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「あの、ティラミスって作れるんですか」

「まあ、そうですね。材料費はかかりますけど、ビスキュイを出来合いのもので済ませれば、混ぜて重ねるだけって感じだと思います。漫画で読んだ知識ですけど」

「そうでしたか……」

 全然意味がわからない。あからさまにしょぼくれてしまって丸まった両手を、なんだか可愛いと思ってしまう自分の発想も、まったくわけがわからない。ココアをどけてあげても五木先生は教科書を動かさず、観念したような感じで話し始めた。

「僕は、チョコレートが苦手なんですよ」

「存じておりますけれども」

「だから、もしかしたら困るかなと思ったんです。要らない心配だったみたいですけど」

「困る? 私が?」

「二月の半ばあたりに」

「……ああ! バレンタイン?」

 私が発言をするたびに委縮していくようだった五木先生は、ダメ押しの一言を発言した途端、がつんと机に突っ伏した。ぱさついた髪に埋もれてつむじが見えている。

「まさか、バレンタイン欲しかったんですか。あげなくってすいません。元彼とのこととか浮かんじゃって、思い出したくなかったんです。普通にテストとバイト忙しかったし。五木先生がそんな行事に興味があっただなんて気づきませんでした」

「嫌味なんですか? 辱めですか? いや、なんか……別に欲しかったとかじゃなくて……もしかしたらくれるのかなって……」

「あげるとも言ってないのに、配慮してくれたんですね。チョコ以外で選ばなきゃいけないから。それでアップルパイ……あれ? 別に、ティラミスって言えばよかったんじゃないんですか?」

 五木先生は、しばらくじっとしていた後で突然に顔を上げたので、私はつむじに伸ばしかけていた手を慌ててひっこめた。ちとせちゃんの「それが欲しいって思った時」という発言を思い出し、それがあまりにも適切で、急に恥ずかしくなる。

「だからっ、ティラミスは手作りできないと思ったんですよ!」

「……手作り」

「アップルパイの方が簡単だと思ってたんです! ティラミスって手込んでそうじゃないですか! 混ぜたらできるとか、知るかよ!」

「いや、手作り前提なことの方に驚いていいですか?」

「市販を買うって選択肢があったことにさっき気づいたんですよ! バレンタインの光景を見たのなんて、小学校高学年が最後だったんで! どうもすいませんでした!」

 開き直ったようにまくしたてて、アイスコーヒーをずろろろと吸い込み、五木先生は再び突っ伏した。あっけにとられていた私は、次第に笑いがこみ上げて来たが、頑張ってかみ殺す。ああやって開き直ることにどれだけ勇気が必要か、よくわかっているから。

「……ねえ、『僕の方がよっぽど心開いてます』って言ってたの、誰だっけ」

「その発言は一か月前でティラミスの件は四か月以上前です。時差があります」

「時差って」

 彼について感じることがあまりにもそのまま、自分が誰かに言われたようなことなので、お互い様だと言うしかない。考えてみればこいつだってこんななのに、なんで私ばっかり向き合いたくもない自分と向き合って、何かを認めたりしなくちゃいけないんだろう。今度紗耶香と玲衣に会ったら、そのまま言ってしまおう。それじゃ何も変わらないじゃないと言われたら、私はそれで幸せなのだと胸を張って宣言する。もちろんそうとは言い切れないこともあって、それに腹が立ったりして余計なことを言い合って、もしかしたらいつか決定的な痛みを負うこともあるかもしれない。だけど「これからもよろしく」が、今の私たちが出した答えだ。友情と恋愛の極端な二択を迫られがちな世間の中で出した、上等過ぎる答え。ちとせちゃんの言葉を借りるなら、ありがたがらなければならないぐらいなのだ。何の躊躇もなくつむじを触る権利が欲しいと思うまでは。

 私が彼をどう思ってるかなんて、世間に示す必要はない。そんなことは、彼に決めてもらえばいいのだ。

「普通、何とも思っていない男の子のためだけにアップルパイを手作りしたりは、あんまりしないと思います」

 自分の言葉を五木先生がどれぐらい深読みしてくれるか、その結果を知るのがもったいような気がして、私は自分のノートに視線を落とした。





五木先生 完

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