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最初のエリアでは、大きめの水槽にいくつかの魚群が泳いでいた。暗い室内で銀色の光が行ったり来たりするのを眺めているのはおもしろくて、いつまでも見ていられそうだった。次のエリアでは小さめの水槽に特徴のある生物が数匹ずつ展示されていた。変わった形のカニだとか、ド派手な色の小魚とか、砂に完全に擬態した貝だとか。人の流れに乗り、展示を数秒ずつ眺めては、たまに感想を言い合って、時々笑う。当たり前だけど星野くんは特に魚類に詳しいわけでもなく、素直に「なんだあれ」とか「ちっちぇー」とか「意外とかわいい」とか小声で感想を漏らしていた。クリオネの水槽の前でふよふよと漂うように泳ぐ姿をじっと見ていると、ふとガラス越しに、私より真剣に水槽を見つめている星野くんの表情が見えた。バレないように数秒、瞳の光を視界に捉える。ガラスの僅かな曇りさえ意識に入ってきて、優雅に舞う妖精たちの輪郭はぼやけていった。
その次は楽しみにしていたクラゲ中心のエリアだった。中央にある、小さなミズクラゲがたくさん入った中に虹色のライトアップが施されている水槽は、ちょっとしたウリで、水族館の公式SNSアカウントでも写真が載っていた。人が集まっている中で私もカメラを向ける。横に倒したスマホの画面に映る光景はとても幻想的で、これだけでも来た甲斐があったなと思えるぐらいだった。
「すごい、綺麗だね」
「そうですね。俺も撮ろうかな」
何枚も撮ってみて、良い感じのを保存する。顔を上げると左側にいたカップルがツーショットを撮っていた。その瞬間、手が前髪に伸びていて、星野くんと二人で撮る流れを想像したことに気付き、慌てて手を下ろした。
「ねえ、紗耶香さん、写ってくださいよ」
「えー、やだよ。星野くんが映りなよ、どうせ絵になるから」
「何が悲しくてデートで自撮りしなきゃいけないんですか」
星野くんはそのままスマホを下ろした。二人で撮ろうよ、と言ったらきっと了承してくれるのだろう。けれど私は口をつぐんでいた。ツーショットがうまくいっていないらしいカップルからは距離をとり、写真のフォルダを眺めるふりをしながら次のエリアへ足を向けた。
一時間半ほど経ったところで、いくつかのエリアに続いている中央の広場に戻ってきた。まだ少し見ていないエリアが残っていたが、案外早く回れたので、一度カフェに入ることにした。併設されているカフェには水族館ならではのメニューがたくさんあった。
「お酒もある。サンゴ礁カクテル可愛いかも。どうしよっかなー」
「飲んでも全然いいですよ。あんまり食べたら夜に響きそうですけど」
「そういえば夜ご飯のお店決めなきゃだったね」
結局お酒はやめておいて(つまみもないのに飲むのはもったいないな、と思った酒飲み根性はさすがに黙っていた)、私はナタデココの入ったジュースを、星野くんはペンギンの形をしたソーダ系のアイスを注文した。
「お店、何か候補ある?」
「何軒かは見てきましたよ。何が食べたいとかあります?」
「なんとなくワインがいいなーとは。あとは魚介かなあ……ん、でも水族館の後で魚介って、悪趣味かな……」
「いやいいんじゃないですか? 俺も正直エビの水槽見ながらうちの店でパエリアの上に乗ってるやつ思い出したりしてましたよ」
星野くんのペンギンは気付けば頭がなくなっていた。小さな両手? 両羽? が楕円の胴体からちょこんと突き出している。
「そういえば」
片手を小さくかじり、その小ささよりも長い時間口を閉ざした後、星野くんは言った。
「中学の遠足を含めて、たぶん女の子と水族館に来たことは三回あるんですけど、一緒に回ってた子全員が言ってたの思い出しました。魚の水槽眺めながら、『おいしそ〜』って。そしてそれを洸太に言ったら『お前それ意識して言ってんだぞ』と言われまして」
「天然ぶりっこ発言ってこと? 確かに、ちょっと不思議ちゃんぽいのかもね実際言われたら。全員が言ってたってところがおもしろい」
「ネタとして聞いたことはあるが、洸太自身が言われたことはないそうで。俺には響きそうだと思われてるみたいですよ。なんででしょうね」
「どっちかというとSっぽいからじゃない? 君がなんとなく、無邪気な女の子っぽい子を好みそうなのは、わかる気がする」
予測として成り立ちそうというだけであって、実際そうでもないらしいことは、今日こうしている時点でもちろんわかっているのだけど。私がそう考えていることすら見透かしたように、星野くんは一言「ほう」とだけ言って、溶けかけたペンギンを綺麗に飲み込んでいく。
「まあ、本当に思った可能性もありますけどね。洸太の言った通りの意識を持ってた子もいたかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
おいしそう、か。自分は言ってないはずだし、思った覚えもない。確かに実際に思ってもおかしくないけど、なんで思わなかったんだろう。口の中に残るナタデココの繊維を執拗に噛みしめながら考えた。
「うちはお父さんがめんどくさがるから焼き魚があんまり食卓に上らなくて、魚といえば刺身ばっかりだからかな。泳いでる生き物としての魚を見ても食材に直結しなかったなあ」
ふ、と星野くんが笑った気配を感じて顔を上げる。細い木の棒を手に持った彼はやはり笑みを浮かべていた。
「そこで、自分がその発言に至らなかった論理を考え始めるのが、とても紗耶香さんっぽいです」
「……そうかな、じゃあ普通の女の子ならなんて言うところ?」
「さあ? 紗耶香さんが特殊だと言いたいわけではないんですけど、なんか、雑談を雑談で終わらせるんじゃなくて、そこから何かに結び付けようという姿勢というか、そのへんがらしいな、と」
口ぶりから良い意味で言ってくれていることは伝わったので、ひねた発言を反省したくなった。自分が普通じゃないなんて、ある意味思い上がりだ。
「あたしは友達と、文学部の良いところも悪いところも煮詰めて分け合ってる自覚があるから。めんどくさかったらちゃんと指摘してね」
「いいですね。俺にも分けてくださいね」
「答えになってないので、分けません」
可愛げはないけど、これでいいんだろうなと思う。何もかもありのまま受け入れるような、星野くんの空気感は不思議だ。水槽の向こう側にいるみたいに捉えどころがなくて、ひんやりして見えるけれど、触れてみれば意外と指先に馴染む温度をしている。ギャップというほど鮮烈ではないが、肌で感じるものがあるのだった。
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