ラッパ森
春空萌
ラッパ森
「次はラッパ森。ラッパ森」
中央町へ向かうバスのアナウンスで、一人の少女を思い出す。
北海道、室蘭市。
古くから製鉄業が盛んで北海道有数の工業都市として有名な街だ。太平洋に突きだした起伏の激しい独特の地形は、南部の断崖絶壁にいくつもの景勝地を作る。全国の地方都市と同じくここも衰退が激しいが、近年は名物のカレーラーメンや室蘭やきとり、数々の絶景を生かして観光客を呼び込んでいるようだ。
この街に俺が来たのは半年前、大学進学に合わせて札幌から室蘭に引っ越してきた。
入学から一ヶ月が経った五月の連休、初日から俺は家にいた。
一般的な大学生であればサークルで汗を流したり、友人と旅行に出かけたりするのかもしれない。ところが俺はサークルには入らず、一緒に出かけるような友人もいなかった。このような人間にとって、連休は持て余すしかない無駄な時間だ。
翌日、雲一つない青空の朝を迎えた。今日も無駄な一日となる予定だったのだが、ふとまだ室蘭の観光地を訪れていないことに気づいた。これから少なくとも数年間はこの街に住むのであれば、地元の観光地くらい知っておいた方がいいだろう。
さっそくインターネットで観光地を調べると、「地球岬」という変わった名の岬を発見したのでここに行くことにした。
昼前に家を出て一人、バスに乗る。
休日の昼時とあって客の乗り降りは少なく、バスはあっという間に東町ターミナルに着き、地球岬団地行きのバスに乗り換える。さっき乗ったバスよりも起伏やカーブの多い道を進み、バスは目的地へ向かう。日差しが差し込み暖かいバスでうとうとしていると、あっという間に終点に着いた。終点まで乗っていたのは自分一人だった。
地球岬へはバス停から少し山道を歩く。
岬手前の駐車場には多くの車が止まっている。毒まんじゅうと書かれた土産屋や、地球を模した電話ボックスの前を過ぎ、階段を登り展望台へ向かう。
大きく海に突きだした岬からは地球が丸いことを確認できる。地球岬の由来はアイヌ語だが、後世の人がこの漢字を当てたのも納得できる。
だが、俺はこの景色よりも一人の少女が気になっていた。
高校生くらいに見える、その少女は一人で海を見つめている。
柵に寄りかかって打ちつける波を見つめるその横顔は、この世界から姿を消すことを望んでいるようだった。
一人でここに来ているという意味では、俺も少女も同じである。話を聞いて気持ちを和らげるくらいはできるかもしれない。しかし、突然冴えない男子大学生に話しかけられては良い心地はしないかもしれない。そう思い話しかけようか迷っていると、少女はこちらに向かって歩いてきた。
「明日、ラッパ森で待ってます」
立ち止まることなく、この一言を残し少女は展望台を降りていった。後を着いていったが、階段を登ってくる外国人の団体に阻まれ姿を見失った。
結局少女は見つからず、地球岬を後にした。帰りのバスは「ラッパ森」というバス停を通過していった。
家に帰ってラッパ森についてインターネットで調べてみることにした。由来は諸説あるがこのあたりの道路を作るときラッパで指揮していたことからラッパ森と呼ばれるようになったという。バス停以外にこの名を残すものはなく、周辺には数軒の家と寺があるだけのようだ。
深夜から降り始めた雨は朝になっても降り続いている。普段であれば家から出ようなどとは思わない天気だが、今日だけは朝早くに家を出る。
少女がいる保証もないし、そもそもあの時偶然そこにいただけの俺がなぜ少女に会いに行くのか。理由は一つだ。
少女に恋をしたから。
地球岬で少女の姿を見たあの時、俺は少女を放っておけない気持ちを感じた。それは単に自殺しようとする者に対する同情心とは違う。もっと惹かれる何かを感じたのだ。
バスはラッパ森に停まった。降りたのは俺一人だった。
バス停の近くで傘も差さずにじっと立っている少女を見つける。少女も俺の存在に気づいて近づいてくる。
「本当に来てくださったんですね」
素敵な笑顔を見せ、少女はこう続けた。
「地球岬で私を見つめていた目、とても綺麗でした。あんなに綺麗な目で私を見つめてくれた人、あなたが初めてです。これで思い残すことはありません。ありがとうございました」
「俺はお前に恋をした。だから俺の前から消えないでくれ」
初めて会話した相手に自分は何を言っているのかと思ったが、これ以外の言葉が見つからなかった。
「幸せの頂点で死ぬのって素敵だと思うんです。今、私は両思いというこの上ない幸せを感じています。本当にありがとうございます」
「この先もっと幸せになることがあるかもしれないだろう。そのときまで待ったらどうだ。そうだ、俺が幸せにしてやろう。だから…」
「困ります。確かにあなたは私を幸せにできるかもしれません。でも、もう十分なんです。それにこれ以上あなたといると、あなたを悲しませてしまいます。だから、もう諦めてください」
「…一つだけ、聞きたいことがある。どうしてここを選んだんだ?」
「ラッパ森、変わった名前でしょう。ここを通ったときだけでいいので、私のことを思い出してください」
そう言って彼女は走り去っていった。
俺は彼女を追いかけることはしなかった。
バスはラッパ森を通過していく。
ラッパ森 春空萌 @harukaramoi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます