「あまりここには来ないんですけど、綺麗ですね……」

「住んでると色々不便もあるけれど、ほんと、景色だけはいつ見ても飽きないよ」

 水路の底が見えるほどに澄んだ水を切り裂きながら二人を乗せた小型のレンタルモーターボートが幅広い水路を進んで行く。

 天神島、本島東外周区の清流町は、東の海から清流川によって流れ込んだ水が町中に行き渡っている。

 この町は現代版ヴェネチアとも呼ばれている。規模では本家に劣っているが、近年に人工的に整備された都市であるため、利便性では本家を遥かに凌ぐ。そして、この町は天神島の一般居住区、つまり一般の人間が住む場所だった。

 水路に面した、やや高めの位置にある道や、その道を繋ぐ木製の橋は本家にはない和風の様式美が見て取れる。ここは一般居住区でありながら、天神島人気観光スポット第三位にランクインしているほどに有名な場所だった。

 道行く人、水路行く船に乗る人の中の二割以上は観光客か、デートをする若者のように見える。

 真也と友希はそのカップルたちに紛れてデートっぽい探索を行っていた。

「魚、いないですね……」

「まぁ、そりゃね……」

 急にしんみりという友希に真也は頷く。風情も何もあったものではないが、現代版ヴェネチア、清流町の水路の水がリアルに透明なのは水が河川から町の水路に入る際に濾過されているためである。当然、航行の妨げになる魚などもそこでカットされているのだ。

「この町なら連盟圏からの観光客も多いし、潜入にはうってつけかと思ったんだけど。旅館もいくつかあるし、そこを拠点化できるんじゃないかな?」

 真也はとりあえずここを選んだ建前を並べる。友希は少し考えて言った。

「ここに紛れるのは簡単だと思いますが、高度な心象性魔導を使わない限り旅館の拠点化は難しいですよ」

「……?」

 友希がそう考える理由が全くわからない真也は沈黙で続きを促す。

「旅館は結構パスポートとかの審査が厳しいですから。ただ、天神島で、毎度パスポートをごまかすために心象性魔導を使っていたらいつか周囲に露呈します」

「なるほど、魔導を大規模に使って拠点を作るなら人が多い場所はNGってことか。となると、旅館は……」

「そうです。NGに当たりますね」

 ようやく正解にたどり着いた真也に友希は頷く。

 天神島には日本皇国のどこよりも(軍の基地や研究所の集まる場所を除けば)魔導師の人口密度が高い。圧倒的に高い。

 住民の三割以上が魔導師であるこの島では、つまり、すれ違う人間の三人に一人は魔導師であるということになる。魔導を行使し、また、その力を感知できる魔導師にいつ見られるかわからない旅館などではそうおいそれと魔導を自身の存在の秘匿に使うことはできない。

 自分個人を隠すだけなら高位の魔導師には可能かもしれないが、敵は部隊単位で動いている。西外周区のコンテナヤードや、北外周区の蛇亀山に比べればとても潜伏には向いていなかった。

「でも、木の葉を隠すなら森のなか、って言うから、人を隠すなら……」

「人混みの中、ですか? さっきの映画でシャーロットさんが言っていましたね。ブラウン神父さんの言葉でしたっけ?」

「はい……」

 真也は友希が面白がるように笑うのを見て少しほおが熱くなった。先ほど見たばかりの映画のセリフを出して、自分の意見のように言ってしまっていたことに気付いたのだ。

「死体を隠すために死体の山を作る、でしたね。でもあの例は死体が第三者に見つけられても、どれが今回の殺人によるものかわからない、という意味ですよね? 今回の敵は主に自身の居場所を隠蔽することを重要視していますから、使用する魔術、古代魔術は主に姿を隠すものになると思います」

