一章 とある青年の引越し騒動

 静かに、島の中央に屹立する三千メートルを超す大樹の影の中を一編成のモノレールが走っている。太陽は西に傾き、西の空は薄紅うすくれないに染まり始めていた。

 天神モノレール、通称天レールあまレールの車両の内部は幾つかの個室に区切られている。そんな個室のシートで眠っていた青年は、列車を揺さぶった激しい振動のせいで目を覚ましたのだった。

 どうやら彼はモノレールの低速線特有の乗り心地の良さと、窓から入る昼過ぎの心地よい日差しのせいで夢を見ていたようだ。

 彼の顔に焦りはないが、動揺は見られる。彼は車両の窓から外を見下ろした。

 窓の外にはやや茜色に染まり始めた空とオレンジに染まる水路とその間に建つ住宅街が見える。イタリア共和国西ローマの景観保存指定都市であるヴェネツィアを近代化させたような街並みだ。影のかかっていない水路がオレンジ色に染まって、町全体が美しく夕日にライトアップされている。

「逆かよ! 本土側に回り込まれてるのか!?」

 しかし、青年はその景色に見とれるでもなく毒づいた。

 そして、右手で右耳につけている脳内電話ブレインフォン、通称ブレフォンの外部コントローラーをダブルタップして電源を入れる。

「ID-天神真也あまがみしんや壱式匣いっしきこう・コード【自然状態ナチュラル】・装填完了ローディング

 そして青年、天神真也の声を機械が拾った。真也はドアの電子錠がある位置に手を当てる。

撃発バースト!」

 叫びとともに、彼の手から放たれた電撃がドアのシステムロックを破壊した。

 真也はロックが無効化された個室のドアをスライドさせて通路へ出る。通路に人影はない。真也は迷わず通路を横断して、向かいのドアのロックも破壊した。そして真也が入っていた個室と反対の個室に侵入して、窓際に駆け寄り、外の景色に目を凝らす。幸いにもその個室に乗客はいなかった。

 天神島の東外周区を走るモノレールの西側の窓からは島の中央の世界樹せかいじゅが見える。そして、樹を背景に十数機もの皇国軍・防衛軍所属でないにほんのものでない軍用機が飛んでいた。

 いわゆるエースコンバット的なことは行われていない。一方的な攻撃、一方的な爆撃だった。眼下の都市からは所々で煙が立ち上っている。場所によっては炎も視認できた。黒い爆弾が周囲の機体よりやや大きい機体、爆撃機の腹から吐き出されては下の街へと落下していく。

「クソッ!」

 真也は再び毒づく。再び、列車が大きく振動した。先ほどより音は小さいが、車体に着実にダメージが溜まっていっていることは想像にかたくない。ここからは見えない場所から別の戦闘機によって攻撃されているのだろう。

 列車のスピードが一段と上がった。止まってまとになるよりはマシだと思ったのだろう。

 その直後、前方の上空で戦闘機が二機同時に爆発した。爆発炎上した戦闘機の放つ炎と爆煙が、空に現れた不可視の平面上を広がっていく。真也が事態を把握する前に、また一機、戦闘機が撃墜された。

「障壁魔法!? この距離であの規模ってマジか!」

 数秒後、窓の外に見える空中で起こっている自体を把握した真也は驚きの声を発する。戦闘機を撃墜したのは魔法の力だった。

 真也が驚いたのは高所を高速で飛ぶ戦闘機に魔法、ないし魔術を当てることがどれほど困難であるか知っているからだ。

 真也も魔術師、魔術を行使する者である。魔術師である真也には持てる力を正しく、かつ必要とされる時に振るう義務があるのだ。

 真也は、魔術でガラスを破壊し、窓の外へ出て応戦するために、右手を窓へ持っていく。しかし、彼の腕はそれ以上前に進まなくなっていた。一分が経過しても彼の口からを魔術の発動を指示する言葉は出ない。

