第6話

 流しで食器を洗っているハルヒの後姿を見ながら、俺は二人で盛り上がったSOS団の日々を引き続いて思い出していた。

 昔を懐かしむほど年寄りになったつもりはないが、高校でSOS団として活動していた毎日は、いつでも何かが起きるような気がしてワクワクしていた。大抵俺は心構えをする前に事件に巻き込まれ、何も知らない団長様の影のフォローをするばかりだった気がするが、それでも楽しかった。あの日々は、俺にとってもハルヒにとっても、本当にかけがえのない毎日だった。

 そんなことを考えていたら、急に思考が良くないところに入り込んでしまい、考えない方がいい疑問が頭の中に響いてくる。


 じゃあハルヒは、今の毎日をどう思っているんだ?


 二十四時間つきっきりでハルキの世話をしながら、朝起きて朝食と俺の弁当を作り、昼は家事をこなし、夜は俺の帰りを待って夕飯を作る。土日は俺が育児も家事も手伝うが、ハルキがまだ幼いせいもあって、出かけたり何かをしようとしても制限がある。それが今のハルヒの毎日だ。

 押し付けたわけじゃない。二人で話し合って出した結果だ。

 だけど、ハルヒだって人間だ。「進化の可能性」でも、「時間の歪み」でも、ましてや「神様」であるわけもない、一人の人間なんだ。自由に何でも出来たあの頃の毎日と比べて、慣れない育児や家事に追われて自由の少ない毎日を、どうしても憂鬱に感じてしまうことがあったとしても、不思議じゃない。


 もしそうならば、俺はどうすればいい?


 俺はもう、ハルヒの人生に対する責任を負っちまってる。だから、ハルヒの抱えている荷物は俺の荷物でもある。ハルヒだけに持たせるわけにはいかない、俺も一緒に抱えたい。

 だけど実際のところの俺は、仕事はまだまだ覚えるのに精一杯といった状況で、そんな中では育児も家事も、手伝うレベルでは何とか出来ているかもしれないが、ハルヒの負担を軽くしてやれているとはとても言えない。家のことに関しては、はっきり言ってハルヒに完全に頼りきりの状態だ。

 もし今までハルヒがそんな気持ちを持っていたのだとしたら、そして、こんなに近くにいたのに気がつかけかったのだとしたら、俺は……、俺は…………

「あんた、さっきから何考え込んでんの?」

 いつの間にか洗い物を終えていたハルヒに呼ばれ、はっとなる。

「……昔やった無茶を思い出してたんだよ。自由過ぎて好き勝手し放題で、今考えると色々反省しなきゃいけないこともあったな、ってさ」

 とっさに適当なことを言って誤魔化す。

「まるで今は自由がないみたいな言い方じゃない」

「残念ながら、会社入ってサラリーマンになっちまうと、色々と自由がなくて窮屈な思いをしなきゃいけないからな。SOS団みたいにいつも楽しそうなことが溢れてた毎日ってワケにはいかないんだよ」

「何それ? 「大人になるってことは、窮屈で息苦しい毎日を過ごすことだ」みたいな、世の中悟った気になった中坊みたいなこと言ってるんじゃないわよ」

 随分な言われようだな。

「まぁ、気持ちは解らないでもないけどね」

 ……おい、それはどういう意味だ? お前、ちょっとでも、毎日が息苦しいって感じてるのか……?

「……なぁ、ハルヒ。あの頃と比べて、今の毎日はどう思う……?」

 妖精に唆されたのか、それとも考えが煮詰まり過ぎて思考がブッ飛んだのか、訊きたくて、でも訊くのが怖いことが、自然と口から漏れていた。

「そうねぇ……」

 と呟いたハルヒは、自分で自分に驚いている俺に気づかない様子だった。

「……あの頃は、あんたがいて皆がいてSOS団があって、毎日きっと何か楽しいことが起きる気がしてワクワクしてた」

 一瞬のような、永遠のような、そんな時間だった。


「でも今は、あの頃とは違う形で、毎日何が起こるのか解らなくてワクワクしてるわ」


 ハルヒは軽く答えたが、こちらとしては色々な意味で虚を突かれたので、思わず黙ってしまう。

「な……、何でだ……?」

 ようやく声を絞り出した俺に見せたハルヒの微笑みは、おそらく一生忘れられないだろう。

「ハルキがいるもの」

 ハルキが?

