TRUE・CHAIR ~クリスマスの奇跡~
ジェリージュンジュン
プロローグ【兄と妹】
俺は、クリスマスが嫌いだ。
4年前、いきなり両親を奪っていったクリスマスが大嫌いだ。
でも、あの日から、俺は決心したんだ。
ヒトミと2人で生きていく。
ヒトミがお嫁に行く日まで、俺の手で立派に育ててみせる。
そう、決心したんだ。
* * * *
俺の名前は斉藤。
俺には妹がいる。
名前はヒトミ。
8つ下の17才。
そこそこ年が離れているからだろうか。俺が親代わりをしているからだろうか。
かわいくて仕方がない。
今日は12月11日。
俺は、家のリビングでヒトミの帰りを待っていた。
ガチャ――
「ただいま~」
おっ、やっと帰ってきた。
俺は壁にかけてあるアナログ時計に、チラッと目をやる。
7時5分。
朝の7時5分なら、早起きで褒めてあげるところだが、残念ながら朝ではない。
日もどっぷり暮れた7時5分。
全く、いったい、どこをほっつき歩いていたんだか。
まあ、いいか。
とりあえず、怒鳴るのはよそう。
「おかえり」
俺は、笑顔で出迎える。
うん。これでいいだろう。
門限なんか決めてないんだから、怒るのは筋違いだ。
「今日は遅かったな」
「ごめん、ごめん」
ヒトミは言った。
「部活がなかなか終わらなくて。お兄ちゃんこそ、今日は早かったんだね」
「今日は非番なんだ」
「そうなんだ。じゃあ、今日1日、家にいたの?」
「ああ」
俺は言った。
「ちょうど追いかけてたヤマがうまく片付いたんで、朝に帰ってきてからは死んだように眠ってたよ」
そう。
俺が帰ってきたのは、朝の7時半すぎ。
そこから眠るなんて、完全に昼夜逆転だ。
最近は、早起きという言葉とは、無縁の生活を送っていた。
ちなみに、俺の仕事は刑事。
主に、殺人事件を扱っている。
おそらくこれから先も、規則正しい生活というのは送れそうもない。
そしてヒトミは、カバンを無造作に床に置き、
「じゃあ、おなかすいたでしょう。今すぐご飯作るからね」
と、エプロンをかけ始める。
あぁ、久しぶりだ。
ヒトミの料理を食べると、家に帰ってきた実感が一気に湧きあがる。
俺にとっては、仕事を頑張ったご褒美みたいなもんだ。
「サンキュー。楽しみだよ」
「あんまり期待しないでよ。そんなに料理の腕は上達してないんだから」
「何言ってんだよ」
ハハ。
照れてる。照れてる。
「大丈夫だって。おまえは死んだ母さんに似て、料理の才能があるから」
「ほ~」
ヒトミはにっこりと微笑んだ。
「嬉しいことを言ってくれる兄貴だね。じゃあ、今日はいつもより気合い入れようかな」
おっ。
やる気が出てきたか?
「何が食べたい?」
嬉しそうにそう言うと、ヒトミは腕まくりをし始めた。
ハハ。
どうやら、エンジンがかかってきたようだな。
「何でもいいよ。好きなメニューを言って」
「そうだな……」
俺は言った。
「ここのところ張り込みが続いて、おにぎりやパンばかりだったからな……」
俺は、考えに考えた。
久しぶりに家に帰ってきて食べたいもの。12月の寒さの中、食べたいもの。
「あったかい料理がいいな……」
自然と、そういうカテゴリーが浮かんできた。
俺はさらに考える。
あったかい料理。あったかい料理。
「そうだ……」
すると答えは、すぐにはじき出された。
「鍋がいいな!」
ピンと頭に浮かんだのが、鍋料理。
ん? 待てよ?
鍋を『手作りの家庭料理』と呼んでいいのか?
野菜や肉を切って、鍋に放り込むだけじゃないのか?
もっと、他にあるんじゃないか?
ん~。まあ、いいか。
ちょっと想像してみよう。
ヒトミと2人で鍋を囲んで、色んな話をする。
うん。それはそれですごくいい。
最高に贅沢な夕食だ。
「よし! 鍋に決まりだ!」
俺は『パン!』と手を叩く。
さあ、ヒトミ。
手伝うから、さっそく用意に取りかかろう。
俺は腕まくりをしつつ、椅子から立ち上がろうとした。
「ん~……」
しかし、ヒトミはなぜか浮かない顔をしている。
「鍋か~……」
「どうした?」
「実は……」
ん? いったい何なんだ?
俺が首を傾げ不思議に思っていると、ヒトミはベロをペロッと出し、おどけ始めた。
「あのね……」
ヒトミは言った。
「我が家の冷蔵庫がね」
うん。
「今夜はね」
うん、うん。
「ハンバーグにしなさいって言ってるんだけどな」
うん、う…………ん?
……なっ!
なんじゃ、そりゃ!
だったら、俺に献立を聞くなよ!