 ガラスに魔術を無効化する力があったわけではない。車両の窓に高価なAMP対魔術粒子を練り込んでいたら天神モノレールは倒産してしまう。

 魔術が発動されないのは、真也自身がそれ以上前に進むことをためらっているからだった。

「ここで、戦えない僕に価値があるのか?」

 真也は自問する。

 目の前はもう戦場だ。外に出れば引き返すことはできない。機銃が複数こちら、いや少し右を向いて火を噴く。

 彼が背負うべき義務は彼自身の命を危険にさらしてまで強制されるものではない。真也の頭の中で数十の言い訳が浮かんでは消えていく。その全ては論理的に、倫理的に正しい。

 動悸が加速する。周囲の音が遠ざかっていく。真也はパニックに陥っていた。

 しかし、その時、戦闘機の機銃から放たれた銃弾の雨が、不自然に途切れた防壁魔法の隙を突いて列車に殺到し、モノレールの屋根に穴が開く。その穴へ向かって爆撃機から爆発物が投げ込まれた。

 直後、爆発が列車を叩く。

「ッッッッ!」

 列車の揺れが真也を前へと押し倒す。右手が窓に触れて、改変対象が指定された。爆発の衝撃に驚いて、真也は繰り返し、口にしようとしていた言葉を声に出して言ってしまう。

「っ撃鉄バースト!」

 真也の手の先から魔術が発動された。

 かすかに雷鳴のような、空気が膨張して発生する衝撃音が鳴り響く。目に見える小さな雷が車内に発生して、窓のガラスごと列車の壁を吹き飛ばした。

 真也の体は一瞬にして列車の外へ放り出されて、風に揉まれながら落下する。

 砕けた列車の壁面が夕日にきらめいて直下の住宅街へ落下していく。下は水路か、住宅か。どちらにせよこの高さから落下すれば真也の命は助からない。仮に彼が普通の人間であると仮定するならば、だが…………。

愛七まなっ、さっきまでいた列車の中に戻る。

 弐式匣にしきこう・コード【飛行術式フライト】・装填ロード

『了解。真也しんや様。準備完了次第、体の減速を開始し、八秒後に停止。その後列車に向かって移動させます』

 彼の叫び声に合成されたプログラムの声が答える。

 愛七は天神島の皇国軍本部にあるスーパーコンピューターの人工知能の一人で、地区府が一部の人間に提供している魔術演算補助人工知能マギカ・オペレイション・サポート・エーアイ+αプラスアルファである。プラスアルファは……、趣味次第で活用できるが、今のような、生きるか死ぬかの戦場では関係無い。

『「装填完了ローディング」』

 愛七と真也が同時に叫んだ。今度は複雑な演算が愛七のサポートによってクリアされていく。

『【飛行術式フライト】に変数値オペランドを入力……完了!』

 愛七が少し苦しげに叫ぶ。演算速度を限界まで上げたのだろう。真也は魔術の発動態勢が整ったのを確認して、叫ぶ。

「コード・【飛行術式フライト発動するインヴォーク!」

 魔術が発動され、真也の体が少しずつ失速する。

『衝撃に備えてください。二、一、停止』

「グプュッッ」

 住宅の屋根が近づき、激突寸前で真也の体が停止する。真也は急激な速度の変化に耐えられず、食いしばった自身の歯の隙間から謎の音が漏れるのを聞いた。

 直後、彼の体は逆方向へ向かって加速する。その時、真也は斜め上の高架を進む、夕焼けで赤に染まった列車から黒服の男が空中をのを見た。彼は何が楽しいのか笑っている。

 真也は感覚で男の足元に魔術【物理障壁】が断続的に発生しているのを知覚した。空中に障壁の階段を生み出しているのだ。上空を飛び回る戦闘機が走っていく男に銃撃を加えるが、返り討ちに会うだった。男は全く気にせずに水路が張り巡らされた住宅街へ消えていく。

 ブレフォンによる仮想の視覚が男の口元をクローズアップし、自動で読心術をやってのける。その口から伸びた線上に言葉が連ねられた。

『フェーズ××、×××終××へ×移×。×××り×験×始××』

 しかし、そのほとんどが読み取り不能で、現れた文章は言葉としての意味をなさない。真也はそれに文章復元プログラムにかけようとした。

 が、そこで彼の仮想の聴覚に警告アラームが響く。真也の本来の視覚は自分に狙いを定める戦闘機の機銃の動きを捉えていたのだ。

『ッッッ! 参式匣さんしきこう・コード【物理障壁フィジカル・シールド】・装填すロード・オ、いや、回避だっ!』

「っ! 了解ですっ!」

 真也は慌てて術式装填の指示を下そうとして、しかし、【物理障壁】の術式装填が間に合わないと判断する。真也はすでに装填済みで、かつ発動中の【飛行術式】による回避に指示を切り替えた。

 愛七によって変数値が操作され、真也の体は空中で方向転換する。急にコースを変えた真也の少し下を銃弾の雨が駆け抜けていった。機銃は圧倒的な力の差を見せびらかすかのように、空中を不規則に飛び回る真也の体を追い回す。

「『参式匣・装填完了ローディング!』」

 二人が叫ぶ。

『真也様、先ほどの黒服への攻撃を元に演算しました。【物理障壁】を三重に展開すれば、機銃による攻撃は問題なく防げます』

「入力頼む!」

『了解です! 変数値オペランド入力。直径二メートル球の第一障壁を、五十センチ間隔で続いて第二、第三を展開します。……入力完了!』

 愛七の演算と変数値の入力が終了した。発動準備完了と同時に真也が叫ぶ。

「コード・【物理障壁フィジカル・シールド展開するエクスパンドッ!」

 真也の体を包む目に見えない三重の障壁が形成される。数秒後に、急に止まった真也に向かって、戦闘機から打ち込まれた全ての銃弾が、第三障壁を通過する瞬間に急激に失速し、第二障壁に阻まれて静止した。第一障壁に到達した銃弾はゼロ。真也の魔術は戦闘機からの銃撃を完全に防いでいた。

「愛七、いけそうか?」

『勝率なら約百パーですよ?』

「疑問系やめろ……。それに約?」

『真也様さえミスらなければ百パーです』

 何気なく魔術師しんやにプレッシャーをかけるサポートAI。会話しながらも真也の体は一定速度で列車へ向かって空中を移動している。今や、西の空は真っ赤に染まり、眼下の水路は橙の絵の具を溶かしたかのように夕焼けを反射していた。

 AIのサポートを受けているとはいえ、愛七は真也の目を通して世界を見ている。愛七がその気になれば近くのカメラにハッキングを仕掛けて真也以外の視点から魔術演算を行えるのだろうが、生憎、現在の戦場は上空二十メートル以上だった。ビルのない清流町の空には、真也の目以上のカメラは存在しない。つまり、暗くなればなるほど真也にとっては不利になるのだ。

「ちゃんと演算した考えた結果なんだろうな?」

『答えはノーです。正確には真也様が死ぬパターンが十五通り、負傷するパターンが九十七通り、無傷で皆殺せるパターンが数百通り以上ですね』

 真也の追求に愛七は淡々と答える。

「いや、いくら愛七でも未来を演算は無理でしょ……」

『チッ、バレましたか。まぁ真面目にやれば十中八九勝てるんじゃないですかね?』

「だから疑問系やめて……。っと到着か」

 真也は、愛七の投げやりな返答にヒヤヒヤしながらも、自分が破壊した壁の穴を通ってモノレールの内側に戻ってきた。細かく変数値を調整して速度を落とし、低速線ではありえない速度で走行している列車の床に華麗に降り立つ。

『次は如何いかがいたしますか?』

「雷撃でまとめてぶっ潰す」

 一息ついている真也に愛七は問いかける。真也はそれに覚悟のこもった声で返事を返した。

 真也は同世代ではトップクラスの魔術師であり、かつ本人に覚えはないのだが実践慣れしている。感情、主に恐怖と同情によるブレーキさえかからなければ彼にとって戦闘機は苦戦する相手ではなかった。

 しかし、それも敵が一機だった場合のことだ。たとえ超一流の魔術師であっても戦闘機の編隊と進んで戦おうとはしないだろう。魔術とは一見無敵に感じられるが制約も多い。決して万能の技術ではないのだ。

