第6話 王宮勤務同僚 キースの話


 ジョセフは優秀なやつだ。


 それは、十人に尋ねたら十人が答えるであろう言葉だ。

 事実、ジョセフは優秀なやつだった。


 ジョセフは俺より2歳年下の、弟みたいなものだ。

 しかし、そう思っているのは俺だけで、周りから見れば、あいつの方が兄のように見えることもままある。

 それほどに、ジョセフは穏やかで大人びた雰囲気をまとっている。

 ……とか自分では思ってるけど、ただ単に俺に落ち着きがないっていうのが理由だったら泣く。


 品行方正で真面目なのに加えて、見た目も悪くない。

 嫌味なくらいには整った顔をしている。

 そんなあいつの周りには常に誰かがいた。

 それは、ジョセフと(色々な意味で)仲良くなりたい子息だったり、(全員が同じ目的で)深い仲になりたい令嬢だったり、はたまた(腹の底が見えない)立派な髭の高官だったり。

 あいつは若手官吏でありながら、現子爵当主でもある。

 その気苦労は計り知れないだろう。

 どんなに面倒な相手でも真摯に対応しなければ、あいつの家が崩れる。

 それだけは避けなければならなかった。


 しかし、そんな心配すらも杞憂であった。

 つくづく思う。ジョセフは優秀なやつだ。

 どんな相手でも隙を見せず、無難ながら自己アピールはほどほどに。

 かといって警戒する姿勢など微塵も見せず、するりと懐に入っていく。

 と思えばきちんと人を見ていて、裏で手を汚しているような醜悪な家とは適度に距離を置いている。

 しかし、当人にそのことは悟らせないのだ。


 ジョセフは寂しいやつだ。


 いつも穏やかな笑みを浮かべているくせに、人との繋がりを恐れているように見えた。

 踏み越えることの許されない境界線の内側で一人 佇たたずみ、外側の人間をじっと観察しているような――そんな印象。

 ともすれば排他的とも言えるそのスタンスは、それでなくても儚げなあいつの背中に暗い影を背負わせた。

 最も、それに気付いているのは一握りの人間ばかりだろうが。


 俺は、その境界線の内側に入れている自信はない。

 ジョセフの友人、という称号を得ているとは思えない。

 あいつの中での俺の存在は、同僚という域を越えていない。

 いくら俺があいつを弟のように思っていても、普段気安く会話をしていても、あいつの感情に触れたような感覚があったのは、本当に、数える程度しかなかった。

 いくらもどかしさに歯噛みしても、あいつの心は頑なで、誰にも触れさせようとはしないのだ。


 だから、嬉しかったんだ。

 ただ一人だけにしか向けられないものだとしても、気を許したような笑みを見せたのが。

 メリッサ・ウェイン嬢が王宮に勤務するようになってから、ジョセフは明らかに表情を動かすようになった。

 彼女と張り合うようにして仕事に励み、成果を持ち寄っては語り合うその様子に、男女の情というよりはむしろ、背中を任せられる戦友を見つけた英雄のような姿を見た。


 間もなくして、二人は心を通わせたらしい。

 穏やかな日が続いていた。






「……縁談?」


 その噂を聞いたのは、確か、晩春のあたりだったかと思う。

 尋ねた相手の背後に開かれた窓から、オダマキの花がほころびかけていたような記憶がある。


「ええ。なんでも、アウラ侯爵から直々にお願いされているとか。クラウディア嬢のような可憐な方を迎え、さらに侯爵家と縁続きにもなれる。羨ましいことですね」


 そう言って、彼は無表情のまま書類を捌さばく。


 彼の名はルイス・オールディンス。

 オールディンス伯爵家の次男で、ジョセフから見限られなかった数少ない人間の一人だ。

 ルイスの髪が窓から入り込んだ風に煽られ、さらさらと揺れた。


 急激な頭痛に襲われたような感覚に、俺は思わず額に手を当てた。


「そりゃ断れないよなぁ……」

「断る理由がどこにあるんですか」

「は? お前、ジョセフとメリッサ嬢のことを知らないわけじゃないだろうが」


 一瞬 懐疑かいぎ的な視線をこちらに投げ、すぐさま書類に戻す。

 こいつも大概たいがいだよな、と思いながら答えると、ルイスは低く、静かな声で言った。


「だからなんだっていうんです? 貴族であるならば、政略結婚は当然のこと。より良い血筋を残すことが求められるのです。そこに私情を持ち込むなど言語道断。彼がその縁談を断るというのなら、私はコール子爵を見誤ったのでしょう」

「……社会的に考えればそうなんだけどな」


 それすら超越してしまうのが恋というものなのだが、ルイスには分からないだろう。

 こいつの頭は岩石並みに固いから。


「さて、どうすんのかな」





 頬杖をついて、その光景を眺めていた。


 メリッサ・ウェイン男爵令嬢という人は、常に前を見つめ、凛と立つ女性だと思っていた。

 邪魔だと言って長い赤髪をまとめてしまうのも、同じ理由から飾り気のない簡素なドレスばかり着るのも、女子だからと蔑む声に立ち向かう姿勢も、どちらかといえば男よりも男を感じる。


 商人上がりの元平民ということもあり、多くの生粋の貴族より、よっぽど国民のことを考えている。

 例えば、仕事の合間に時間を見つけては城下を歩き回り、市井しせいの人々の生活を支えようと政治案を練る。

 例えそれが頭の固い狸親父どもに一蹴されても、決して折れることなく、さらに仕事にのめり込むのだ。


 そんな強い女性が、今ばかりは小さく見えた。


 いつもの如く登城して、執務室に籠る。

 目の前に書類やら本やらを山のように積み上げ、ペンを握って、しばらく書き進めて――止まってしまったのだ。

 メリッサ嬢は困惑して、何度もペンを握り直す。

 徐々に青くなっていくのを尻目に、ぼんやりと思い出していた。

 今日はジョセフが休暇をとっていたんだったかな。


「……やっぱり不安だよなぁ」


 びくっと彼女の肩が震えた。

 仕事一筋でここまで生きてきたのであろう彼女の瞳は、自身の不安を露骨に表していた。

 敵意さえ垣間見える視線に、ひょいと肩を竦める。


「そんなに睨むなよ。別に馬鹿にしてるわけじゃないって」

「そんなつもりは……いえ、ごめんなさい。私が勝手に苛立っていただけよ」


 潔く謝るあたりが実に漢おとこらしい。

 ジョセフ(弟)の恋人じゃなきゃなぁ、と考えることぐらいは許してほしい。

 バレたらどやされる。

 笑顔で激怒するジョセフなんか二度も見たくない。


「ジョセフの見合いって今日だったよな、確か」


 メリッサ嬢の眉が寄る。


「……そうね」


 メリッサ嬢は視線外し、ぼんやりと何を見るともなく呟いた。

 なにを考えているのだろうか。

 なんにせよ、俺にできることはない。

 決断するのは当人たちだ。


「……どうせ、なるようにしかならないんだ」


 だから、後悔だけはしないように、全力でぶつかればいい。

 どんな結果になろうが、これで良かったんだと思えるように。


 それができる人間は、ほんの一握りなのだろうけど。


 そして、その一握りの中に俺はいない。

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