STORY3 オラクル(6/8)
「……他の遺族の方にも会いましたか?」
一拍置いて、親父が口を開いた。
「はい。篠崎さまが二組目です。来週、別な方にもお時間をいただきます」
事故で亡くなったのは、カツを入れて四人だった。「二人目」ではなく「二組目」……きっと、遺された家族への取材を続けているんだろう。
不自然な無言状態が続き、ウエイターが程よいタイミングで全員のアイスコーヒーをテーブルに置く。
隣りも前の席にも客はなく、声が多少大きくても咎められることはないが、オレたちはあまりにも静かだ。
「……実は、わたしの知り合いも同じ事故に巻き込まれました」
トーンを落とした秦の告白に、「親しい方?」と、おふくろが間髪入れずに尋ねた。
「はい。学生時代、留学でお世話になった恩人で……わたしにとって、今回の事件は他人事ではありません」
記者は鞄からノートを出し、右手でペンを構え、「今日は少しだけお話をいただけるとありがたいです」と、もう一度お辞儀した。
「秦さんは、その方のためにも記事を書きたいんですね?」
飲み物にガムシロップを注ぎながら親父が言うと、「はい」と答え、まだ一言もしゃべらないオレを気にする様子でちらりと見た。
「お父様にはお電話でお話しましたが、わたしはこの事件を風化させたくないんです。わたしたちマスコミは新しい事件ばかり追いかけて、時間が経ったものはなおざりにしてしまいますから」
滑らかに、淀みなく、そう続けた。繰り返される「事件」という単語が耳に残る。
たしかに、あれは事故じゃなく、事件だった。
朝の七時に貨物トラックがバス停に突っ込み、人の命を奪うなんて、仮面ライダーの世界でもありえない。
親父とおふくろは軽く頷き、相手をじっと見つめた。
「……どんな記事になるんですか?」
二人の気持ちを代弁する思いで、オレは率直に訊いた。どんなに取材の志が高くても、結局、他人の不幸を覗き見する下世話なものになるんじゃないか?
「きちんとお伝えせずに申し訳ありません。被害者の方々は誰もが掛け替えないご家族を持っています。事件は、四人の方の命を奪ったばかりでなく、近親者の人生さえも変えてしまいました。ですから、克理さんと篠崎さんご家族のこれまでをお聞きし、それをまとめることで、わたしは命の大切さを世の中に訴えます」
早口になりそうな自分を抑えるかんじで、秦は言葉を選びながら力強く答え、それから、短いやりとりとともに、ベテラン記者みたいにペンを走らせていった。訥々と語る親父とおふくろの言葉がノートの罫線に連なっていく。
カツの生まれた時のこと、小中学校でのエピソード、大学院で研究していたテーマ……。
アイスコーヒーを放置したまま、記者はグラスの水をときどき口に含んだ。
レコーダーを回せばインタビューに集中できるのでは?と思うが、話しぶりや相槌の打ち方など、その取材スタイルはなかなかしっかりしたもので、オレの不信感が次第に消えていく。
「事故の第一報を、お兄さまはいつ聞かれましたか?」
秦がいきなり振り向き、筆記具から手を離した。
オレはとまどい、あの朝に還る。
夜勤明けだった。
爆睡のさなかに親父の携帯から着信があり、スマホの画面表示を一瞬だけ見て眠り続けた。電話にちゃんと出ていれば、オレはもっと早く知ることが出来た。
ガラスから差し込む日差しが、おふくろの白髪の一部を黄金色にしている。
テーブルの上を、時間だけが前へ進んでいく。
後ろでウエイターが皿を片づけているのか、沈黙を嫌うように、陶器と陶器の重なり合う音が響いた。
「……お答えづらいことでしたら、ごめんなさい」
隣席の質問者は、そう言って頭を下げ、アイスコーヒーのストローを指でつまんだ。
「あの日は昼頃まで寝ていました。親父からの最初の電話に出ずに」
それだけ告げると、鼓動がにわかに速まった。声の上擦りが自分でも痛いくらい分かる。
秦は何も言わず、首を傾(かし)げた。
事件は週始めの平日で、普通のサラリーマンなら働いている時間だった。取材ノートに書かれるべき一文は「会社にいて、仕事中に知った」だろう。
「克理さんは立派な次男さんですね」という数分前の秦のセリフがオレの中でリフレインし、今朝のオラクルカードを思い出す。
「Tell the Truth」
親父もおふくろも言葉を挟まず、真向かいでオレの語りを待っている。
「克理と違って、ぐうたらなもんで……就職してないんですよ。趣味優先で、コンビニのバイト生活だから」
グラスに付いた水滴をナプキンで拭き取り、冷静さを意識して吐露した。
「趣味ですか?」
「自分は世間で言うオタクで……ヒーローものが好きで……弟も小さい時は一緒に夢中だったけど、いつの間にか取り残されてしまいました」
オレはたどたどしい丁寧語で告白を重ね、場を少しでも和ませようと自嘲気味に笑ってみせた。
うつむいた親父が、ネクタイを正すそぶりをする。
「……こんな生き方で、両親には申し訳ないと思っています。弟がいなくなってからもずっと」
間断なく、自然と、そんな言葉がこぼれ落ちた。
天の言葉がヤマガタの口を借りるみたいに、もうひとりのオレが本心を紡いだ。
目線を上げると、おふくろが瞳を潤わせている。その眼差しが、忘れていたエピソードを連れてきて、話題を変えるつもりで、オレは記者にそれを伝えた。
カツの成人式の日、オレたち二人で花束とメッセージカードを両親にプレゼントしたこと。カードには「大人になるまで育ててくれてありがとう」と連名で記したこと。「ひとりじゃナンだから、タカも書いてよ」と、克理が急かしてきたこと。
おふくろが涙を拭い、秦は「貴重なお話をありがとうございます」と消え入る声で応えた。そして、自分の居場所を探すふうに腕時計を見る。
取材が始まって、四十分以上が過ぎていた。
「篠崎さんが受け取られたはずの、加害者の奥さんのお手紙はどうなさいましたか?」
親父とおふくろの動きがピタリと止まった。
オレは初めて聞く話だ。
「……実は、封を開けていません。私たちはまだ心の整理がついていないので。その手紙のことは隆文にさえ話していません」
猫背の姿勢を正して、親父はきっぱり言った。
「隆文が日記を……ブログをまた始める頃に、私たち家族の喪も明けるかもしれません。手紙はその頃にでも」
凍りついた空気をそっと溶かしていく、やわらかな声色だった。
(7/8へ続く)
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