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「よくやってくれたな! 本当にもう、涙が出てくるよ」
青年、
不幸中の幸いで、真也が撃墜したのはAIの操縦する無人戦闘機だったため人命は失われることはなかった。ただ、試作実験機だったらしく、コストの方は普通の戦闘機の倍以上だったのだ。真也は、見方を殺していなかったという安堵をかみ締める暇もなく、本気で半泣きの軍のお偉いさんに、二時間に渡って説教され続けた。より正確には、泣き言を聞かされた。
ともあれ、真也は彼と天神地区の孤児院の子供の後見人でもある天ノ原弌夜摂政殿下のお
ここは皇国軍総司令部、世界樹の八階にあたる場所だ。真也は尋問室を出て近くのエレベーターのパネルに触れた。
天神島の世界樹は内部がくり抜かれており、巨大なビルのような状態になっている。一階の天神中央駅、通称セントラルターミナルは、戦闘機による攻撃を受けたモノレールで、もともと彼が向かっていた場所でもあった。
ちなみに、
そのため彼女は真也と違い逃亡、もとい解放は許されない。今頃、彼の何倍も説教されているはずの人工知能に向かって彼は黙祷を捧げた。もちろん、ウイルスを送る予定は消さなかったが。
その後、真也は二階のデパートで制服を受け取り、戦闘時に破れてしまった私服から制服に着替えて四階の魔導図書館に向かった。
制服は明日の四月一日に入学する
エレベーター内のアナウンスが四階に到着したことを告げ、扉が開く。
イミテーションの草木がふんだんに設置されていることから、一見植物園に見えるこのフロアは「森の図書館」と呼ばれていた。
偽物の芝の床に踏み入って真也はカウンターへ向かった。天神島の世界樹の魔導図書館は国立図書館を兼ねている。
真也が図書館を訪れた目的は明日の入学式の日に提出しなくてはならない課題のレポートを仕上げるためだった。カウンターまで進んで真也は司書さんに声をかける。
現代では司書という仕事はその殆どが人工知能に奪われてしまっているが、ここ、魔導図書館はその例外だった。魔導師にしか扱えない魔導書を管理するのには人の手が必要だからだ。
「すみません。電子資料が
「はい、資料の閲覧が可能な個室ですね。少々お待ちください」
真也は物心ついた時から天神島の住人なので、ここを利用するのが初めてではない。慣れた手つきで手順に沿って利用申請カードに必要事項を記入し、司書さんの対応を待った。
女性の、この仕事には珍しい若い司書さんは手元のタブレット端末を気むずかしげに操作している。若い司書が珍しい理由は明確で、貴重な人材である魔導師がまだ全盛期である三十代前に軍や警察、教師や研究員などの主要な職に就かないケースは稀であるからだ。
「申し訳ありません。現在はすべての個室が埋まっております。もし、相部屋でよろしければ、資料の閲覧が可能なミーティングルームにご案内しますが、どうされますか?」
司書さんはタブレットから目を離し、申し訳なさそうな顔でそう言った。真也としては今日中にレポートを仕上げなくてはいけないので選択肢がない。真也は司書さんの提案に乗ることにした。
「では、それでお願いします。その、今、ミーティングルームを使われている方々は、僕がお邪魔することを許可されているんですか?」
「そのようです。現在、ミーティングルームにいらっしゃる方がお越しになった時にはすでに個室が埋まっていたようで、彼女には条件付きで使用許可が下りたようですから」
「条件、ですか?」
「えぇ、原則ではミーティングルームを個人で利用することができないんです。ですが、まさか追い返すわけにも行かなかったようで、同じ境遇の方がいらした時に相部屋にしてもらう約束をしている、と記録されてました。
ところで、その制服は付属高校のものですよね?」
相部屋の経緯を聞いて真也は納得した。
「はい。それがなにか?」
無難に返答したつもりの真也だったが、時間の経過とともに自分の返答がそっけないものに思われて少し焦る。
「いえ、ただ、私が付高で教諭をしているので……。司書は休暇中の一日ボランティアなんです。今年度、あ、いえ来年度の新入生ですか?」
「そうです。付高の先生ですか……」
司書さん兼府高教師は笑顔で図書カードの提示を促した。彼女は真也が差し出したカードに、本日限りのボランティアにしては慣れた手つきで部屋の使用許可コードを電子的に書き込む。