俺は怒るというよりも、呆れて物が言えなかった。
ハア……まあ、冷蔵庫の中身が、ハンバーグのためにあるような状態なら仕方がないか。
全く。しょうがないな、全く。
でも、まあ、いいか。
ハンバーグといえば、典型的な家庭料理。
カレーと並ぶ、おふくろの味の代表格。
うん、悪くない。
ハンバーグも悪くない。
むしろ、すごく良いじゃないか。
あぁ、やばい。
どんどん、手作りのハンバーグが食べたくなってきた。
「いいよ、ハンバーグで」
「本当に?」
「あぁ」
俺はにっこり笑って、ハンバーグで決定のゴーサインを出した。
「そのかわり、この地球上で最高においしいハンバーグを頼むな」
「ハ、ハードル高いな!」
『でもまあ、ちょっと燃えてきちゃうな。その壁、超えてやろうじゃん!』と言いながらヒトミは、鼻歌まじりで冷蔵庫を開け始めた。
だが、ハンバーグだと俺が料理を手伝うのは不可能だ。
俺は料理が得意じゃない。
むしろ下手だ。
う~ん、どうしよう。
せめて、サラダ用プチトマトのヘタを取るぐらいは手伝うか。
そう思い、キッチンで形上の仕事をしようとした時、
「あっ」
ヒトミが何かを思い出したように、慌てて俺に顔を向けた。
「あ、あのね……」
「なんだ?」
「実はね……」
そう言いかけて、困ったように、右手の人さし指で髪をクルクルし始める。
それは、ヒトミの癖。
何か言いづらい事がある時のヒトミの癖だった。
「あのね……」
「だから、何だよ?」
「来年、大学受験じゃん」
「そうだな」
「おそらく、勉強に追われて忙しくなるじゃん」
「まあ、そうなるだろうな」
「だからっていう意味もあるんだけど、冬休み前の土日に、部活で『毛ガニ山』のふもとの旅館に、1泊2日の合宿に行こうってことになりそうなんだけど……」
「合宿?」
なるほど。
そういうことか。
「合宿か……」
「行ってもいい?」
「う~ん……」
俺は少し考える。
毛ガニ山か……ちょっと遠いな。でも、まあ1人じゃないから大丈夫か。
ちなみに、毛ガニ山とは、俺が住んでいる町からは電車で1時間半ぐらい。
山の形が、ハサミを構えたカニのような形をしている。
だから、通称でそう呼ばれていた。
本当の名前は何なんだろう? それはよく知らない。
そして、もう1つひっかかることがある。
それは、所属クラブ。ヒトミの所属クラブについてだ。
「ちょっと待てよ……お前がやってる部活って確か……」
「えっと……」
『お手玉クラブ!』とヒトミは勢いよく右手を突き上げ元気よく言った。
あぁ、そうだ。
そうだ、そうだ。
ヒトミの部活は、お手玉クラブ。
クラブ名は『タマタマクルリン』
ただ、本人は部活って言ってるけど、どうみても自分たちで勝手に作って遊んでいるだけ。
顧問なんかいないサークルなのは明らかだった。
「あのさ」
俺は、小さな疑問を投げかける。
「お手玉で、どんな合宿をするんだ?」
「ん? そ、そりゃあ……」
ヒトミは髪をポリポリかきながら、少し困り始めた。
ふ~ん。
さてと……いったい何て言うんだろう。
「え、え~と……」
「ほらほら、どんな合宿なんだ? 早く言えよ」
俺は小さく笑いながら、さらに尋ねる。
「だ、だから、えっと、、、が、合宿の内容は……」
「内容は?」
「え~と……」
ヒトミは困ったあげく、
「…………い、色々よ」
と、小さく口を尖らせつぶやく。
ほ~ら、やっぱり。
ハハ。
ハハハハ。
俺は、さらに笑いがこみ上げてきた。
「はいはい」
俺は言った。
「要するに遊びに行くってことか」
「う、うん……」
ハハ。
簡単に自白した。刑事の俺を騙そうなんて、100年早いんだよ。
「行ってもいい?」
ヒトミは、うつむき加減で尋ねてくる。
うん、まあ、いいよ。
いいんだけどね。
本当は、2つ返事でオッケーを出してあげたい所。
でも俺には、1つ確認することがあった。
「別にいいけど……」
俺は言った。
「クリスマスは家にいるよな?」
「うん!」
ヒトミは、にっこり笑う。
「もちろん、いるよ。合宿は12月19日と20日だから。だってクリスマスは大事な日なんだもん。予定を入れるわけないじゃん」
「そうか、ありがとうな」
うん。なら、いいか。
実はクリスマスは、俺たちにとってはとても特別な日。
なぜなら、父さんと母さんが亡くなった日だからだ。
あれは、4年前の12月25日。
日曜日の夕暮れだった。
父さんと母さんは、クリスマスケーキを買いに2人で車を走らせていた。
すると、運転操作を誤り、電柱に激突。
そのまま、父さんと母さんは、帰らぬ人となってしまった。
あっけない。
人の命が消えるのは、なんてあっけないんだ。
そう思うと同時に、俺はこうも思っていた。
あぁ、神様。
あなたは、なんて意地悪なんだ。
クリスマスの日に、俺の大切な両親を奪っていくなんて。
あなたは、なんて意地悪なんだ。
俺は、そう思わずにはいられなかった。
そして、すぐに今まで味わったことのない最大級の悲しみが襲ってきた。
泣いた。
泣いて泣いて泣きまくった。
涙の貯水タンクが無くなるまで泣きまくった。
そう。その日からだ。
俺が、クリスマスを嫌いになったのは。
そして、命日なのに留守にすると、父さんと母さんが寂しがるだろう。
そう思い、クリスマスは毎年、家で2人で過ごすことに決めている。
父さん、俺たちは元気にやってるよ。
母さん、ヒトミがちゃんと栄養のある料理を作ってくれてるから安心して。
凄いだろ?
