STORY3 オラクル(8/8)

クライマックスは空中ブランコだ。

ステージの端から端に落下防止のネットが張られ、その遥か上空で、三か所に分かれた男女がワイヤーに手をかけている。全部で八人。

音楽に併せ、まず、いちばん低い位置の男が肩幅ほどのブランコを両手で握った。

そうして、観客にイマジネーションを与える間もなく、体を放つ。

ちょうど、オレと親父とおふくろの目線の高さで、オリンピックの体操選手を思わせる白いユニフォームが大きな孤を描いていく。

右に三度、左に四度。振り子の大きさと速さが強まると、緊迫した空気がにわかに場内を包んだ。

彼を受け止める演者が頭を下に向け、折り曲げた膝に全体重をかけてブランコに下がる。腕と肩を露出した衣装は同じだが、その者のユニフォームは緑色だ。

聞こえてくるのは、音量を抑えたバックミュージックだけ。おそらく、演者たちの間に掛け声はなく、秒刻みにプログラムした動きでお互いの呼吸を合わせているんだろう。


さらに、ブランコが右に左に激しくスイングする。

飛んだ!

真っすぐ伸びた体。白のユニフォームが緑のユニフォームに近づき、差し出された二本の腕をつかむ。

ため息と歓声。喝采。

跳躍を成功させた者は、元の場所より高い位置の止まり木に移り、受け手側が上半身を逆さにしたまま、次の演者のために再び体を振り始めた。

二人目となるレオタードの女が、さほど大きくない体をブランコと一体化させ、二本の腕の力で反動をつけていく。

十秒ほどで、ジャンプ!

いっそう強い拍手が起こる。

今度は止まり木に移ることなく、ブランコにぶら下がったままの二人が、手首を握り合った状態で激しく体を揺らしていく。

最上段のブランコで、また別の男が待ち構えている。

飛ぶ。

観覧席のどよめきが、「おおー」という声に収斂し、前席のカップルが顔を寄せ合った。

親父がオレの横で「うーん」と低く唸り、深呼吸するように肩を下げる。

サーカス団の演技は休むことなく続いた。

上から下のブランコへ。下段から、また上段へ。

次第にスピードが増していき、高低差と左右間の距離を縮めるかんじでめまぐるしく飛び交っていく。

空中で一回転して、次のブランコへ。半身をくの字に曲げて、別のブランコへ。

まるで、オレ自身が高い所にいるみたいに脈拍が速まる。

身動きを止めたおふくろは、オレが顔を向けた時に少しだけ姿勢を変え、小さく息を吐いた。

大小の円弧が何度も宙をなぞっていく。

今度こそ失敗するんじゃないか、真下に落ちるんじゃないか……そんな心配をよそに、八人は演技を繰り返し、観客の視線を釘付けにした。

美しかった。

鮮やかだった。

胸を締め付けられる感覚に襲われ、目尻が濡れた。

おふくろがオレの左の腿に右手をそっと乗せ、心臓がさらに激しく打つ。

[動く]という動物の本能をさらけ出し、目の前でいくつもの個体が躍動していた。

……カツが失ってしまった生命の輝きだった。

ステージを見つめたまま、おふくろの手を握る。

軟らかくもなく硬くもなく、冷たくもなく温かくもない。それなのに、オレの中にじんわり染み入る感触があった。



久しぶりに深く眠り、朝の時間帯に起きることが出来た。


昨晩、サーカスの後、駅近くの和食店で遅めの夕飯をとり、親父とおふくろは「お友達によろしく」と箸を置いた。

渋谷駅でひとりになり、銀次に感謝のメールを打つ。

「楽しかったよ。サンキュー」

チケットをもらわなければ、サーカスなんか行かなかったはずだ。持つべきものは親友か……。

電車はサラリーマンや行楽帰りの者でごった返していたが、いつもと違って、オレは人混みが気にならなかった。

空洞に差し込む微かな光――そう、時間を巻き戻して現実を変えることは出来ないのに、親父とおふくろは、束の間だけ、[笑い]を取り戻していた。

それは、空中ブランコの後にピエロが登場した時だった。風船を膨らませて破裂させるというベタな芝居に、最初におふくろが声を出して笑い、ピエロがバルーンアートを完成させると、親父も手を叩いて喜んだ。


オレはベッドから起きて、目に留まったフィギュアのひとつを手に取る。

幼かったカツが夢中になった仮面ライダー。片腕を立てて、フォームチェンジのポーズに変えた。

そして、元の位置に戻してから、すっかり身近になった[託宣]に向き合うため、今日のカードを引く。

「Rise and Shine」。番号「56」。

ナイトウェアを着た女が部屋のカーテンを開(ひら)いて、体いっぱいに朝の陽を浴びている。開け放った窓の先に青い海があり、遠くに岬のシルエットが見える。


オレの部屋の外では、何羽かの鳥が絶え間なくさえずっていた。

どちらも、朝のひとときだった。解説を読まなくても、今日の[天の言葉]は理解できる。

新しい一日を受け入れること。

おそらく、そんなかんじだろう。

目をつむり、息を吸い、時間をかけて吐き出していく。


「この人たちは、自分の心という井戸に水を運んでいるのです。汲み出される側の井戸は涸れることがありません」


……まずオレは、自分の井戸を満たさなければならない。

昨日より今日。今日より明日。光のために、少しずつ。




おわり

(STORY4へ続く)

■連作「キミの短い命のことなど」

STORY3「オラクル」by T.KOTAK

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