「多分、個室が満員なのは春休み課題をしている人が多いからですね。君も課題ですか?」
「お恥ずかしながら、春休みは遊び倒してしまいました……」
先生、司書さんの質問に赤面しながら真也は答えた。
「ふふ、わかります。課題、頑張ってくださいね」
「……あ、ありがとうございます」
真也は先生の励ましにお礼を言って、カードを受け取り、ミーティングルームへ向かった。
館内は世界樹のワンフロアを丸ごと図書館にしていることからもわかるように、かなり広い。通常のフロア内の一、二階分と直径の二分の一くらいは書庫になっているのだが、それでも迷うほどに広いのだ。
しかし、多くの人がその移動に苦労しないのは、他のフロア同様、この世界樹の中では人間は空を飛べるからだった。真也は体を浮かばせて、目的地のある同フロア内の三階へ飛び立つ。あっという間に普通の図書館の三倍ほどの高さの棚を超えて、真也の体は空中へ舞い上がった。
二分もかからずに真也は指定されたミーティングルームに到着し、図書カードを入り口のパネルに当てて入室申請を行う。認証音が小さく響いてスライドドアが開いた。スライドドアも木の幹の一部に見えるのがここが「森の図書館」たる
四人から八人用のミーティングルームの中は四面の中でドアのある壁以外の三面が全てモニターになっていて、資料を写しだしたり、電子黒板としたりして利用出来る。
ミーティングルームの相席相手は黒のロングヘアの女性だった。いや、私服と大人びた雰囲気でわかりづらいが、正確には女子のようだった。
「お邪魔します」
室内に入る前にとりあえず一声かけてから、真也はドアの中へ入った。
黒髪の女子は真也の方に向き直って軽く会釈をして再び自分のノートパソコンに視線を戻す。真也は彼女の形容し難い美しさに目を奪われていた。
彼女はしばらくキーボードを叩き続けていたが、何度か居心地悪そうに身じろぎをした後でパソコンから目を離し、再び真也を見た。髪を耳にかける姿一つ一つが真也にはスローモーションのように見える。黒檀のような色の縁の度の入っていなさそうなメガネ越しに彼女の目が真也の目と合った。
「あの……、なにか?」
真也を見つめながら彼女はそう呟いて、そこで真也は初めて自分が彼女に見とれていたことに気がついた。
「あ、いえその……。なんでもないです。すみません」
慌てて小声でごまかす。弁明するように胸の前で解読不能のジェスチャーをした右手から、握ったままになっていた図書カードが勢いを持って飛び出して部屋の中央のテーブルを転がって彼女の足元へ落ちる。
彼女は苦笑しながらそれを拾ってテーブルの向かいからそれを差し出した。真也は慌てて頭を下げ、礼を言おうとお辞儀をして、前かがみになった彼女のやや豊満な胸元に顔を近づけまう。
「あ、いやその、すみませっ!?」
慌てて後ろに下がって、突き出した両手で彼女の差し出した図書カードを払い落としてしまった。カードは再びテーブルの上を転がって、驚いて態勢を起こした彼女の手元で止まった。
名前などの軽い個人情報が記載されている裏面が上になっている。彼女はそれを見て少し驚いたような顔になって、思案顔のまま再びそれを差し出した。
「……ありがとうございます」
真也は、今度は頭を下げずに落ち着いて礼を言ってカードを受け取った。互いに何も話さず、しかし別の行動も起こさずに、気まずい沈黙がミーティングルームに漂う。
「「……あの」」
しばらくして声を掛けるが、同時になってしまい口を
「すみません。あの、天神真也さんですよね?」
「はい。そうです」
カードに書いてある通りの自分の名前を出されて真也は肯定する。彼女は少しほっとしたように続けた。
「えっと、私は柊
「……?」
真也には憶えのない名前だった。真也は関わった人間の名前を決して忘れることがないので、実は知り合いだったという可能性は低い。名前を覚えていない心当たりがないわけではなかったが、真也は黙って彼女、柊友希の言葉の続きを待った。
ただ、当然ながら『柊』という名前は知っていた。たまたま同じ苗字でない限りは、その苗字は日本有数の魔導の大家である柊家のものであると考えられる。
「すみません。真也さんと知り合いってわけではないんです。真也さんはその、特寮に
真也は友希からの問いかけに驚いた。特寮とは皇立天神大学付属高等学校の特別寮のことで、それは真也が急遽入ることになった寮の通称だったのだ。
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