「つまり?」

「ここで普段生活する上で、真っ当な魔導師ならばそのような術を行使することはありません。人を隠すなら人の中、ではなく魔導師を隠すなら魔導師の中。

 さらに言うなら魔導を隠すなら魔導の中です。日本では心象性魔導というだけで目立ちますし、平和な町で姿を隠す魔術を使っているとなれば……」

「目立ちすぎるってことになります。はい」

 友希はそうです、と再び頷いた。

「でも、魔導師も普通にしている分には人間ですから、拠点でなくとも、この辺りにいる可能性は高いです。そういう意味では人を隠すなら人混みの中、という言葉は正しいと言えますね」

 友希のフォローに真也は頷く。二人乗りの、木に見せかけたプラスチック質のボートは緩やかにメイン水路から外れ、町の西へ向かって移動していた。レンタルボートは目的地を入力すれば自動で目的地まで運んでくれるため、操縦の必要も、免許の必要もない。

「話を変えますけど、真也は学校に慣れましたか?」

「慣れる、というか気が付いたら普通になってる感じかな。ナギがいるせいかもしれないけど、正直、中学と変わらない気がする」

「魔導科の授業は?」

「それは確かに中学にはなかったけど、思ったより普通かな。ただ、空を飛ぶのは未だに慣れないけど」

 確かに、と友希は頷く。付中にも飛行システムはない。付属中学は付高の三分の一ほどの大きさしかないため、学内の移動は路面電車でなんとかなるらしい。

「そんなものですか。では特寮はどうですか?」

「いまいち慣れません。というより、そう、慣れたくないって感じですね。あの感覚に慣れてしまったら卒業後は元の貧乏な生活に戻れなくなるから」

「なるほど。それはあるのでしょうね。あくまで想像ですけど」

 友希の言葉に真也は何とも言えない表情を作る。友希がお金持ちであることは明白だし、彼女がそれを当たり前のように語っても真也が怒りを覚えることは道理にかなっていない。ただ、リアクションに困るだけだった。

「友希は中学と何か変わったことはないの?」

「やはり、空を飛べることですね。ずいぶん楽になりました。このままでは太ってしまわないか心配です」

 ため息を吐いて言う友希を見て真也は再び何とも言えない表情になった。友希は十二分に理想のプロポーションだと思うが、もし、彼女がその維持に努力しているなら迂闊なことは言えないと思ったのだ。

「そういえば、昔聞いたことがあるんだけど、普段の状態から極端に離れた行動を魔導によって行うとエネルギーを大きく消費するそうだよ」

「本当ですか?」

 疑わしそうな、しかし期待するような友希の眼差しが真也に刺さる。普段とレクチャーの向きが逆転しているので、真也は少し緊張しながら答えた。

「個人差はあるだろうけど、普段行わない行動を行うときはそれなりに体に負担をかけるから、動悸の加速、筋肉の収縮などが起こり、エネルギーが結構もっていかれるんだと思う」

「それは初耳です。でも、素晴らしいですね!」

 目の前に札束が落ちているのを見つけたときのように友希は喜ぶ。もっとも彼女の財力なら札束ごときで喜べるかは微妙なのだが。

 それを見て真也は念のための補足を足しておくことにした。

「ただ、思ったんだけど、普段死んでは生き返るような経験をする人間には効果は薄いんじゃないかな? まぁ、吸血鬼ともなるとトレーニングの有無以前にムキムキだけれど」

「そうかもしれませんね。真也、お口、縫い付けたほうがよろしいのですか?」

「ギリギリセーフラインでは?」

「超えてますね」

「ますか」

 真也は頷いて狭いボートの中を後ろへ移動した。間髪いれずに友希が間合いを詰めてくる。真也は両手を挙げて幸福の意を示した。

「……気をつけます」

「はい。そうしてください」

 真也は首を上下に振って立ち上がる。孤児院のある島が見えたのだ。

 清流町は一ブロックが長方形の島の様に水中から出ていて、ブロック同士は橋で繋がっている。

 真也と友希の乗っている屋根付きのボートは自動で緩やかに孤児院のある島に接岸した。その島には孤児院以外に建物がなく、周囲はこの近所の公園となっている。水路への落下防止の柵の向こうには遊具で遊ぶ子供たちが見えた。



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