 それでも真也はこの状況を覆すべく、魔術の準備を始める。

「弐・参式匣を解除排出テイクオフ

 七式匣にコード【物理障壁フィジカル・シールド】を再装填リロード

『了解です!』

 真也の指示に愛七が返答する。

「『七式匣・再装填完了リローディング』」

『列車全体を覆う半球型に【物理障壁フィジカル・シールド】を展開します』

 魔術式の装填が完了し、変数値を愛七が入力する。【物理障壁】の発動準備が整った。

「【物理障壁フィジカル・シールド展開するエクスパンド!」

 真也によって魔術が発動され、列車全体を覆う半球状の【物理障壁】が形成される。

「弐・参・四・五・六式匣にコード【自然状体ナチュラル】を装填するロード・オン

 魔術の限界同時改変情報量を底上げするために、複数の式匣を並列して使用する。

『「装填完了ローディング」』

『続いて【自然状態ナチュラル】の演算に入ります』

『被害予想、攻撃対象座標並びに移動予想位置、その他の変数値オペランドの入力が完了しました!』

 そして、愛七が変数値を入力し、コード『自然状体ナチュラル』、即ち魔術師の『自己情報領域パーソナル・レコード』が元から備えている『固有魔術ユニーク・マギカ』の発動態勢が整った。

 真也の「固有魔術」は、先ほど列車の電子ロックを破壊したのと同じ電撃系統の魔術である。もっとも、今、発動しようとしているそれは、規模という点で桁が違っているわけだが。

「オーケー、いこうか!」

 その言葉と同時に真也は挙げていた右腕を一気に振り下ろす。

撃・鉄バースト!」

 真也が叫ぶ。

 腕を振り下ろすと同時に、雷が空気を焼き焦がす轟音が複数列車の周りで響き渡る。真也は自分で起こした現象にビビって目を閉じた。あまりの眩しさに、さらに顔を手で覆う。真也は今までに、六式匣も並列して自身の固有魔術を使ったことがなかったため、これほどの光量が生まれると知らなかったのだ。

 再び彼が目を開いたとき、皇国の空をおかしていた戦闘機は、一機の例外もなく光の柱によって撃ち落とされていた。

 真也は、次回は【光量抑制ブラインド】を併用することを心に刻みながら、まぶたしでも目に残る、光の残滓ざんしを数度のまばたきで振り払う。

 下の街並みを見下ろすと、敵機の残骸は太い水路や林の方へ落ちていて、住宅街への被害はなかった。これは全て、愛七の演算の成果である。真也は先ほどの未来は読めないだろう、という発言を撤回しようと思った。

 ちなみにモノレールの乗員に配慮して、列車の窓はすべて閉じられ、ブラインドがかかっている。愛七が列車のシステムにハッキングしていたのだ。

 戦闘を終え、列車の壁に開いた穴を見て、言い訳を考える真也の仮想の視界のすみに小さな青色の髪のミニサイズ(単純に縮尺の問題であって、体型のことではない)の美少女が現れる。

「愛七?」

 真也は小さな愛七まなの姿を見ていぶかしく思った。真也は彼女のその容姿を気に入っているが、いつもの彼女はあまりその姿を表示しようとはしないのだ。

 小さな電子の妖精、愛七は照れ笑いのような笑みを浮かべて、目をそらし、人差し指と人差し指をツンツンしていた。真也はそれを見て色めき立つ。

 まさか、告白というやつである可能性がなくなくなくないのではないかと。

 愛七のモーションに影響されたかのようにモジモジする真也に、目を合わせずに愛七は言う。

『あ、あのですね。私は、その、ものすごく、ハイで、ウルトラで、マキシマムでアルティメットに…………』

「……そんなにか!?」

 真也が照れて目を逸らし、また愛七を見つめる。愛七は何かに怯えるように、その上で決意を固めたように真也を見つめる。明記しておくが、これは彼女ので基本仕様もともとのせっていでも、真也が彼女の余剰機能プラスアルファを利用したわけでもない。紛れもなく、彼女の本心だった。

 真也は彼女の表情を見て呼吸を忘れる。(実際に忘れたのではなく、あくまで比喩表現だが……)

 愛七はそんな真也に可憐な笑顔を向けて、涙を流しながら告白した。

「本当に、言葉にしづらいのです。でも、…………ウルトラ、アルティメット、スーパー、ハイグレードのステルス性能をマキシマム活用した日本側の戦闘機が、さっき、撃墜した戦闘機たちの中に二機ほど混じってました…………』

「……………………………………は?」

 戦闘中並みの悪寒が真也を襲う。

「いや、それ判別するのが愛七おまえの仕事でしょーがぁぁぁぁあああ!!」

 真也の中枢神経はその後しばらくの間、呼吸することを忘れた。(比喩表現でなく、実際に忘れた)

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