「赤ちゃんって本当に不思議よ。一日一日、昨日に比べてちょっとずつ大きくなってるのが解るし、昨日まで出来なかったことが今日いきなり出来るようになってたりして、ほんと、毎日思いもよらない変化が起きるの」

 黙ってハルヒの話の続きを聞く。

「それにね、あたし自身も、ついでにあんたも、毎日変わってるって解るわ」

 俺もか?

「ハルキを産んであんたと暮らすようになってから、ハルキの世話とか家の細かい色んなことなんかで戸惑うこともあったけど、最近はだいぶ慣れてきたって感じてるわ。あたしが見てるかぎり、あんたもね」

 あまり自覚はないが、お前がそう言うってことは、その通りなんだろう。

「自惚れるわけじゃないが、俺達もちょっとずつ、夫婦らしく、親らしくなってきたってことか」

「そんなところね」

 ハルヒは、少しくすぐったそうに笑った。


「ハルキと同じように、あたしもあんたも毎日ちょっとずつ変わってる。だからね、あたし達は、明日はどうなってるんだろうって考えるのよ。明後日は、一週間後は、一ヵ月後は、一年後は、って。そうしたら、色んな未来が浮かんできて、もしかしたら想像もつかないような日々が待っているんじゃないかって思えて、すごくワクワクするのよ」

 

 今、自分がどんな顔をしているのか、解らない。言いたいことが、ハルヒに伝えたいことが、溢れそうな程あるのに、上手く言葉にならない。

「……ていうかキョン、あんた何か勘違いしてない?」

 一度に複数のアプリを動かしたせいで動作が極端に遅いパソコンのように思考の処理が出来ないでいると、またしてもハルヒからの不意の一言が来た。

「……勘違いって、何だよ?」

 ええい、考えてたことが全部吹っ飛んじまったぜ。

「あんた、まるでSOS団は昔のことで、もう存在してないみたいな言い方してるじゃない。言っとくけど、あたしはSOS団を解散した覚えは一度も無いわよ」

 確かに、俺も解散宣言を聞いた覚えは無い。

「じゃあ今、SOS団はどんな状態なんだ?」

 尋ねると、ハルヒは腕を組んで自信満々に言い放つ。

「SOS団は、団長のあたしが育児休暇中だから、仕方なく一時的に活動を休止しているだけなのよ。あたしが号令をかければ、いつだってSOS団は不死鳥のように活動を再開するわ!」

 メイド姿の朝比奈さんによるお茶のサービスがある時点でそこらの一般企業よりよほど福利厚生に恵まれていると言えたSOS団ではあったが、まさか育児休暇なんて制度まであったとは知らなかったぜ。定年まで頑張れば年金も出るんじゃないか? もっとも、一生平団員な気がする俺の年金は、あまり期待できそうにないけどな。

「それに、ハルキは未来のSOS団員なのよ。だからあたしは、育児休業中と言うよりも、新人教育中と言った方が正しいわね」

 おいおい、生まれた時から団長直々に教育してもらえるなんて、すごいエリートだなハルキ。どんな教育かは知らんけどな。

「だったらハルキは、ゆくゆくは北高に入れるつもりか?」

 何気なくそう言うと、ハルヒは一瞬驚いたような顔をした後、にぃっと笑った。

まずい、この顔は俺の経験から予測するに、ロクでもないことを思いついた時のハルヒの顔だ。

「そうね。SOS団の活動は、やっぱり北高を拠点にするのが一番だわ。ハルキには、北高生になって部室棟にSOS団の部室を確保してもらいましょう。うん、それがいいわ」

 いかん、余計な入れ知恵をしちまったみたいだ。

 すまんハルキ、俺達の未来にはどうやら、色々とやっかいなイベントが待ち構えていることになってしまったかもしれん。残念だがお前の母は、一度エンジンに火が入ったら、誰にも止められないんだ。無力な父を許してくれ。


 でもまぁ、正直に言えば、そんな未来も悪くない。ハルヒとハルキがいるなら、どんな毎日でも、きっと悪くない。

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