリオはこちらに向かって来た闇に目を瞑り、恐怖から絶叫した。アルティナは全てを受け入れるかの様に、両手を掲げている。


 ーーだが、二人が死を覚悟した瞬間の事だった。


 無数の黒手に飲み込まれたのだが、そのままダンジョンボスを倒した事により発動した、転送ポータルの中に放り込まれた。ソウシの最後の理性が働き掛けたのだ。


「ソウシ……お前……」

「あぁ〜! 私は残っても別に構わないのに!」

 ーー輝きに包まれて転送される瞬間に、マリオは己を奮い立たせて必死に咆哮する。

「絶対に帰って来い、待ってるからな! まだまだ教える魔術は沢山あるんだ! 絶対、絶対だぞ!」

「帰って来たら、もっと良い事しましょ!」

「アルティナ先輩はいい加減に黙っーー」

 マリオの言葉を遮り、二人は転送先の出口へと消える。残された黒に染まった少年は最早意識を失い、己のスキル『闇夜一夜』に乗っ取られた傀儡と化した。


 闇はダンジョン内を蠢き続け、ありとあらゆる生物、無機物を喰らい尽くす。ゴブリンやコボルト、妖精族は上級、下級問わずに遠吠え、雄叫び、悲鳴、絶叫を拡散させながら消失した。


 ーー死骸一つ残さずに、土塊すらも喰われていく。


 そんな最中、ダンジョンの核とも呼べる存在、ーー『ダンジョンコア』は神の遺物であり、壊す事など出来ない様に構成されている筈だった。

 魔獣のリポップも管理も行うコアが破壊されれば、そのダンジョンは消失する。それはそのダンジョン内にいる者も一斉に巻き込むのだ。


 まともな思考を持つ者ならば、決して破壊する事など無い筈のコア。しかし、黒手はそれすら容易に己の手中に掴みとると、ペロリと飲み込んで消し去った。


 ダンジョンの崩壊が始まり全てが消え失せていく中、ソウシは闇の中で座り込んでいる。その姿はまるで世界を拒絶するかの様に、虚無を瞳に宿していた。


 そこへ、男が現れた……


「ふぅっ、やはり封印が解けていたか。アルフィリア、貴様は何故働かんのだ? その首の封印だけじゃ蒼詩を抑え込めない事は分かっていただろう?」

『…………』

「なんだ? 蒼詩を見限りでもしたか? それならば、何故その身体を出ていかんのだ」

『…………』

「返事くらいしろよ、相変わらず無口な奴だな。とりあえず蒼詩には再度記憶に封印をかけさせて貰うぞ。まだ時期尚早だ。今この世界を喰われる訳にはいかんし、下手な真似をして『あちらの世界の女神』に余計な真似をされても困るからな」


 先程から聖剣アルフィリアに語り掛ける存在。その姿はローブに包まれ、年齢や顔つきさえ分からない筈なのだが、溢れる神々しさに満ちていた。

 男は蹲るソウシの額に手を当てると神気を流し込み、記憶を再度封印する。ついでだと手首にブレスレットを嵌め込んだ。


「これが有れば早々に封印は解けまい。急造で多少女物っぽいが、そんなチョーカーをしてるくらいだから嫌がりはしないだろう」

 聖剣は『それは違うな』と思ったが反応はしなかった。男は黙ってその場を去ろうとしたが、最後に振り向いて届きはしないであろう勇者に一言だけ告げる。


「くくっ! 悪神が作ったダンジョンコアさえ喰らうかよ……やはり、想像以上に時が来るのが楽しみだ!」

 そのまま男は去り、元の姿に戻ったソウシをアルフィリアが結界を張って守っていた。消失するダンジョンの中で、静かに涙するその姿を慈しみながら……


 __________


 その後、ソウシはかつてダンジョンのあった入り口付近に眠っていた所を、マリオとアルティナに発見される。意識を覚醒させた後、泣きながら一斉に抱き付かれて困惑していた。


 思い出そうとしても、何があったのか思い出せない……眼前には消失したダンジョンの跡があるだけだ。 


 こうして、三学年合同の課外訓練は終わりを告げ、学院の日常に戻る。

 ソウシの心に薄っすらと、理由が分からない靄を残したままに……

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