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 大広間を後にした美夜は脇目もふらず、一目散に自分に割り振られた部屋に駆け戻っていた。


 途中で捕まりそうになったけれど、それもなんとかかわし、今やっと一息つけたところだ。



(……そういえば、この国に来てからがなかなか考えることが多かったせいで自分の問題を忘れていたわ)



 備えつけのティーワゴンでお茶を淹れようと席を立ち、壁際に向かう。


 机から目を離したのはほんの僅かのことだ。


 しかし、その僅かな時間でも彼にとっては十分だった。



「……ミヤ。どうして私の元から逃げるんです?」

「ひっ!」


(なんで!? 鍵かけたはず……って関係ないわ、この子達には)



 さらに言えば、クリスが座る椅子と、今、美夜がいる壁際、そして入口の配置はクリスが魔法を使えるということを抜きにしても美夜にとって実に分の悪い配置だった。


 これ以上刺激してはいけないというのは長年の勘で分かる。


 伊達に小さい頃から世話をしていないのだ。



(ここは穏便に部屋を出て行ってもらうのが一番)



「夜に女性の部屋を訪れるのはマナー違反だって教えなかったかしら?」

「質問に質問で返すのはマナー違反じゃないんですか?」

「……そうね。謝るわ。どうして逃げるのかって? 私は貴方達の世話係からは下りたっていうのに、これ以上城の方達と懇意にしているとあまり良く思わない人達がいるのよ」

「なら、その者達を全員黙らせればいい」


(……ほんっと、あの人と親子だわ。あの人はクリスのこと、今だに認めてないけど、こんなとこでちゃんと血は繋がってるって分かるなんて)



 物騒な考えを平気で口にするところは父親のレイモンドにそっくりだ。


 引退して所領で生活していると聞いたけれど、まだまだ引退するような歳じゃない。


 きっと今は亡き奥方の側にいたいという我儘な父親と、美夜を囲い込むための力が欲しいという息子の間で図らずも利害関係が一致したのだろう。



「あのね、クリス。貴方は賢い子だもの。本当は分かっているんでしょう? そんなことしても無駄だって」

「……無駄かどうかは分からないでしょう? とりあえずはミヤの逃亡先をなくすために、あの男を手始めに始末して」

「絶対にダメよ!?」


(宰相補佐が他国の王子を殺害するなんて、国際問題もいいところだわ! 下手したら戦争になりかねないじゃない! ダメダメ、絶対にダメっ!)



「ミヤ、私は貴女のためなら国なんてどうでもいい」



 クリスが立ち上がり、こちらへ歩いてくる。


 そして、あっという間に壁際まで追い込まれた。



「そうだ。ミヤ、貴女が私とずっと一緒にいてくれるって誓ってくれるなら私は何もしません」

「……誓えなければ?」

「簡単です。貴女が大切にしている城下を焼き払う」

「なっ!?」

「ミヤが私より優先するものがあるなんて許せませんから」

「……見ない間に随分と最っ低な男に成り下がっているみたいね」

「なんとでも? 私はミヤさえ手に入れば後は本当にどうだっていい」



 編み込まれた髪が一筋落ちていたのをクリスが手に取り、口に近づけていく。


 その手を美夜は叩き落とし、そのままの勢いでクリスの頬を打った。



「今のでよっく分かった。私はやっぱり貴方とは一緒にはいられない」

「じゃあ、城下の人間達を見捨てるんですね」

「そんなわけないでしょう? 今ここで誓っても、あなたはまた自分が気に入らないことが起きると絶対に別のものを犠牲にしようとする。そんなのいたちごっこでしかないもの。被害を最小限に食い止められるよう努力するわ。それと、貴方がその考えを改めるまで絶対に口をきかないつもりだから、そのつもりで」



 美夜がそのまま部屋を出ようと扉へ向かった時、背後からか細い声がした。



「ミヤは、ぼくとくちをきいてくれない?」



 舌ったらずな口調に、美夜は彼が幼かった頃のことを思い出した。


 あの頃はマクシミリアン同様ただ純粋に慕ってくれていたのに、何がどうしてこうなったんだか。


 美夜は自分の欲のために自分の国の何の罪もない人達を傷つける発言をした彼のことを簡単に許せる気にはなれない。その人達が自分の見知った人達だというならなおさらだ。



(……それでも、嫌いだと思い続けられないのが育ててきた世話係の弱みってやつよね)



 クリストファーが何もしてこないことをいいことに、美夜はそのまま部屋を後にした。


 途中で出会った侍女に事情を説明し、別の部屋を割り当ててもらう。これだけ広い王宮だ。すぐに用意され、美夜はその部屋に移った。


 さすがに今回は長期戦になりそうだと思いつつ、いずれ向こうが折れるだろうとタカをくくっていたのだ。


 ブラッドフォードの宰相補佐が行方不明であると知らせを受ける翌日の朝までは。


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