あの世とこの世を繋ぐ橋―――岐阜・長良橋

夏子

第1話

「養老の滝?」

「そう」

「どこ?」

岐阜の、養老町だよ。そんなことも知らないの、という言葉を我慢して代わりにタケシをにらんだ。

紅葉を観に行こう、と盛り上がったところまではよかったのにタケシは「紅葉といえば、嵐山でしょ」と譲らない。

岐阜出身のみゆきと東京出身のタケシでは紅葉に行きたいところが違う。そもそもタケシは岐阜のことを端からバカにしている。そりゃ、嵐山は世界に誇る紅葉の名所でしょうけど立ち止まってシャッターを押せないほど混むというし。嵐山の紅葉なら誰かかのSNSの投稿で観りゃいいじゃないか。

「岐阜、行かない?いいとこだよ」

甘い口調で誘ってあげたのに、なおも嵐山に拘るタケシに対し、一喝した。

「じゃあ、タケシは嵐山にいきなよ。あたしは岐阜に行くから。じゃあサヨナラ」

部屋から出ていこうとしたみゆきにタケシ慌ててしがみ付く。

「分かったよぅ、岐阜でいいよ~」


始めは渋々だったタケシも「岐阜に行けば口裂け女に会えるかな」などと呟いている。夏に一緒に観たホラー映画「口裂け女」の舞台が岐阜だったことを思い出したのだろう。切り替えの早いのはタケシのいいところだとみゆきは思う。


岐阜駅でレンタカーを借り、養老の滝に向かう。

「ねぇ、岐阜って人が住んでいないのかなぁ」

運転しながらタケシが不安そうに聞いてくる。確かにタケシが不安になるのも無理はない。住み慣れた東京ではどんなに朝早くても夜遅くても10mもあるけば人に出会う。それが同じ日本だというのに、ここには岐阜の紅葉の名所だというのに誰もいない。ヤバくないか、岐阜。久しぶりに見る故郷の閑散ぶりにみゆきも焦り始めた。


養老の滝について、人がいない理由はすぐに分かった。伊吹山から吹く伊吹おろしで養老の辺りの冬は特に早く訪れる。肝心の紅葉はすべて散っていたのだ。これでは観光客は来るわけがない。

「こんなならやっぱり嵐山に行った方がよかったじゃん。嵐山は今週いっぱいだってニュースでやってたのに」

タケシは悔しそうにつぶやく。みゆきはぎゅっと唇をかんで聞こえないふりをした。

「次は、美味しい田楽屋に行こうよ」


田楽屋の入り口までくると、味噌を香ばしく焼いた匂いがする。程よく焦げたさと芋の田楽が少し塩が効きすぎたくらいの菜飯によく合う。

「そういえば、高校生の時、友達と学校の帰りに田楽食べたんだよね」

好きな人の話とか相談しあったりしてさ、可愛かったな私。いつも一緒に来てた友達、誰だったけ。みゆきは古い記憶を紐解き始める。

「そうそう、仲良しの紀世ちゃんだ。紀世ちゃん、今どうしているかなぁ」

みゆきはだんだん楽しくなってきた。


田楽屋を出るともう日が傾き始めていた。今日中に東京に戻るつもりだから、そろそろ岐阜駅でレンタカーを返さなくてはならない。

「ねぇ、ここで止めて!」

長良川にかかる橋まできたところで助手席のみゆきは叫んだ。

「なんだよぉ、車は急に止まれませんっていうだろ」

ぶつぶついいながら、タケシは近くのパーキングに停車した。

「この橋渡ろうよ」

「特になんの変哲もない橋に見えるけど」

何を言う、ここは岐阜の観光のメッカ長良橋だぞ。みゆきはむっとしながらタケシの手を強く引っ張った。

橋の中央くらいまで歩いたところで立ち止まり、欄干に身を乗り出して眼下を眺めた。遥か数十メートル下に透き通った水が夕日に照らされながら流れていく。みゆきの記憶の長良川のままだ。みゆきは空を仰いだ。岐阜城をいただく金華山が悠然とそびえる。金華山の木々が紅葉しているのが見える。

長良橋から見える長良川と金華山はみゆきが岐阜で一番きれいだと思う場所だ。

「やっぱ岐阜はいいなぁ~」

みゆきの言葉に黙って頷いたタケシを見て岐阜に来てよかったと思った。

タケシの肩ごしに向こうからトレンチコートを着た背の高い女性が歩いてくるのが見えた。川風にロングヘアを煽られながら、遠くからでも美人らしいことが分かる。女の履いた赤いハイヒールが近づくと、みゆきははっとした。顔半分はマスクをしていて見えないものの、その顔に見覚えがあったからだ。思わず、女に声をかけた。

「紀世ちゃん―――?」

女は立ち止まり、みゆきを見ていった。

「わたし、キレイ?」

「やっぱり紀世ちゃんだよね。昔からキレイだったけどますますキレイになったよねぇ」

懐かしさのあまりみゆきは女に駆け寄り手を取ろうとした。女はみゆきの手を取ろうともせず、顔半分を覆っていたマスクを取った。

「ねぇ、これでもキレイ?」

マスクの下の口は包丁で切り裂かれたように左側だけいびつに耳まで裂けていた。女が笑うと奥歯の歯茎まではっきりと見えた。そっか、紀世ちゃんが口裂け女だったんだ。

でもみゆきには紀世はなお美しいと思った。迫力のある美人ってこういう顔のことをいうのかなぁとぼんやり思った。

「うん、キレイだよ」

みゆきがいうと、女は安心したようにまたマスクを顔に戻し、来た時と同じように美人らしく歩いていった。ハイヒールのコツコツという音だけを残して。

隣にいたタケシを見ると目玉が飛び出しそうな顔のまま硬直していた。


紀世は二十歳の時、ミスコンに出るため受けた整形手術の失敗に絶望して、長良橋から飛び降りて自殺したと同級生から聞いた。長良橋の口裂け女に出るのかもそれとなく聞いてみたが、そちらの情報は得られなかった。みゆきは確信した。紀世はみゆきに会うために出てきたのだった。


「口裂け女に会えたね」

東京へ戻る新幹線の車窓を放心したように眺めながら、タケシがポツリといった。タケシにとっても生涯忘れられない岐阜旅行となったはずだ。



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あの世とこの世を繋ぐ橋―――岐阜・長良橋 夏子 @flowyumin2006

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