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離宮といっても一部屋一部屋がそれなりの広さがあるため、隣室でも一般的な隣室ではなく、部屋三つ分ほど歩くことになった。
前を歩いていた侍従が立ち止まり、こちらですと指してくれる。
美夜が頷くと、侍従は中にいる人物に訪れを知らせるべく扉を叩いた。
「どうぞ」
中から先日聞いたばかりの朗らかな声がした。
侍従が恭しく開いた扉の向こう、ソファーやら椅子やらに腰かけていると思われたその人物は思いがけず、ドアのすぐ前に立っていた。
「待ってたの!」
「ちょ、ちょっと」
腕を掴まれ、そのまま前のめりになりかけながら部屋の中へ引きずりこまれる。
期待に満ちた瞳で美夜を見るのはここへ呼び出した張本人、マーガレットだった。
「ありがとう。もう下がっていいわ」
「はい。何か御用の際はベルでお呼びくださいませ」
「えぇ。分かってる」
失礼いたしますと開ける時と同様に侍従は最小限の音しか立たずに扉を閉めていった。
こちらへと腕を引かれ、紅茶の用意がされているテーブルにつかされる。
マーガレットは美夜の真向かいの椅子に座り、ズイッと美夜の方へ身体を乗り出した。
「貴女、ここで料理を作ったそうね」
「えぇ。師匠、あ、いえ、アレクシス殿下が食べたいと駄々をこねられたので」
「駄々……あの方のことをそんな風に言える人なんて、今まで見たことなかったわ」
「え? あ、そうですよね! つい、いつもの師匠とのやり取りと同じような感じで話していました」
「いつもそうなの?」
フランシスが好きだというマーガレットも、幼い頃から知っているアランのことが気になるのか、矢継ぎ早に質問を繰り返してくる。
美夜もそれに丁寧に、時に手振り口振りを加えて答えた。
「……そう。アレクシス殿下はブラッドフォードでは有意義に過ごされてるのね」
「おそらく。実験だ研究だと己の世界に没頭して寝食を忘れるくらいには。お陰で私は薬師としての弟子のはずなのに、掃除に洗濯、料理をこなす家政婦もどきです」
いささか有意義な時間を過ごしすぎじゃないかと思わないこともないが、美夜はそれは言わずに肩をすくめるだけに留めた。
すると、マーガレットが口をつけていた紅茶が入ったティーカップから手を離し、いそいそと姿勢を正し始めた。
「マーガレット様?」
「貴女にその、頼みたいことがあるの」
「私に、ですか?」
美夜は僅かに首を傾げた。
真剣な表情で自分を見つめてくるマーガレットに、少なからず面食らってしまったのだ。
「その……舞踏会であんな不躾な物言いをしてしまったのに、こんなお願いを貴女にするのは間違ってると思うのだけど、その……」
「大丈夫ですよ。頼みたいこととはなんでしょう?」
「その……私に、その……お、お料理を、教えてもらえないかしら、と、思って……」
舞踏会の時とは違う意味で赤らめている頬を押さえるマーガレットの肩はキュッと狭められている。瞳もとても心細げに揺れていた。
きっと“命令”することには慣れていても、“お願い”することはそうじゃないのだろう。
(……こんなこと絶っ対言えないけど、チワワみたいだなぁ)
美夜がしばらくマーガレットの小動物のような狼狽えっぷりを見ていると、何を勘違いしたのかマーガレットの方からごめんなさいと謝ってきた。
「あんな態度取っちゃったんだもの。まだ怒っているわよね?」
「え!? あ、いえ、真正面から正々堂々ぶつかってきてくださって、清々しい気持ちだったというか。むしろ騙したのはこっちの方なので。本当に申し訳ございませんでしたっ」
「なっ! 顔を上げてよ! ……それで、その」
指を絡め弄びながらフイっと視線を逸らすマーガレットに、美夜は口元が自然とほころんだ。
そして椅子から立ち上がり、マーガレットの横に回って彼女の手を取った。
「料理、一緒に頑張ってみましょう。美味しい料理を王太子殿下に召し上がっていただきましょうね!」
料理を食べてもらいたい人を名指しで当てられてしまったマーガレットはパッと顔に朱を散らせた。
それでもコクリと可愛らしく頷く彼女に、美夜は思わず手が伸びていた。
(……しまった。クリス達の小っちゃい時を思い出して、つい)
マーガレットも頭に手を置かれた時はびっくりしていたが、別に嫌がるような素振りは見せない。
えぇいと開き直った美夜は持ち前の図太さをこれでもかと発揮し、よしよしと頭を撫で続けた。
「……ふふっ。貴女みたいな方がアレクシス殿下の御妃になるなら、私は大歓迎なのに」
「うえっ!?」
つい変な声が出てしまった。
フワフワとした髪質のマーガレットの頭を撫でている中、ふと視界に入る窓。
その外で何かが動いた。
「それは面倒なことになりそ、う……って、あの、本当にご勘弁を……」
それを目で追い、美夜はソレが誰なのかを悟った瞬間、即座にマーガレットの頭から手を退かした。
「ミヤ様? ……まぁ」
マーガレットも美夜の視線の先を辿り、同じ窓へと目を動かした。
バルコニーに立ち、窓に手を当てて冷ややかな目でこちらを見ているクリストファーを見つけるや、マーガレットは瞳を瞬かせ、どうやってそこに、と、不思議そうに首を傾げた。
浮気者。
見間違いじゃなければ、クリストファーの唇がそう言葉を形どり、髪が若干フワリと宙に浮いている。
「ふふっ。フランシス殿下や噂では聞いていたけれど、ブラッドフォードの宰相補佐様はよほど貴女のことが大事なのね」
「えっと……あははは」
美夜は鈴を鳴らすような声で笑うマーガレットに苦笑を返すしかない。
許可を取り、窓を開けてクリストファーを入れるのと、いなくなったクリスをマクシミリアンが探しにこの部屋の扉を叩くのはほぼ同時のことであった。
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