一幕 童子
ぼんやりと、童子が一人座り込んでいた。
虚ろな目に何をも映すことなく、ただただ遠くを見るばかりである。
田はちょうど収穫時期。今年は実りが少ないものの、ちらほらと黄金色の稲穂がそよそよと風に舞っている。
「なあに、シケた顔してるのさね」
ぬっと、その童子の視界いっぱいに急に人の顔が現れた。
「わっ!」
突然の出来事に、童子は叫びつつ驚きのあまりひっくり返ってしまった。
童子のその様を見て、その原因の人物はケタケタと楽しそうに笑っている。
しばらく件の人物を呆然と見ていた童子は、けれども笑い声で我に返ったのか、キッとその人物を睨んだ。
「無礼者!我を何者と心得る!」
童子の言葉に、笑いを止めた彼は……けれどもキョトンと首を傾げる。
「いやー私はこの国には今日来たばかりでなあ。分からん!」
何が面白いのか、再びケタケタとまた笑い出す。
けれども童子は睨むことをせず、しげしげと興味深げにその人物を見つめた。
「何……他国より参ったのか?」
「そうさね。出雲の国より大和國を転々と回ること数年。一振りで万人の心を虜にする今一番の舞手たぁ、私のことだ」
パン、と舞扇を開いた。芝居掛かったその立ち姿と台詞に、けれども童子は冷たい視線を向けるばかりである。
「何だ……芸人か」
「何だとは何だ。人を笑顔にさせる、この世で最も良い仕事じゃないか。……全く、可愛げのない坊ちゃんだ」
ガシガシとその人物は頭を掻くと、少年の横にどかりと座った。
「……。何故、隣に座る?」
胡乱げにその人物を横目で睨みつつ、問いかける。
「歩き通しでな。疲れて休もうと思ったところ、坊ちゃんが座ってたわけだ」
「……坊ちゃんは、止めろ」
「そいつは悪かったさね。名を知らんかったんだ、勘弁してくれ。……若様って呼ぶからさ」
そう言って、苦笑を浮かべた。
童子は視線を逸らし、再び前を向く。
二人の眼前に広がる田畑の稲穂は風に揺られ、そよそよと風の音が美しく奏でられていた。
「……吉法師だ」
ふと、童子は呟く。
「良い名だ。私の名前は……」
「お前の名なんぞ、聞いとらん」
ピシャリと、にべもなく断る吉法師に、やれやれと肩を竦めた。
「そう、言うてやるな。これも何かの縁。私のことは出雲とでも呼んでくれ」
「ふん……出雲だか何だか知らぬが、さっさと尾張から出て行け。ここじゃあ、仕事にならんぞ」
「そいつぁ、できない相談さね」
そう言いつつ、手に持つ扇をペシペシと開いたり閉じたりする。
「どこで舞おうとも、私の自由さ。風の赴くまま、好きなところに行き、好きなところで舞うのさ」
「……お主、本当に舞手か?」
吉法師は、疑いの眼差しを向けた。
出雲の格好は、奇抜なそれだった。
ざんばら頭は一つに纏められ、額にはぐるりと紐が結ばれている。大柄な着物をだらしなく着こなし、まるで狩人のような半纏。腰には刀が一本刺されている。
けれども、それだけだ。
彼女の奇抜な格好には驚かされるが、彼女自身の容姿には花がない。凡庸、その一言に尽きる。
普通の格好をしていれば、その辺りに埋もれてしまいそうなほど。
「いいや。当代一の舞手さ」
「真面目に答えろ」
ジロリと睨むその反応に、出雲は笑った。
「私を間諜か何かと勘違いしているのかい?そいつは、お笑いだ。どこにこのような目立つ格好をする間諜がいるというんだ」
あっけからんと言うその言葉に、吉法師は内心確かに……と納得してしまう。
「ならば、舞うてみせろ」
「百聞は一見にしかず……良いだろう」
冷めた目をしていた吉法師は、けれども出雲が立ち上がり扇を開いた瞬間、引き込まれた。
凛とした彼女の立ち振る舞いに、空気が変わる。
彼女の存在感は一回りも二回りも大きくなり、その場を支配していた。
心地良い旋律を、彼女が口遊む。
その音に合わせ、ヒラリヒラリと揺れる扇は、嫋やかでまるで華のようだった。かと思えば、ぐるりと大きく腕を回し、身体を回転させる様は、力強い。
苛立ちをただぶつけるため、実際は舞など見ないと思っていた吉法師だったが……ただただ、出雲の舞に魅入った。
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