この地球上で一番美味いんだぜ?
そんな報告をしながらケーキを食べるのが、毎年恒例の行事になっていた。
「ねえ、お兄ちゃん、合宿に行ってもいいんだよね?」
ヒトミは、さらに念を押してきた。
うん。まあ、いいだろう。
クリスマスは家にいるって言うし。
うん。なら、いいか。
「いいよ。合宿楽しんできな」
「ほんとに!? お兄ちゃんありがとう!」
『よしっ!』と聞こえてきそうな感じで、ヒトミは小さくガッツポーズをした。
ハハッ。
ほんとに無邪気だな。
いつまでたっても子供だな。
――30秒後。
ん? あれ?
何でだろう。
ヒトミが、ハンバーグの材料を冷蔵庫に戻し始めている。
何でだろう。
俺はテーブルに頬杖をついたまま、その光景をポカンと眺めていた。
「よ~し!」
するとヒトミは、両腕を天高々と突き上げた。
「じゃあ、お兄ちゃんに特別ご奉仕!」
うん。
「今日のメニューは!!」
うん、うん。
「この宇宙で一番デリシャスなお鍋に変更だぁぁぁぁぁ!!!!」
うん、う…………って!
できるのかよ!
鍋が出来る材料、あったのかよ!!
なんじゃ、そりゃ。
全く……おまえがハンバーグを食べたいだけだったのかよ。
やられた。
まんまと騙された。
俺も、刑事としてはまだまだだな。
妹の嘘も見抜けないなんて。
もっと、一流の刑事目指して頑張らないとな。
だが、困ったぞ。
俺の頭の中は、もうハンバーグで埋め尽くされている。
宇宙で一番美味いと、さらに一つハードルを上げてくれているとしてもだ。
鍋じゃない。
もうハンバーグしか考えられない。
困った。
困った、困った。
というわけで、ヒトミとの短い討論の結果、献立はやはりハンバーグに決定した。
ほっ。良かった、良かった。
今さら、頭の中を鍋になんか戻せない。
あぁ、ハンバーグが待ち遠しい。
俺は頭の中で、熱々のハンバーグが運ばれて来るシーンを思い浮かべていた。
そして、俺の期待を一心に背負い、ヒトミはハンバーグを作る準備に取りかかっていた。
もちろん、銀河系で一番うまいハンバーグを目指しているのは言うまでもない。
やがて、タマネギをみじん切りにしながら、
「お兄ちゃんこそ……」
ヒトミは、うってかわって少し真面目なトーンで喋り始めた。
「クリスマスの日は、絶対に仕事を入れたら駄目だよ……」
「あぁ、分かってるよ……事件が起こらないようにおまえも祈っててくれ」
「うん……オッケー!」
パチン!――
俺は、ヒトミと華麗なハイタッチをかわした。
その時、ヒトミの目に涙がうっすらと浮かんでいたのは、亡くなった両親のことを少し思い出していたのだろうか。
それとも、ただ単にタマネギの成分が引き起こした軽いイタズラだろうか。
まあ、いいや。
そんなことを聞くのは、野暮ってもんだな。
あぁ。
それにしても、この日のハンバーグは最高に美味しかったな。
いつまでも忘れることのない味の1つにランクインするぐらい。
紛れもなく銀河系の数多に存在する星々の中で、ぶっちぎり一番の最高の美味しさだったな。
そして――
そして、この日からしばらくして……
俺は、刑事を辞めた。
「ヒトミ……」
月日が流れるのは早いな。
俺の気持ちなんか関係なしに毎日は過ぎていく。
1年だ。
ヒトミが俺の前から姿を消して、もう1年が経とうとしている。
毎日、毎日、おまえのことだけを考えて生きてきた。
毎日、毎日、見る夢はいつも、おまえのことばかりなんだ。
ヒトミ。
また最高に美味いハンバーグ作ってくれよ。
ヒトミ。
お兄ちゃんは、今でもおまえのことを愛しているからな。
愛しているからな。
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