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 都さんが恋人と一緒に店へやってきたのは、六月に入ってすぐで、蒸し暑く、ビールがよく出た日のことだった。

 二十時を過ぎて店内もにぎわってきた頃。地下の通りに面した店の入り口に二人連れが見えたので急いで向かうと、都さんが男性と一緒に立っていた。

 壁際の二人掛けのカウンター席が空いていたので案内する。とりあえずの生を二つ持っていくと声をかけられた。

「今日、あの子は入ってないの?」

「星野でしたら残念ながら今日は」

「そっか。ちょっと残念」

 注文良い? と言われたのでハンディを取り出す。都さんと、恋人とおぼしき男性はメニューを覗いて素早く二品ずつを選んだ。いったんオーダーを通し、席を離れる。

 男性は、都さんより年上のようだった。清潔感がありきっちりとした格好をしているが、少し垂れた目尻に寄ったしわが、親しみやすさを感じさせる。落ち着いた雰囲気の人だ。がたいが良くてカウンターは少し狭そうだった。ざわついた店内の中で、時折都さんの明るい笑い声が響いていた。

 今度恋人と一緒に来るね、と言ってくれていた常連さんの都さん。あれからあいつとシフトが一緒になると、今日は都さん来るかな、と話題に出していた。彼が今日いないのは私も少し残念だ。けれど、次に会った時にそのことを伝えることを想像すると愉快な気持ちにもなる。悔しがるかなあ、なんて、反応を想像してみたりする。

 最初の前菜をビールで片付けた後でワインに移る時、ワインを選んでいたのは男性の方のようだった。わたしの知る限り都さんは結構ワインにこだわる人だったけれど、合わせているのか、もしくは好みを知り尽くしているのか。注文の仕方や選ぶメニューで、客同士の関係性が計れたりするので、飲食のアルバイトはおもしろい。

 随分人もはけてきた頃、空いた机を拭いていると、チャリ、という音が聞こえてつい振り返った。

「忘れるところだった。これ、返すね」

 都さんの手から男性の手に、車の鍵らしきものが渡された。

「ああ。どうだった? 大事な人とやらの誕生日祝いは」

「大成功。あのド派手な車で乗り付けたら、ポカーンとしてたよ。天気ももってくれたし、ちょっとは元気づけられたみたい」

「そうか。君がそんなに一生懸命になるなんて、少し、妬けるな」

 都さんが、グラスをあおる。

「……何よ。心にもないこと言って」

「ひどいな。心の底からの本心なのに」

「本当にそう思うなら――」

 かろうじて聞こえる都さんの声はだんだんひそめられていく。カウンターの中で勢いよく蛇口がひねられた音にはっとして、わたしは聞き耳を立てるのをやめた。お皿をひいてカウンターに戻り、手持無沙汰で都さんが飲んでいたワインのボトルをいじっていると、案の定都さんからお替わりのオーダーがきた。グラスを取りに行った時、都さんは来店した時と同じように笑っていた。

 結局二人が最後のお客になった。支払いの後、店の外まで出てお見送りをする。少し足元の怪しい都さんは、男性に腕を絡ませつつこちらに手を振っている。男性は最初から最後まで礼儀正しくスマートで、都さんとは対照的な、しっかりとした足取りが印象的だった。


 次の次の週、星野くんと同じシフトになった。都さんの話をすると想像通り、少し悔しがった様子を見せる。よくわからないけれど、「負けた」とかなんとか言っている。人の入りが少ないホールを見ながらカウンターで喋る時、そのぐらい意味のない会話が丁度良いのだ。即座に切り上げても気まずくならないし、間を持たせられる。

 閉店してクローズ作業を終え、外に出ようとすると、店長が長細い袋を渡してきた。

「お疲れ、紗耶香ちゃん。これ、この間言ってたやつね」

「あ、ありがとうございます! 天引きですか?」

「うん。ちょっとだけおまけしとくよ」

 やったー、と言ってもう一度お礼を言う。一緒に更衣室へ向かう中、星野くんが袋を覗き込んできた。

「なんですかそれ。ワインですか?」

「そ。あんまり出ないけど、実は店で扱ってるやつ。アイスワインっていうの」

「あ、なんか聞いたことあります。ドラマで見たような。買い取りなんてできるんだ」

「いや、あんまりしてないけどね。これ友達へのプレゼント用なの。直近で誕生日知って何あげようか悩んでるって話したら、店長がどうかって」

「へー。やっぱ店長も紗耶香さんには甘いですねえ」

「んなことないよ。なんやかんや古参だから融通利かせてもらえる部分はあるけど」

 更衣室に着き、女子の方の扉についているプッシュ式のロックを解除する。がちゃりとロックが開く音がして、じゃあ、と告げようとしたその時。

「ねえ紗耶香さん、今から飲みに行きません?」


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